「鉄」と「神」の時代


 紀元前1289年、当時の世界ではもっとも巨大だったエジプト王国も3000年の歴史を経て、さすがに疲弊し徐々に衰えが見え、ラムセス二世の少し前の時代から、今のトルコ、イラクにあたる北方のミタンニ王国、ヒッタイト王国などの新興勢力の台頭を許し、たびたび荒々しい侵攻に喘いだのである。時には防ぎきれず、当時のエジプトの首都といえば世界のあこがれの的であったので、時には敵国の王の娘をめとって懐柔する作戦もとられた。


 ラムセス二世の治世になってからヒッタイト王国の勢力が一層強くなり、その傍若無人な侵攻に耐えかねて軍を北に進めたラムセス二世は、ガディシュでハッテュシリシュの率いるヒッタイト軍と相まみえた。世界戦史上、有名なガディシュの戦いである。大きな鉤鼻、斜めに後退した前頭骨、そして小さな顎骨を持つ精悍な兵士は強大なエジプト軍に一歩も引けを取らずに戦った。そのヒッタイト軍兵士の面影はエジプトの彫刻家によって正確に伝えられている。


 ヒッタイト軍が強かったのはその風貌だけではなかった。

 トルコやイラクなどのオリエントの北方の地方では、昔から多くの金属鉱石が採れることで有名であり、装飾品や農具、そして武器に使う材料の多くがその地方からオリエントの国々にもたらされた。鉱石を掘りだして溶かし、加工する技術が徐々に蓄積され、それがこの地方の力となっていった。実はそのときラムセス二世が相手にしていたのは、紛れもなくヒッタイト王国、同時に「世界初の鉄器で武装した軍団」でもあったのだ。

 現代では巨大な溶鉱炉と完璧な装備で鉄を溶かすので、鉄や銅などの金属を溶解することはいとも簡単なように思われるが、紀元前1300年というと装置も知識も無い。銅を溶かすだけで大変で、それよりさらに500℃以上高い融点を持つ鉄を作ることは容易ではなかった。ヒッタイトではカリュベス人が鉄の製造を担当し、経験をもとにした多くの知識を持っていたらしい。炉は貧弱なブルーム炉であったが、鉄をどうしたら強くできるか、ということにかけてはよく知っていたといわれる。


 驚いたことに紀元前2000年頃からカリュベス人は炭素の少ない錬鉄を叩くことによって炭素を鉄に浸み込ませて(浸炭)、“はがね”に変える技術を磨いていて、ガディシュの戦いの時には彼らの作った優れた鋼がものをいったのである。ラムセス二世はヒッタイトとの消耗戦に疲れて講話を結び、ハトウシリシュの娘を妃に迎えた。即位20年後のことであった。かくして、鉄器と鉄の優れた製造方法はエジプトに伝わり、現代につながる「鉄器時代」の幕が落とされたのである。

 ところで、当時のエジプトには数百年前から移動してきたイスラエルの民、すなわちユダヤ人が住んでいた。この異民族はエジプト人とは違い、結束が固く優秀で、徐々に王国の中枢にも影響を及ぼしてきた。ラムセス二世は国の外にはヒッタイト、内にはユダヤ人の問題を抱えて苦労する。やがて、そうこうしている間に、ユダヤ人の中から卓越した人物が出現し、事態はますますラムセス二世にとって具合の悪い方向に進んでいく。その人物こそが歴史上の偉人である「モーゼ」である。モーゼの出現によって、ますますはっきりしてきたユダヤ人の台頭に神経をとがらしたラムセス二世はユダヤ人を極度に圧迫し始める。


 最初のうちはラムセス二世が圧倒的な力でユダヤ人を圧迫し、ラムセウスの町の建設にユダヤ人を酷使する。「圧制の王」ラムセス二世に対するユダヤ人の反発はさらに激しくなり、ユダヤの神、ヤハウェの助けもあって、「過ぎ越の夜」にはエジプトの幼い長男がすべて死に絶えるという事件も起こる。それがやがて「世界の精神界を支配する宗教の発祥」になることとも知らずに、ラムセス二世はモーゼとユダヤの民に戦いを挑み、その追放を決意する。やがてこの事件は旧約聖書「出エジプト記」となって歴史に残る。

 ユダヤの伝説に出てくるラムセス二世は「圧制の王」であり、悪の権化のように描かれている。確かにユダヤ人にとってはそうであっただろう。しかしラムセス二世ほど歴史の大きな舞台に立った人物はいなかったのである。ヒッタイト人と戦ったガディシュでは「青銅器時代から鉄器時代への転換」の舞台に立ったし、モーゼと戦った日々は「キリスト教という人類最大の宗教の発祥」であったからである。

4000年の歴史を持つ古代エジプトの王の中でラムセス二世だけが、「鉄器時代の幕開け」と「最大の宗教の発祥」の2つの巨大な歴史の波の中でもがき、苦しんだのである。それから3300年を経過した今ではそのことがはっきりと見えるが、渦中にいたラムセス二世は次々と訪れる巨大な歴史の波を感じつつ、一人の人間がそれを支えることが難しいことを痛感していたに相違ない。ラムセス二世の像には人間が互角に渡り合うことのできない巨大に力に対峙して、自らを神として精一杯こらえているのを感じることができる。

 現代社会がラムセス二世と同じ苦悩に呻吟していると言ったら言い過ぎだろうか?
 1963年、延々と続いてきた鉄器時代が終わりを遂げた。金属材料の9割を占める鉄鋼材料のシェアーが落ち始め、それは急降下し、2000年には全材料に占める金属材料の割合は50%を切ったのである。


 ラムセス二世以来の出来事であるから、歴史的事件であることは間違いない。もちろん1960年代はまだ「鉄鋼の時代」と思われ「鉄は国家なり」が豪語されていた。経済団体の長は鉄鋼会社の会長でなければならなかったし、鉄の会社は日本の旦那だったのである。大きな歴史の転換点に遭遇した人はそのことを知ることができない。そしてただ大波に翻弄される小船のように運命にその身を委ねなければならないのだ。


 鉄がピークを打った年の10年前、1953年にワトソンとクリックがDNAの構造解析に成功した。それまでの約300年、近代科学はモーゼが作った「心の宇宙観」を次々と破壊していったが、その集大成をしたのが当時30歳そこそこだった若き二人のイギリス人だったのである。ガリレオ・ガリレイは「地球は宇宙の中心ではない」と叫んで宇宙開闢の物語を打ち壊した。「それでも地球は廻っている」という彼の言葉は科学的真実に対する強い信念を感じることができ、近代の幕開けにふさわしいとも言えるが、同時に人間が「知恵の限界」を持っている存在を忘れた不遜な言葉とも言える。


 生真面目で努力家のチャールス・ダーウィンは「人はサルと同じである」と呟き、人間だけが神に似せて作られたというプライドを打ち壊した。しかし、DNAの構造解明は「生命の尊厳はない。ただの化合物だ」ということを明らかにしたという点で、その影響ははかり知れない。恐竜を生き返らせたり、奇妙な生物を人間が作ったりしても、もはや驚くことはないのである。

 現代に生きる私たちは、一日の仕事を終えて静かに神に祈りを捧げ、心静かに眠りにつく権利も奪われたように感じられる。すべてのことは透明感をもって見ることができ、不思議や怖れの世界は遠くに行ってしまった。

 かつてラムセス二世を襲った「鉄」と「神」は3300年の時を経て、人類の前から姿を消そうとしているのである。それは「物質」と「誠意」の終わりとも感じられる事態が展開している。情報革命は私たちの身の回りを急激に「架空の世界」に転化しつつあり、神を否定した人たちは誠意を失って「同時に価値観の違うことを受け入れる精神状態」を獲得しつつある。


 昨今、世情をにぎわしている「循環型社会」は物質から離れたくない人間の足掻きのように感じられる。もともと、人間はものを使って幸福と子孫を育ててきた。それには「対価」がいることを人間は良く知っており、幸福と子孫を作ることに使ったものをもう一度使おうなどと考えたことは無かったのである。もちろん、循環型社会などができることはない。現在の日本に年間入る工業原料は約20億トンであるが、そのうち、原理的にでも再利用できるものは5.7%にしか過ぎず、5回循環すると170万分の1にしかならない。物欲とは恐ろしいものである。


 そして神の喪失は迷信を追放した代償として人間の夢を科学技術に無制限に解放し、破滅に向かってひたすら努力する社会を構築しつつある。社会の指導者が「人類の幸福の実現」と言いつつ、メドウスの計算結果を示し、自らが矛盾した行動をとっていることも本当に不思議である。


  人類が誕生してから変わらぬ規範は「末広がり」と「勤勉」であった。働くこと自体は人間の正常な活動であり、人間の真面目さの発露でもある。豆々しくない生活は私たちの人生を怠惰にし、生き甲斐を奪い、あるいは人生そのものを破壊させる恐れさえ含んでいる。マルチン・ルターは神から授けられた神聖な職業に忠実であることを求めたし、宗教や麻薬であるとした共産主義の生みの親、マルクスは「労働」は人間の活動としてとらえるべきで、労働によって人間がその真面目さを発揮できる機会が失われれば、人間はもっぱら病気になったり、死んだり、泥棒をしたりする場合だけ人間であるようになってしまうと言っている。

  伝統は長い時間をかけて徐々に形作られ、そして私たちの生活の中に根付いてきた。普段は守っている伝統が私たちに何を教えているのかを意識しないが、私たちは確実のその伝統の中で生き、それらからの無言のメッセージ(アフォーダンス)を受けて行動しているのだ。

 わたしは迫り来る人類の危機をできるだけ正確に伝えたいとおもう。それは・・・
 凍えるような冬の日、かじかんだ手で大根を洗った先祖たち。灼熱の太陽の下で輜重兵は前線の兵士に食料を届けるために歯を食いしばっただろう。彼らの思いは日本の繁栄であり、子孫の幸福であったはずだ。

 「自分たちが命をかけて築いてきたこの日本を愚かな考えや行動で滅ぼさないでくれ、それでは自分たちの苦労があまりにも惨めだ。」


おわり