― 憲法第27条 ―

 このあいまい文化論は憲法第9条でスタートをしました。日本の自衛隊の軍事予算は年間約5兆円。この軍事費は、あの大英帝国軍と同じですから、自衛隊は立派な「軍隊」です。それに加えて「在日アメリカ軍」という存在は、若干、極端な議論であることを承知で表現しますと、「日本の傭兵」ということもできるでしょう。

 たとえば日本の隣国が日本を警戒しているとすると、自衛隊と在日アメリカ軍を合計した戦力は、ほとんど「世界最強」といっても間違いないほどの武力なのです。

 一方では、日本国憲法は「武力を持ってはいけない。軍隊は持たない」と定め、日本人は「平和憲法を持っていることを誇りに思う」と発言します。すこし辛口で言えば、憲法に書いてあれば、それを破っている状態で誇りを持つ奇妙な国民ということができるでしょう。

 日本人全体があいまいなのですから、最高検察庁だけが法律に厳密であることを求めるのも可哀相ですが、ホリエモンや村上さんを逮捕するのなら、その前に、防衛庁長官を逮捕しなければならないのは、あまりにも当然です。

 最高検察庁が気を回して「自衛隊は国民が支持しているから」と言い、最高裁判所が「高度に政治的な判断」などと言わなくても、あっさりと防衛庁長官を逮捕し、憲法違反、5兆円の横領などで有罪にすれば、国民は「憲法は守らなければならない」と思うでしょう。

 それはともかく、日本国憲法は「憲法の番人」である最高裁判所が判断を避けているためにいろいろな点で憲法違反が見過ごされています。たとえば憲法第27条「勤労の権利と義務」も公に守られていない一つの例です。

 最近、「ニート」と呼ばれる人たちがいます。身体壮健、年齢も若く、教育期間も終わり、単に「働きたくない」という理由から職に就かない人たちです。「働く」ということは自分の希望や職務内容など複雑ですから、「お前は働いていないじゃないか!」とあまり厳しいことをいうのも何ですが、テレビなどでおおっぴらに、
「俺は思想的に働かない。働いている方がおかしい」
などと言われると少し違和感があります。

 憲法第27条
「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」

 働きたくても働けない、働きたいと思っているが事情が許さない・・・などなら良いのですが、日本国民である限りは「働かないのがなぜ悪い」と言ってはいけないのです。

 検察庁はこれほど明確な憲法違反の場合、本人はすぐ逮捕し、テレビの番組には「犯罪を是認するような番組は遠慮して欲しい」ぐらいの牽制球は投げなければならないでしょう。

 また普段「正義」を振りかざしがちな新聞は、「ニートは憲法違反である」と明確に伝える必要があると思われます。

 日本国憲法の草案ができる時、勤労の義務を表記することについては議論があったようです。でも、「日本国民は、働ける人は働き、みんなで生活しよう」という原則が優先したのです。最近はお金優先の時代ですから、お金さえあれば生活ができると錯覚しますが、私たちが生きていけるのは「誰かがお米を作り、誰かがそれを運搬し、小売りしてくれる」からであり、お金があれば生きていけるというのは錯覚です。

 もし日本中がニートになり、「お金があるからそれで買えばよいじゃないか」と考えたとすると、すぐ全員が飢え死にます。憲法の定める勤労の義務とは「助け合う」という重大な意味を持っているのです。「誰でも働くより、遊んでいた方が良いかも知れない。でも、生きるために必要なことはみんなで分担しようではないか」というのがこの条文の意味するところです。

 ところで実はさらにもう一つの憲法違反が見られます。それは「定年」です。憲法は常に国民の基本的人権を重視し、その第11条には、
第11条
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」
とあります。また第14条には人種、性別などによる差別を禁止しています。

「差別」とは、
「そのこと自体が障害になると明確に言えないことで権利を制限する」
ということです。このような憲法が定める基本的な人権や権利という点から定年という制度を考えてみます。

 「あなたは60歳だから」と言って解雇するのは「あなたは国民ではない」と言っているようなもので、そのこと自体が奇妙です。雇用側は「60歳になると国民ではなくなる」ということを何かの形で示さなければなりません。

 このように憲法を考えてみると、
憲法第9条違反     防衛庁長官
憲法第27条違反    ニート
憲法第11条違反    社長
の方々は逮捕されるはずですが、あいまい日本文化ですから現実には逮捕されていません。

 インサイダー取引で村上さんを逮捕して、もっと重罪の憲法違反を野放しにするところに「あいまい法律解釈の検察」が浮かび上がってきます。でも、日常的な生活は「建前としては決めているけれど、実際には実施しない」というのも良いかと思いますが、法律で決まっているのに、「あいつは憎らしいから逮捕する」というように余りに恣意的な法の運用も問題かも知れません。

 この問題を少し深く考えてみますと、仮に「60歳以上でも国民である」とすると、職場で若い人が活躍できず、困ることになります。そこで経営者は「契約期間制にして60歳以上を締めだそう」と考えるでしょう。そして就職の時に「最大でも30年」というような就労年限を契約の中に入れる可能性が高いと思います。

 このような「法の抜け道」をすぐ考えるようでは憲法を尊重する国民とは言えないのです。法律とはその趣旨を理解し、可能な限りその趣旨に添うように国民で努力するべきであり、社会的責任がある大きな会社こそ、率先して「憲法の定める差別の無い社会とはなにか?」を問うてみる必要があるかも知れません。

 しかし、日本のあいまい文化というものは、目の前にある一つ一つの事象を厳密かつ論理的に考えるのではなく、もっと全体的なこと「60歳以上は国民ではない」という超法規的な行為を暗黙の内に認める文化でもあります。


つづく