― 茶髪主義 (2) ―

 先回の「靖国の12」では、第二次世界大戦が「白人は有色人種を殺しても良い」ということに対する戦いだったということをまとめたが、そのために紀元8世紀から20世紀までの1300年にわたる歴史を振り返った。

 そこで今回から少し、それをかみ砕いてみたいと思う。

 まず、1894年から1905年までの日清戦争から日露戦争と、1910年から1937年までの韓国併合から日中戦争、それに1941年から1945年の太平洋戦争を分けて整理をする。「軍国主義日本」ということができるとすると、それは大きく3つに分かれ、日清戦争から日露戦争までの第一期、韓国併合から日中戦争までの第二期、そして太平洋戦争の第三期となる。これらは、それぞれ意味が違う。

 1894年の日清戦争勃発から1905年の日露戦争終結までは、ロシア帝国、中国の清帝国と日本がシベリア、モンゴル、朝鮮などを巡ってその覇権を争っていた時期で、世界的には「帝国主義時代」だった。

 たとえば、ちょうどこの軍事行動を日本が行った第一期の最中である1898年、アメリカはフィリピンを植民地にした。今の日本のテレビでの討論で出てくる論理で言えば「アメリカがフィリピンを植民地にした?ケシカラン!」という事になる。

 フィリピンは100年前に起こったこの事件の後、日本がフィリピンから撤退した1945年までの約50年間。アメリカはフィリピンを植民地にし続けた。それに対してテレビはどういうのだろう?

 「アメリカ人という白人が、有色人種のフィリピンを植民地にするのは当然だ」というだろう。私が言う「茶髪主義」である。「有色人種より白色人種の方が人間として上だ」という考え方があるかぎり、議論は混乱する。

 私は「有色人種も白色人種も、人間は肌の色で優劣を言ってはいけない」と考えている。だから、良いことだったか、悪いことだったかは次に論じるとして、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、そして日本が「帝国主義時代」に行った行動はすべて同じ基準で評価しなければならないと思う。

 日本が日清戦争から日露戦争を体験した頃、日本は軍艦を建造するお金を工面するのも大変で、自力では困難であった。当時の列強間の力のバランスを利用してなんとか軍艦を造り、日本の独立を保っていた時代だった。

 なんと言っても、当時は「軍事力の強い国が弱い国を占領してなにが悪い」という時代だった。その時代のことを考える時に「現在の尺度」を持ち出しても意味がない。もし、当時、日本が「平和主義」を貫いていたらバカ扱いされて、すぐ植民地になった。

 それは私の「推定」ではない。歴史的事実が明確に示している。白人は実に凶暴で、アジア、アフリカ、南アメリカなど有色人種の住んでいる地域で、完全に独立を保っていた国は実に「日本だけ」だった。だから、もし日本が軍事力を持たなければ日本は植民地になった。それは確実である。

 現代でも危ない。事実、アフガニスタン、イラクは軍事力が弱いのでアメリカとイギリスに占領された。だから、北朝鮮がミサイルを撃ちたい気持ちはわかる。白人は「自分が正しい。お前は間違っている。オレの方が強い。だからお前を殺す」という論理である。

 ともかく、「日清日露戦争まで、世界の有色人種の中で日本が特別に頑張ったので、独立を保つことができた。それまでの軍事行動、日露戦争の激戦で無くなった将校や兵士は日本独立の英雄である。」ということを明確にしておきたい。

 ここで第二次世界大戦後に、敗戦国となった日本の指導者を裁いた東京裁判について、日本の軍事行動の第一期についてだけ、触れておきたい。

 東京裁判では、日本の指導部が中国に攻め入ったりしたことの責任を追及したが、日本が軍事力を発揮しなければ「裁判官の国」が日本を占領しただろうこと、日本の侵攻とアメリカがフィリピンを占領したのとどこが違うのか、などはまったく議論されていない。

 東京裁判が「ご都合主義の裁判」であることは仕方がない。戦争に負けたのだから、指導者が首を切られるのは仕方がない。昔から戦に負ければ大将は殺される。そのしきたりに従っただけだ。

 でも、それを日本人が認めるかどうかは別問題だ。私たちは私たちで良く歴史を考えて結論すれば良い。なにも外国の判断に自らの判断を委ねなくても良いのである。

 私たちは自らの茶髪主義(白人優位)を止めなければ議論をしても無駄である。

つづく