― ここが頑張りどころ ―

 金正日、ミサイル、安保理決議、核保有疑惑、拉致・・・厳しいキーワードが並んで朝鮮半島を中心とした東アジア周辺は一触即発の状態である。追い込まれた北朝鮮は国連の議場から退場、6カ国協議にも出ないと言う。

 拉致問題を抱えて「北朝鮮を許すことができない」と言う感情が日本を覆う中、ミサイル発射は北朝鮮を経済封鎖する格好の口実を与えつつある。でも、昔から国の間の紛争とは、いつもこのようにして発展していくものである。

 感情の赴くままに、仮に日本が北朝鮮に対して本格的な経済封鎖に出たら、どういうことになるだろうか?なぜ、北朝鮮を経済封鎖するのだろうか? 

 北朝鮮は現在、日本はもちろん、韓国、中国、そしてロシアと比較しても貧困にあえいでいる。政治にはいろいろな問題があるかも知れない。金正日主席の独裁が北朝鮮の人たちを苦しめているとも言われているが、よその国のことだからといって軽々しくその国の政治体制を批判するのは適切ではない。

 フセイン大統領が気にくわないからといって独立国を占領してはいけない。私は力とそれを正当化する論理だけが支配する世界は好きではない。

 北朝鮮を経済封鎖し、食料が底をついたら、苦しむのはそこに住む国民だろう。為政者や国の高官が餓死することはない。「経済封鎖」という政策が、多くの人の犠牲を伴い、それに耐えられなくなった北朝鮮の国民によって暴動が起こって北朝鮮の政治体制自体が崩壊することを期待しているとすると、「戦争」という名前では無いが同じような犠牲を北朝鮮の人に強いることになり、また、よその国が「経済」という名のもとに政治に介入する結果になる。

 第二次世界大戦のきっかけが日本に対するABCD包囲網による経済封鎖であったことはこのホームページでも繰り返し触れている。それに対する日本の反応は「座して死すなら撃って出よう!」ということだった。人間とはそう言うものだ。

 そして結果的には多くの血が流される。下の写真はガダルカナルで玉砕した日本兵である。この人達は赤紙で招集され、輸送船に乗り、遙か南方のガダルカナルで戦って死んだ。その数、20693。

 私はガダルカナルの玉砕を振り返っていつも思うことがある。それは、
「おそらく、オーストラリアの近くの小島に送られた兵士は、自分たちの死が戦闘という意味では犬死にであることを知っていたのではないか。でも、明治維新で開国した日本がヨーロッパ、アメリカに対抗して、ここまで来たからには彼らは死ぬことが日本人としての仕方のない運命だと直感していただろう」
ということだ。

 だからこそ私は、靖国には英霊がおられ、そして「不戦の誓い」をしなければならない。その不戦の誓いとは「北朝鮮は憎らしい。経済封鎖だ!」と意気込むことではないと思う。この写真をジッと見て、彼らの無念さ、彼らの潔さを感じ取り、感情的になって戦端を開かないように、また他国にも開かせないように我々の心を自制することだろう。

 私は太平洋戦争、そしてガダルカナルで無念の死を遂げた兵隊さん達、その人達の責任は一握りのA級戦犯だけではないと思う。日本国民全員が戦争を選択した。少しはマスコミが間違った情報を流してはいたが、それでも日本人の総意で戦争をやったのだ。

 そして、終戦後の朝鮮戦争で、半島を分断したのはアメリカ、中国、ロシアであり、その遠因を作ったのは日本である。今、北朝鮮を非難しているこれらの国々は、「被害者」ではなく「加害者」なのである。そして北朝鮮がミサイルを撃ったと非難しているアメリカ、ロシアは核弾頭を積んだミサイルを何千発も保有している。それでも日本はアメリカを非難せずに北朝鮮を非難している。

 北朝鮮がミサイルを撃ったのは残念だ。でも、それでも私は、日本は韓国と相談して北朝鮮に援助をするべきだと思う。北朝鮮が必要としているものがあるはずである。それが食料なのか、電気製品なのか、工業技術なのかは判らないが、ともかく援助を求めているのではないか?

 ヨーロッパ文明はどう猛で身勝手である。自分たちが先に武装し、後から武装する国を批判する。自分たちが先に植民地を持って収奪し、後から来る国を非難する。自分たちが核を持ち、後から持つものを抑制する。そのような国と歩調を合わせるのではなく、アジアの摂理と倫理で少なくとも日本、韓国、北朝鮮、中国は団結できないだろうか?

 平和を愛する、不戦の誓い、と言葉で言うことはたやすいが、本当に戦争がイヤなら、ここが頑張りどころ、我慢のしどころと思う。

つづく