-信教の自由と靖国神社-

 

 “靖国の1”で靖国神社の役割を整理した。靖国神社は「公務で戦地に出征して死んだ人の魂が帰るところ」であること、このことに反対の人は日本人で一人もいないだろうことを示した。

 今回は、
「死した軍人の魂が帰るところ」は必要だが、靖国神社は「神社」だから、憲法の保障する信教の自由に反する」
という意見について考えてみたい。靖国に軍人をまつることに異論があるとするとそこだろう。

そこで、最初に宗教と民族について簡単に整理しておく。

 人類が誕生して以来、「宗教を持たない民族」というのはなく、その意味では宗教を持つことは人間らしいことであり、一つの民族は一つの宗教であり、それは人間の社会として普通のことだった。日本という国が誕生したとき、宗教は神道だった。

ところが、今から1400年ほど前、中国から日本に仏教が入ってきた。それ以来、日本人は神様と仏様を両方ともまつるようになった。

「どの宗教を信じているのですか?」
と聞くと、キリスト教とかイスラム教というように一つの宗教の名前を言うものと思っている。でも、それは錯覚である。この世に神様がおられるなら、対立している神様がいるはずはない。神様はケンカはしない。

 日本人はそれが判っていたので、昔からの神様と仏様を同時に信じ、明治維新まで日本人は神道と仏教を区別しなかったのである。お寺の中に神社があり、鳥居もあった。「長谷寺の祖先」は「神社」であり、それは何も不思議ではなく、そちらが当たり前である。


(長谷寺の中にある長谷寺の祖先の神社)

 日本人は仏教を素直に受け止めた。神様仏様という偉い方がおられて、ありがたいお恵みをくださる・・・まったく同じなのである。

 仏教には大日如来、阿弥陀仏、観音様など大勢の仏様がおられるが、それは神道の「八百万の神」につけ加わったに過ぎない。真言宗と言い、真宗といい、分派はあるが教えは同じと理解した。

 神様と仏様は同じように偉いのだから、ケンカするはずもなく、どちらが「本物?」と疑うことは不謹慎だ。所詮、人間が判断できないのだから、区別する必要はない。神仏は混淆していたのである。

現在でもそうだ。正月は初詣(神道)、お彼岸はお墓参り(仏教)、クリスマスは賛美歌(キリスト教)で不思議はない。・・・ここまでが前段。

 さて、日本人は死して魂になると信じていた。今でもそうで、また世界の人の多くもそう信じている。

 次に「死して魂になると、まず神様仏様のところに行き、それから、かつて自分が生きていた祖国に帰ってくる」と信じていた。魂は「どこか」に行くのだから行くところが必要である。

このような死後の世界は現世とは関係がない。だからそれを宗教が受け持った。この場合の宗教は「生活の中の宗教」であり、排他的で強い信仰としての宗教とは違う。

 出征する兵士が死して行くところは三途の川であり、帰ってくるところは靖国神社だった。靖国神社は神社だから神道だが、これは憲法の言う信教の自由と関係がある「宗教」ではない。

 憲法が「信教の自由」を保証しなければならないのは、「特定の宗教を強く信じている人」であり、「熱心に信じているかと問われれば無宗教と答えざるを得ないが、新年に当たって初詣をしたり、死んだときにお葬式をして欲しい点では宗教にお世話になりたい」という人のための「自由」ではない。

 その国の法律はその国の長い習慣の下にあるのであり、法律が上位ではない。

 つまり「信教の自由」とは国民全体に対してその権利を守もろうとしている訳ではなく、「その国にはその国の「当たり前の宗教」があるが、それと違う宗教の人も受け入れよう」ということである。

例えば、日本でキリスト教を信じたり、イスラム教の教えを守る人は辛いので、その人の信仰を尊重しよう、というのが信教の自由である。

 日本で神道や仏教の自由を保障しなくてもよい。もともと日本民族の宗教であり、「信教の自由」の枠外である。法律は習慣の上にはない。

 だから「公務で出征して死んだ人をまつる国家としての施設」は、
1) 死んだ人を守るのに宗教と無関係というのはあり得ない。死んだ人の魂のいる場所が保証されない。
2) 日本人全体を対象とするのにもっとも適しているのはその国古来の宗教であり、場所としては村の鎮守の神様か、大きな神社が適当である。
ということにもほとんど異論はないだろう。

 もちろん、多くの軍人の中には神社にまつられることがイヤな人もいる。その人はその人の意志を尊重するというのが憲法の保障する信教の自由であり、そこで憲法が登場するのである。

 自分が死を覚悟して出征する時、神様仏様なしに戦場に出ることはできない。それが公務に命を賭した人たちの希望だった。その人達のおかげで裕福な生活をしている人が、大切なその人達の希望を無視して靖国を論じるのは失礼な感じがする。

終わり