7.  イタイイタイ病・カネミ油症事件、そしてダイオキシン

7.1. イタイイタイ病


7.1.1.  事件の概要

 富山県の神通川の中流域で発生したイタイイタイ病は重金属元素、カドミウム(Cd)によって引き起こされる骨の病気である。骨が柔らかくなって、体のあちこちで骨折し患者がいつも痛い痛いと叫ぶのでこの名が付けられた。1920年代から発生していたと考えられ、当時は「奇病」と忌み嫌われ、原因や治療法が分からぬまま患者は家の奥座敷に閉じこめられた。家族は「田んぼの神様が怒った」とまじないや占いにすがっていた。イタイイタイ病として注目されるようになったのは1950年代の頃からである。

          
図 21 富山県と神通川(左)とイタイイタイ病の発症地域(右)

 カドミウムの汚染源は神通川上流の岐阜県神岡町にある三井金属鉱業神岡鉱業所だった。カドミウムは、亜鉛の鉱石に必ず含まれている重金属である。今ではカドミウムは鉄製品のメッキや電池に広く使われ、利用価値が高くなったので捨てられることはない。しかしイタイイタイ病が注目され出した頃は、用途は無く注目もされていなかった。そのため、神岡鉱業所は亜鉛を製錬したあとにでるカドミウムを含んだ排水をそのまま神通川に流しており、神通川の中流域では川の水を灌漑用水や飲料水として使っていたので、カドミウムが農作物や飲み水を通して体内に蓄積されていきイタイイタイ病を引き起こした。


7.1.2.  症状

 最初に、腰、肩、膝などに鈍痛が起こり、大腿や上腕部に神経痛のような痛みを伴うこともある。次いで痛みのためにアヒルの様に体動を伴う歩行になる。杖に頼っても歩けないくらいに進行すると、つまずいたり転んだりしただけで簡単に骨が折れるようになる。次第に歩行もままならない状態になり全く寝たきりの状態になり、寝返りを打ったり、笑ったりといった、わずかな行動でも骨折を起こし、引き裂かれるような耐えがたい痛みを訴えるようになる。
  このようなひどい状態でありながら、カドミウムは脳を犯さないため、意識は正常なので患者はひどい疼痛を感じ、最後まで苦痛の中で衰弱し死に至る。

 原因がわかった後、患者が三井金属鉱業株式会社から補償を受けるためには、富山県イタイイタイ病患者認定審査会で医学的基準で認定されなくてはならなかった。1972年から75年までの審査会では 165名が認定された。しかし1975年に政府財界がイタイイタイ病の存在に疑義をはさんでから、医学的には明瞭なイタイイタイ病患者でも、新規に認定されなくなった。1977年には富山県の審査会会長にイタイイタイ病カドミウム説を否定する金沢大学医学部長が任命され、審査会としての認定範囲がさらに狭められた。非鉄業界幹部は業界新聞などでイタイイタイ病カドミウム原因説に疑問を呈した。1975年、自民党は環境部会を中心に「左翼勢力に動かされない環境行政」を求め国会内外で積極的に活動した。さらに「文藝春秋」などの雑誌では匿名執筆者によるカドミウム無害説が特集掲載された。

 富山県内では、イタイイタイ病が神通川流域の奇病としてよく知られていたし、それが広く世間に知られてしまうと神通川流域の農村後継者には嫁が来なくなるという現実問題があり、1960年代には地元青年団もイタイイタイ病を封じ込めるために活動した。さらに、岐阜大学と金沢大学医学部の教授はイタイイタイ病の存在を否定したり、国内外の文献にイタイイタイ病カドミウム説が掲載されていないことからイタイイタイ病カドミウム説は誤りと発表した専門家もいた。1968年、国が正式にカドミウムとイタイイタイ病の因果関係を認めた。

第1次提訴
発生地・・富山県神通川流域
被告・・・三井金属鉱業
原告・・・33人 
提訴・・・1968年3月9日(請求額1億5120万円)
判決・・・1972年8月9日(控訴審。判決額1億4820万円)

第1次から第7次までのイタイイタイ病訴訟の原告者数は 515人。三井金属は総額14億円を支払ってすべて和解した


7.1.3.  医師・萩野 昇

 萩野病院(婦中町)の院長。半生をイ病との闘いに費やし、死の間際まで聴診器を手放さなかった医師として有名。

 「終戦の翌年(1946年)、中国から復員した萩野医師は、父のあとの医院を継ぐ。そんな時、年配の婦人が担ぎ込まれてきて「痛い、痛い」と子どものように泣く。黒ずんだ顔、やせ細った体から飛び出したろっ骨、タコのように折れ曲がった手足。脈を取ろうとして腕を持つと、ボキリと折れた。そんな患者が畳にのせられ、次々に運ばれてきた。

 患者たちは苦しみながら死んでいった。「地獄の果てとしか思えない悲惨な現実を毎日目撃する」。苦悶(くもん)の日々が続く。萩野の脳裏には軍医として赴いたフィリピンやマレーの戦地が浮かび、負傷した兵士と患者の姿が重なる。「何としても助けたい」。萩野医師は治療と原因の究明に没頭した。 長男の茂継さんは、朝早くから往診に出かけ夜遅く戻っては研究を続ける父の姿しか覚えていないという。茂雄さんが高校生になったある晩、トイレに起きると院長室から明かりがもれていた。時計は午前3時すぎ。のぞくと一心不乱に文献を読む父がいた。」(荻野医師の手記から)

図 22 荻野医師を拝むイタイイタイ病患者


1961年、萩野医師は神通川上流にあった三井金属神岡鉱業所の廃液に混じっていたカドミウムが原因と確信し、札幌市で開かれた日本整形外科学会でイタイイタイ病は公害病であると発表した。萩野医師の発表は思わぬ波紋を引き起こした。

 「カドミウムなんて言われると、米が売れなくなる」

 「娘が嫁に行けなくなる」 「子どもがいじめられる」

 地元の有力者は医院に怒鳴り込み、住民も反発を募らせた。

 「売名行為だ」 「金を脅し取ろうとしている」

 脅迫の手紙や電話もひっきりなしになり、萩野医師は一時、海外に身を移した。次第に事実が明らかになり、厚生省が荻野医師の研究を支持、裁判も決着したが、学会には異論がくすぶっていた。1975年には「イタイイタイ病は幻の病気か」という記事が雑誌にのり、萩野病院へ再びいやがらせ電話が入るようになった。それでも献身的に治療を続ける萩野医師もやがてがんに倒れた。その後も院長室に寝泊まりし、点滴しながら病院内を巡回し、そのやせ細った姿に患者が逆に「先生、体を大事にして」と励ますこともあったと言われている。荻野医師は1990年、息をひきとる直前まで「おれが死んだら患者たちはどうなる」と気をもんだ。そして、親しい知人には「真実は必ず明らかになる。だから闘い続けるんだ」と言っていたという。

 1998年5月、富山市で開かれたイタイイタイ病に関する国際学会で「イタイイタイ病はカドミウムの慢性中毒」とする厚生省見解を確認した。患者や遺族で組織するイタイイタイ病対策協議会の会長小松義久さんは、

 「萩野先生の闘いは、まだ終わっていない。同じことが繰り返されないためにも、みんなにカドミウム原因説を納得してもらわなければいかんのです」

(富山医科薬科大学医学部公衆衛生学教室ホームページ、asahi.comのMY TOWN富山の中の企画特集-21世紀の語り部たち-「イタイイタイ病に生涯捧げた 荻野 昇その他より一部改編して転載)


7.1.4.  荻野医師と他の人々

 足尾銅山の鉱毒事件で活躍した田中正造、水俣病の石牟礼道子、そしてイタイイタイ病の荻野 昇。悲惨な事件には正義のために身を投げ出した人が登場し、このような人たちの善意と献身のもとで多くの人が救われた。その周りに、全人生を投げ打つことはできないが、精一杯、応援し支援する人たちがいる。そしてその対極に「悪徳企業」「被害者を無視する政府」などが浮かび上がる。

 しかし、物事を簡単な正悪に分類し、冷静な判断に基づかずに魔女狩りをしても患者が失った健康と時間は取り戻せない。社会には悪徳な人もいるが、関係企業に在籍しているから、工場長だから、政府の役人だから、権威のある大学の先生だからという理由で悪徳であるとは限らず、また地位があるからその地位に執着するとも限らない。よく考えれば立場立場があり、その中で正しく倫理的な判断が行なわれている可能性がある。

 「倫理」とは自ら実施するものであり、また自分の価値観を人に押しつけないものである。倫理の黄金律が「人がして欲しいことをする」「人がして欲しくないことはしない」としているのは、あくまで倫理が相手があるということであり、工場長もまた相手である。荻野医師の行為には心から敬服し、感激する。しかし、感激は自分のものであり、それを他人に押しつけてはいけない。他人に影響を及ぼす倫理は常に冷静で論理的でなければならない。論理の出発点が感情であっても、到着点は論理が求められる。


7.2.  カネミ油症事件

7.2.1.  事件の推移

 1968年( 昭和43年 )、北九州(福岡、長崎県)を中心とする西日本一帯で、皮膚、爪、歯茎、眼、全身に黒変や、発疹ができるという奇病が発生した。当時、九州大学油症研究班などにより、患者の共通点から、北九州の製油会社・カネミ倉庫が製造した食用の米ぬか油に、製造過程(脱臭行程)で熱媒体として使用されたカネクロール400(商品名。PCB製品のひとつ)が混入し、この汚染された「食用米ぬか油」(カネミライスオイル)を摂取したことが原因であるとされた。被害者は、福岡、長崎県を中心とする西日本一帯・15府県に及び、翌年の1969年までに確認された油症患者数は1001人、発生から10年が経過した昭和53年(1978)の患者累計数は1684人。急性中毒の死者はでていない。

 事件発生から5年目の1973年に「熱媒体として用いられていたPCBが脱塩化し、塩化水素を発生、それが腐食によるピンホールをつくりPCBが食用油に漏れ出したとの見解が公表された。しかし、その後の調査では、改修工事のミスでPCBが循環パイプの接続部から漏れ出したこと、主要原因物質もPCBよりポリ塩化ジベンゾフラン(熱媒体として長期間高温で使用中に副生)とコプラナーPCBなどの物質も有力であることがわかった。PCBに関する職業病はすでに知られていたが、業務を離れると症状がなくなることが知られていたが、この事件では慢性的な症状があり、複合された障害と考えられる。

 もともとPCBそのものは、1929年に米国の化学企業モンサント(今は遺伝子組換え食品で悪名高い)が製造をはじめた。安定性と電気絶縁性が非常に高いことから、電気的な用途、例えば、トランスの冷却液とか、コンデンサーの絶縁油などに使用された。日本では、1972年に製造中止になったが、それまでの推定生産量は5万6千トン。
1970年11月16日に、福岡、山口など8府県108世帯300人の患者が、福岡地裁小倉支部に、損害賠償請求訴訟(正式:カネミライスオイル民事訴訟)を起こした。

・被 告・・・カネミ倉庫会社、加藤三之輔同社社長、国、北九州市の四者、鐘化
・請求総額・・ 9億7187万円。

 48回口頭弁論が小倉支部で開かれ、国側はPCBと中毒との因果関係を認め、 1951年8月に結審し、1953年3月原告側の主張をほぼ認めた判決が出た。


7.2.2.  別のみかたのまとめ

【7月23日(火)放送 カネミ油症事件・34年目の新事実:NHK首都圏センター】

 青酸カリの1万倍以上の毒性を持ち、ごみ焼却場の大気汚染などで大きな社会問題となっている化学物質'ダイオキシン'。

 34年前、日本で、そのダイオキシンを直接口にするという世界でも類のない事件があったことが明らかになった。これまで食品被害として捉えられてきた「カネミ油症事件」だ。体内に留まりつづけ、全身をじわじわと蝕んでいくダイオキシンの被害。先月末、厚生労働省は被害者の体内に一般人のおよそ17倍の濃度のダイオキシンが留まりつづけているという衝撃的な事実を発表した。事件から34年、ようやく見え始めた「カネミ油症事件」の真実に迫る。

【『黒い赤ちゃん カネミ油症34年の空白』明石昇二郎著 講談社のインターネット情報より】(http://www.bookclub.kodansha.co.jp/books/hon/0210/akashi.html))

「カネミ油症事件は、今から34年前の1968年、「コレステロール減少に最高の効果がある」「皇后陛下も食べているし、美容と健康にいい」などと宣伝されていたカネミ倉庫製の食用米ぬか油「カネミライスオイル」に、PCB(コプラナーPCBも含む)とダイオキシン類のPCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)が混入していたために発生しました。つまり、健康食品だと思っていた油が、よりによって猛毒で汚染されていたのです。そして、その毒入り油を買った人々は、それを使って家族のために唐揚げや天ぷらを揚げ、肉や野菜を炒めては食卓に並べていたのでした。

          
図 23 カネミライスオイル(左)と入院する患者(右)http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2002/0207-4.html)

 カネミ油症の主な症状は、

[1]全身の皮膚や性器にまで及ぶ「塩素にきび」や炎症。そこから出る膿が強い悪臭を放つ
[2]皮膚や爪、歯茎への黒い色素沈着
[3]朝、起きると、目脂(めやに)で目が開かない(マイボーム腺分泌過多)

 などです。他に、全身の倦怠感や頭痛、月経異常、肝機能障害なども見られました。

 中でも衝撃的だったのが、被害者の母親たちからいわゆる「黒い赤ちゃん」が次々と生まれたことでした。母の胎盤を通過したPCBやPCDFが、赤ちゃんの皮膚にまで黒い色素沈着を引き起こしたのです。生後、母乳を通じて「黒い赤ちゃん」になってしまうケースもありました。そして、このニュースは全国に向けて報道され、カネミ油症事件と言えばまず、この「黒い赤ちゃん」が連想されるほど、人々に強烈な印象を植えつけたのです。実際、私はこの事件発覚当時、6歳だったにもかかわらず、「黒い赤ちゃん」のことだけは鮮明に記憶しておりました。

 たとえ事実とはいえ、これほど惨い話を公にすることが、果たして被害者たちを救うことになるのか、私には全く自信がありませんでした。第一、この話を記事にすれば、新たな被害者差別を生み出してしまう恐れさえあったからです。いっそのこと、取材を中止してしまおうか――と考えたこともありました。

 つまりカネミ油症事件とは、「書けないほど残酷な悲劇」なのでした。それと同時に、取材記者である私にまで「試練」を強いるものでありました。というより、「苦行」に近いものだったかも知れません。拙著の中でも正直に触れているのですが、書くこと自体を躊躇してしまうほどの悲劇に遭遇したのは、10数年ルポライターをやってきた私にとっても初めての経験です。

 しかし、そんな意気地のない私を励まし、勇気づけてくれた上に、この悲劇の実態を執筆するよう強く勧めてくれたのは、当のカネミ油症事件被害者たちでした。彼らの中には、自身の名前も顔も明らかにして、今に続く被害の実状を世に訴えることを決意してくれた、私と同世代の人もおりました。」


7.2.3.  被害者は悲惨

 被害者は常に悲惨である。その痛みを行為をする側が自分の身で感じているか、それが「悲惨」であることを理解することである。第二次世界大戦末期、サイパンの米軍第21爆撃隊司令官カーチス・ルメイは1945年3月10日の東京大空襲を敢行した。軍事的に重要な爆撃だったが、彼のとった作戦は東京の下町に民衆を集めて一気に焼夷弾で焼き尽くすものであり、まず先発隊が下町の外側を四角く爆撃し、その中央部に集まった民衆に対して第2次爆撃を敢行した。計画的な爆撃に一次爆撃によってできた四角い地域に閉じこめられた10万人の民間人を虐殺した。この民間人の「殺し方」とナチスによるユダヤ人の殺害とどこが違うだろうか?彼は民間人虐殺で軍事裁判を受けたわけでもなく、その後、アメリカ軍の中で昇進し、後に日本でもっとも功績があった人として天皇陛下より「勲一等旭日章受勲」を受けた。

          
図 24  爆撃をする人(カーチス・ルメイ:左)と爆撃される人(右。これは広島)

 図 24の左の写真で、ルメイが指している腕と棒には、もし爆撃を敢行したら多くの命が失われる事を感じさせない。そして右の写真は原爆の写真であるが、「犠牲者は常に悲惨である」ことが良く分かる。

 そして、このようなことは現在でも起きている。冷戦が終結しても2000年に世界が保有する核弾道は広島型原子爆弾100万発と言われる。技術者は爆弾を作ることができ、技術者以外は爆弾を作ることができない。もし、技術者が平和を望み、武器を作らず、機械装置の安全性を重視したら、社会は変わっていただろう。そして、今まで悲惨な目にあった多くの人たちが幸福な人生を送ったに違いない。技術者は人を不幸にすることも幸福にすることもできる。そしてその言い訳も準備されている。それでも常に「工学は自然の原理を応用して人類の福利に貢献する」ということを忘れず、絶対に軍事や事故、有害物質に対して厳しい態度を貫くべきである。


7.3.  ダイオキシン

7.3.1.  猛毒としてのダイオキシン

 ダイオキシン類は1972年に動物の胸腺萎縮についての研究が最初で、その後、曝露量との関係でT細胞系免疫毒性、微生物感染抵抗性などを中心とした膨大な動物実験が行なわれた。その結果、1)青酸カリなどを凌ぐ「史上最強の毒物」であること 2)動植物や人体に蓄積性があること 及び、3)生殖機能に影響を与える可能性があること とされた。ダイオキシンはそれ以後、世界的にもっとも忌避するべき物質になり、日本でも種々の対策が講じられた。


7.3.2.  毒性が低く、蓄積性のないダイオキシン

 その後、ヒトでは13万人の15-50年にわたるダイオキシン高濃度曝露群(一般人の10倍から10,000倍)の追跡調査が行なわれ、急性毒性、慢性毒性、発ガン性、生殖毒性、神経発達毒性について詳細なデータが出てきた。2002年時点で、これらのデータを全体を見渡すと、モルモットの急性毒性では青酸塩の6万倍の毒性を示すが、ヒトでは高濃度長期間曝露者で塩素座そう以外の急性毒性は認められていない。また発ガン性に関するヒト疫学では100-1000倍の曝露20年以上で一日煙草1本程度(リスク1.4倍)が見られる。

 一日煙草一本という毒性は「毒性がない」と表現しても間違いではないほどの弱い毒性である。それと社会が認識した毒性の間にこれほどの大きな差があるのは何故だろう。第一に、データが不確かなのにそれを確定的なもののように解説する学者やマスコミ、第二にデータをよく確かめずに意見を述べる技術者や医師、そして第三にダイオキシンの毒性について確かめずに装置や分析にはお金になると判断する技術者や企業、の存在である。そこに関係している技術者一人一人には言い訳が用意されているが、全体としては「ダイオキシンは猛毒で、高いお金を払っても排出を阻止しなければならない」という魔女狩り状態になったのである。

          
図 25 スウェーデンの魚介類(左)と日本人の母乳のダイオキシン(右)

 また、ダイオキシンは蓄積性があるとされている。事実、1976年におきたセベソの追跡調査では皮下脂肪の多い女性の方が男性の数倍の蓄積が見られた。しかし、図 25に示したように、環境中のダイオキシンの濃度の現象と共に、ヨーロッパの魚介類(図の左)にも日本人の母乳の中(図の右)のダイオキシンの濃度も減少している。


7.3.3.  ダイオキシン発生の原因

 ダイオキシンは塩素系の化合物を含むものを焼却したときに出ると言われ、焼却炉の運転方法が注目され、大騒ぎになった。しかし、事実は図 26に示すように農薬が原因であり、焼却炉の本格的な対策は2000年以後だがダイオキシン類の曝露量は1970年代から減っている。さらにダイオキシンの毒性との関係では「焼却は環境に問題ない」と結論することができる。

 農薬や産業からのダイオキシンの発生を誰かが隠し、マスコミはそれを知っていて報道を控えたとも考えられる。

図 26  日本人のダイオキシンの摂取量とその原因


7.3.4.  ダイオキシン問題と技術者と社会

 このようにダイオキシンの問題は「毒性が低い物を、史上最大の毒物」と誇大な表現をして社会を不安に陥れ、それを種に「商売にする」ことだった可能性がある。つまり「倫理」をかざして「不正をする」ことも可能なのである。「倫理」というものを一つの武器にして社会を洗脳し、それによって目的を達成した例は歴史的にもあげることができる。今ではヒットラーの単独犯罪のように言われているナチス時代のユダヤ人虐殺も、正義の仮面をかぶっていた。正義の仮面をかぶった悪は、見るからに悪よりも社会に対する影響が大きい。技術者はそのような社会現象に巻き込まれることが多いので、まず第一に社会の動きを良く理解すること、そして第二に必ず技術面から詳細にデータを見て、社会の動きとは一線を画し、自らがデータで判断する習慣を付けることが大切である。


7.4. 社会と倫理

7.4.1.  何が真実を示すのか・・・荻野医師の勇気とは?

 倫理はある特定の人や団体を魔女狩りのように非難することではないということを前節で示した。ダイオキシンの毒性についても、最初に次のような論文を書いた和田先生の勇気は高く評価できる。

 「ヒトの有害性評価は、ヒトのデータによる医学的評価に基づくべきで、動物実験からの数学による計算で算出されるものではない。少なくともヒトは、モルモットのようなダイオキシン感受性動物ではない。また、現状の環境中ダイオキシン発生状況から見て、一般の人々にダイオキシンによる健康障害が発生する可能性はほとんどないと考えられる。」(和田 攻、"ダイオキシンはヒトの猛毒で最強の発癌物質か" 学士会会報、No.830 (2001) )

 倫理とはなにか?勇気とはなにか?マスコミや社会の動きにのって「あいつは悪いヤツだ!」と非難するのは倫理でも勇気でもない。正しいと信じることに自分の力を尽くすことであり、時に多くの人を動員する必要もあるが、基本は自らの行動であろう。荻野医師の行動に私たちが感動するのはそうだからである。


7.4.2.  鉱山と鉱毒

 多くの鉱毒事件や公害事件・・・それは日本の産業の発達と関係している。かつて隆盛を誇った足尾銅山は公害のもとになり、同時に多くの銅を算出した。最盛期には38,000人の人が生活をしていた足尾は、今や10分の1の人口になった。銅山は、資源枯渇とともに日本が鉱業(第一次産業)から工業(第二次産業)へと発展するにつれて滅びたのである。

図 27 昭和17年の足尾銅山

 日本の鉱山に代わって、21世紀の日本の工業資源を担っているのは外国の鉱山だが、その山元はイオウと二酸化硫黄で汚染されている。石油や銅などの天然資源は、人間に有用な物だけを含んでいるものではない。ヒ素、バナジウム、イオウなど有害物質も同時に地下から掘出される。人間はそれを技術力で制御し、有用な物だけを取り出す。

 それでも、完全にはできない。鉱山の近くは今でも環境が破壊されがちである。日本人は一年に7億㌧近くの資源を輸入しているが、日本の資源を輸出する鉱山の近くは環境が破壊されている場合もある。厳しく言えば、日本人は鉱毒を外国に任せているとも言える。

          
図 28 日本に輸出する原油基地(左)と銅鉱山(右)


7.5.  実施者と設計者の責任

 チャレンジャー号の事故ではブースターを製造した会社の技術者が問題になり、実際にチャレンジャー号を打ち上げたNASAは組織的、国際的にはほとんど非難されなかった。一方、カネミ油症事件は装置を設計した会社の技術は責任を問われず、設計された装置を運転した製造会社の工場長が有罪となった。カネミ油症事件を起した会社がいまだに存続していることに驚いている人もいるが、NASAも存続している。この二つの事件を念頭に置いて、実施者と設計者の関係をスペースワールドで起こった事故で考えてみる。

 「北九州市八幡東区枝光のテーマパーク「スペースワールド」で1998年8月、垂直落下型遊具「アトラスタワー」のワイヤが切れ、乗客12人が重軽傷を負った事故で、福岡県警捜査1課と八幡東署は7日、運営するスペースワールド社の当時の保守管理責任者ら計5人を業務上過失傷害の疑いで福岡地検小倉支部に書類送検した。遊具を開発した米国の遊具メーカー「S&Sパワー社」の設計責任者、安全性を審査した財団法人・日本建築センター(建設省の外郭団体)の担当者も含まれ、「設計」「審査」「保守管理」の複合過失による事故と認定した。

 県警によると、アトラスタワー(高さ約56メートル)は空気圧を使ってワイヤ4本でつり上げた座席を急上昇、急降下させる遊具。事故の際は約19メートル上昇した時点でワイヤ1本が切れ、頂点部分まで上昇した後、そのまま落下した。調べでは、ス社の元施設課長らは、ワイヤの通常点検の際、外観の検査に重きを置きすぎたためワイヤの内部が劣化しているのを見落とした疑い。S社の設計責任者は、座席の落下を防ぐ非常用安全装置や停止装置を設けずに事故防止の義務を怠った疑い。評定委員2人は、建設大臣から委託を受けた安全審査の際、ワイヤ1本が破断しても残り3本で座席を支えられると安易に考え、安全だとの評定を出した疑い。調べに対し、ス社担当者と評定委員の計4人は容疑を認めているが、設計責任者は「安全確保のため理論的解析や実験をした」と過失を否定しているという。アトラスタワーと同じメーカーの同種遊具は国内でほかに7カ所の遊園地に9基あり、現在も稼働中。ただし、型によっては安全装置を備えているものもあるという。(毎日新聞、2000年12月8日)」

 近代科学を支えている論理には、一つ一つの真理を積み上げていく「演繹」と経験を積み上げる「帰納」がある。設計とは「自らの頭に浮かんだ着想を具現化する」という作業であり、演繹でも帰納でもない。だから個人の経験は活きるが、属人的であって、これまでの「科学」とはすこし趣が違う。毎日新聞のこの記事は、設計に関する学問的な欠陥を良く示している。設計者は普遍的基準にもとづいていないので無罪であると主張している。

 しかし、設計者が普遍的基準に基づいて居ないからといって倫理責任を問われないことはない。それは犠牲者が存在するという事実から来るものである。事故は企画、設計、運転、検査などそれに携わった人がその過失の度合いに応じて、可能な限り正確に責任を分担することが求められ、それこそが総合的技術に関する倫理である。


7.6.  「無知と未知」そして「誠実と公開」

 水俣病、イタイイタイ病もカネミ油症事件もカドミウムやPCBの毒性を知らないという環境のもとで起こった。ある事業を始めるときに、その事業で想定される社会的影響を十分検討するということは21世紀に入っても実施されていない。たとえば、「生分解プラスチック」というのがある。このプラスチックは自然環境の中で分解されるので自然に優しいとされており、事実、そのまま自然の中に捨てられることがある。しかし、このプラスチック自身や分解されて最後に残る二酸化炭素と水は無害であるが、分解途中に生じる化合物の毒性は研究されていない。つまり、「毒が発生する可能性がある」材料を「環境に優しい材料」としているのが現状である。

 現在でもそのような状態なのに、今から30年以上前で、環境問題自体の経験のない時に、どうして公害を食い止めることができただろうか?「無知」は災害を防ぐことができない。また、工学系の大学を卒業しても十分に工学を知らない技術者も多い。不充分な知恵は災害を招き、それは本当は、もっとも倫理に悖ることなのである。

 一方、水俣病の原因となった新しい製造設備やチャレンジャー号などは「無知」というより「未知」の部分を含んでいる。危険を承知で新しいことにチャレンジすることはこれからも続くだろう。その時、倫理として必要とされることは「誠実」であり、システムとしては「公開」である、というのがこれまで人間が蓄積した知恵である。