はじめに

 運悪く体を壊し、いよいよ手術台の上に体を横たえることになった。自分としては人生で初めての経験であり、ものものしい手術室や忙しそうに動き回る看護婦の様子に緊張が高まる。麻酔医が来て局部麻酔をかける。よほど運が良ければ別だが、私たちは長い人生でそのような経験をすることがある。その時、私たちの願いはなんだろうか?まず、自分の体を執刀する医師が全力を尽くしてくれることだろう。そして看護婦も含めた全員が自分のために準備を万全にし、少しの間違いもなく手術が完了することを祈るに違いない。

 そんな時、看護婦が「あら、チューブを忘れちゃった!」と言ったり、医師が酒臭い臭いで手術室に入ってきたらどんな気持ちがするだろうか?自分に取っては一生に一度のことだけれど、医師や看護婦にとっては毎週、毎週同じことが繰り返されるのだ。時には二日酔いの時もあるし、準備に熱意がこもらないこともあるだろう。でも、そんなことは許されない。

 技術者が航空機会社に勤めて整備を担当している。毎日、毎日、空に飛び立っていく旅客機のエンジンを整備していた。ある日、午後4時になって病気がちだった急に母親の容体が悪くなったと携帯に連絡がはいる。ちょうど、タービンブレードを点検していて、どうも5番ブレードにわずかな亀裂があるような感じがしていた。でも、多分大丈夫だ。これまでの恩を思うと一刻も早く母親のもとに行きたい。もし、この亀裂のことを言うと、タービンに一番詳しいオレは帰らせてもらえないだろう。いいや、多分大丈夫だ!

 航空機は離陸直後、タービンから火を噴いて墜落し乗員乗客188名が死亡した。原因は、タービンの材料が損傷し、その破片でタービンが破損したと事故調査委員会は推定した。

 私たちは技術者として社会に出ようとしている。技術者は「私的なことより公的なことを優先する」ということも求められる。私たちが、バスに乗り、ヒコーキに乗り、吊り橋を渡るときには手術台の患者のように、そのバス、ヒコーキ、そして吊り橋を設計し、整備した技術者を全面的に信頼している。たとえ、その技術者の所属する会社の社長が欲に目がくらんで手を抜きたくても、技術者がそこにいる限りは大丈夫だ。それは大病院にいる医師が、その病院の理事長に命令されても、それよりも患者の健康を優先するということに対する信頼と同じである。

 でも、医師も技術者も人間だ。時に、悪いこともしたくなるし、どうしようもない用事もある。そんなとき、どうすればよいのだろうか?医師は高い給料を貰っているが、技術者は給料も他の人と同じだ。それなのに、なぜ「自分のことより他人のことを大切」と考えなければならないのだろう?そういう時にはどのように考えたら良いのだろうか?それが、この講義の主題である。