真冬のマラソンとランニング



 正月の湘南を東京の日比谷から箱根芦ノ湖畔まで5区のランナーが走る、東京箱根間大学対抗駅伝大会は独特の魅力をもった駅伝である。また箱根駅伝がそれほど人気のない頃、いまから30年も前のことだが、私は良く小さなバイクに乗って走る選手と一緒に戸塚から小田原までついて行ったものだ。

 一区は日比谷から鶴見の中継区間までだが、この区間は駅伝としての面白みはない。普通の20キロ・マラソンのようなものだ。コースも平坦で勝負所と言えば最後の競り合いぐらいなものである。その点、現在「花の二区」とマスコミにもてはやされる鶴見から戸塚の23キロはコースに起伏があり、ここで往路の勢いが決定するところから各大学ともエースを出す。

 私がバイクで選手を追って走っている頃は、まだ車の規制はされていなかった。あまりはっきりとは覚えていないが、警視庁と神奈川県警は「車の規制をしないという条件なら箱根駅伝を認める」と言っていたように覚えている。ともかく、そのような中で駅伝は行われていた。保土ヶ谷駅前から権田坂、そして戸塚の中継点まで2,3キロの地点は、道も狭くなり、選手も青息吐息になる。現在と違って組織的、運動学的な訓練を受けていない当時の学生はたびたび「ブレーキ」を起こして全く足が動かなくなることがあった。

 「みーやーこーの、せーいーほーおく、早稲田ーの森にー!!」

 選手の後ろについた監督者からがなり立てるような応援歌が響く。
「イッチニ、イッチニ」
 とかけ声がかかる。
「そら、いけるぞ、いける。そうだ、そうだ。イッチニ、イッチニ」
と監督者も必死だ。それに答えようと蒼白な顔をした学生がよろよろと走る・・・そんな光景だった。

 戸塚前の狭い国道に差し掛かると前方に車が渋滞して選手の行き手を遮っている。最初に私がそのような場面にぶつかったとき、選手でも関係者でもない私自身がオロオロしたものだ。せっかく必死に走ってきたのに、暫く車の渋滞の後について走らなければならないのか!とビックリしたのだ。

「歩道っ!歩道っ!」

と監督者から声がかかる。選手は車道から素早く歩道にはいり、車の渋滞を避ける。
 
 三区、四区は湘南の風を受けながら平坦な街道をひた走り、箱根の山にかかる。私は箱根を選手と一緒に登ったことはない。当時の山登りは道路が狭く、ガードレールが整備されていなかったので、国道といっても本当に山道だった。

 少し前には、箱根の山登りと山下りは寂しいもので、選手が一人で黙々と走った。現在のようなスピード駅伝と言う概念が誕生したのは昭和50年代の終わりで、それまではマラソンや駅伝は「持久戦」だったのである。とぼとぼと走る学生はまだ20歳前後。寒く暗い山道を走っている間に心細くなり、民家で暖まったり、応援してもらったりしながら走ったものだった。

 その頃の箱根の山登りの出で立ちは、今で言うTシャツのような長袖でかなり防寒にも気を配っていた。箱根は寒い。そこを1時間以上も走るのだから、ランニングのようなものでは凍死してしまう・・・そう考えたのだ。

 ところが最近の箱根駅伝の箱根の山登りは、全大学がランニングになった。日比谷から鶴見の間の1時間でもランニングでジッとしていたら凍死の可能性がある。それなのに箱根をランニング!?それで汗をかいているのだから不思議である。

 実は、この「ランニング」と「途中の給水」というのは密接に関係している。

 これも昔話で恐縮だが、スポーツをしている間に水を飲むなどということは、まったく許されなかった。ノドがからからに渇き、隠れるように一瞬だけでもと思って蛇口に口を付けると
「ばかっ!」
と先輩に叱られたものだ。

 でも今は様変わりになった。箱根駅伝ばかりではない。プロ野球でもサッカーでも、そしてオリンピックのマラソンでも途中で給水することが普通で、むしろ給水が一つのポイントになるようになった。

 不思議に思っている人はいないのだろうか?ランニングで零下の雪中を走っても凍えず、途中で水を飲んでも横っ腹が痛くならない。どうしたのだろうか?

 よくスポーツの解説などには
「汗をかいて体の水を失うので、それに見合う水を採ること。」
と書いてある。この説明が正しいのかも知れないが、私のように工学を学んだものには奇異に感じる。

 「走る」というような行為を、熱力学では「仕事」という。「仕事」という表現もおかしいが、英語でworkという用語を使って発展してきた学問なので、そのまま輸入されている。仕事をするには「熱源」がいる。高い温度のところから低い温度に熱を移動させて、仕事をする。仕事をすればするほど、多くの熱を捨てなければならない。

 人間の体重は170cm, 60kgの体重の人で、平均1.7m2程度の体表面積となる。その体表面から熱を外気に移動させ、その移動によって仕事、つまり走ることができると言うわけである。しかし、移動させた熱がそのまま仕事になるわけではない。さらに制限があって、体温(高熱源)から外気(低熱源)の温度差が少ないと、無駄な熱の移動が起る。

 理想的な場合、体温が37℃の時、外気が30℃、20℃、10℃、0℃の4つのケースの時、どの位の熱が有効に利用できるかを計算してみた。





 表を見慣れない人はすこしわかりにくいかも知れないが、外気が10℃の時には体から出る熱の内、仕事として使われる熱はたったの8.7%、つまり1割にもならないのである。後の9割以上はみんな無駄な熱となって捨てられてしまう。

 「そんな馬鹿なっ!」と怒る人もいるだろうし、「それしか、走るエネルギーにならないの?」とがっかりする人もいるだろう。でも、「効率」というのはそういうもので、体の中で栄養分を燃やしても、それが全部、利用されることは無いのである。もっとも、この表の数字は「理想的な場合」であって、いわば最大値だから、実際に外気温が20℃の時に有効に利用される熱は5%にも満たないだろう。

 駅伝で走るスピードは、「熱を多く出した方が早くなる」ということになる。つまり、外気温が決まっているので、選手によっては多く熱を出した選手はそれだけ多くの仕事ができるので、早く走ることができるという訳である。でも体温は決まっているし、外気も同じなので、結局、体の熱を捨てやすい格好をしている方がタイムがよいということになる。

 だから、駅伝の見物客は毛皮の襟がついたコートを着て震えているのに、選手はランニングの方が良い。そして手首まである厚手のシャツよりランニングの方が放熱が多いのでさらにタイムがでる。ときどき、給水所で水を体にかける。そうすると体から逃げる熱がさらに増えてスピードが出せるという理屈である。

 汗をかくのは体の熱を奪うために水の蒸発熱を利用するわけで、何しろ、蒸発熱というのは膨大なので、水を1℃だけ冷やそうと思ったら、その540分の1ほどの水を蒸発させれば良い。つまり、体温が上がってきて体重54キロの人が、その体温を1℃下げたいとすると、100グラムの水を体から蒸発させれば良いのだから好都合だ。

 かくして、駅伝やマラソンのランナーは水を飲み、水を体にかけ、真冬の箱根地をゴールに向かってひた走ることになるのである。

 実はここまでは物理学の勉強で、さして問題はない。しかし、時に変なことが起る。水を取り損なって熱中症になることがある。訓練された選手の場合には走るスピードがグンと落ちるとか、酷くなると道路の端から端へとフラフラしながら夢遊病者のように走り出す。

 素人の場合には症状が進んで、時には市民マラソンで犠牲者を出すことがある。本来、自分の体のことは自分の責任ではあるが、昨今のお世話社会では主催者の不祥事にも成り、その大会自体が中止に追い込まれることもある。

 だいたい、マラソンなどと言う行為は人間の活動としては正常ではないので、危険はつきものである。何千人という人が炎天下で走れば犠牲者もでるだろう。みんなそれも覚悟して走っているのだから仕方がない。

 でもなんで死ぬまでになるのか?と考えると「マラソンとランニング」の関係は人間の深い部分に関わっていることが判ってくる。人間の体にはいつでもエネルギーとして使える脂肪が皮下に蓄積されている。マラソンのような異常な状態に陥ると人間の体はその異常事態に備えて、皮下に貯蔵していた脂肪を動員し、それも燃やしてエネルギーを獲得しようとする。

 なにせ、マラソンを走ろうとしているのは、その人の体そのものではなく、「脳」である。もちろん、動物としての人間の体は走りたくない。動物というのはもともとサボりで、餌を採る必要でも無い限りには、筋肉を使ったり、まして何時間もフーフー言いながら走ったりすることなどない。

 アフリカの草原をドウドウと音を立てて走り去るヌーの群れは餌を求めて移動しているに過ぎない。ライオンやチーターは獲物を追うときには全力を出すが、決してそれ以上のことはしない。ライオンが給水しながら獲物を追うなどということはないのである。

 人間の脳は幻想を生み出す。マラソンという幻想がギリシャ時代にできると、この幻想が無くなるのには1万年ぐらいかかるだろう。かくして、皮下脂肪を燃やしながら人は走る。

 ところが皮下脂肪の燃焼速度と体の表面から蒸発する水の量の間には直接的な関係はない。皮下脂肪が燃えるときに、体の表面と相談したり、外気温を測定したりしない。脂肪を血中に出し、分解しながら二酸化炭素に変えて熱を出しているだけだ。熱があがれば外気との温度差が大きくなるので、結果として放熱が大きくなるが、それはあくまで結果であって最初から体が意図したものではない。

 箱根の山をとぼとぼと登っていく学生のスピードが遅かった昔は、脂肪の動員量も少なかった。だから学生は長袖で厚手のシャツを着て、ゆっくりと体の脂肪を燃やしながら走っていた。その当時は「寒い」ことがあっても、決して熱中症になるということはありえなかった。

 でもスピードが上がってくると脂肪の燃焼熱が放熱量を上回る。それでも表に示したように効率はそのごく一部しか使われないので、さらに脂肪を燃やそうとする。後ろからは監督の怒鳴り声が聞こえてくるし、第一、肩に掛けた"タスキ"は所属する大学を識別する単なる布きれではなく、母校の伝統を担い、ズッシリと重たい鉛のベルトに替わっているのである。

 選手はひた走る。すでに脂肪は限界を超える速さで燃焼し、その熱によって体温は上昇する。でも外気温はそれほど下がらず、放熱は思うようにいかない。でもこの1キロはどうしても3分10秒で走りたい。練習の時にはかるく3分すこしで走ることができたのだから、この晴れの舞台でその成績を出すことができなければ、これまでの努力は水の泡だ・・・

 選手の脳は体に言い聞かせる。脳はそう思えばそう思えるが、体は物理法則に従っている。走れと言うからそのためのエネルギーは燃やすが、その熱を奪うのは外気だから思うようにならない。かくして選手の体の温度は徐々に上昇し、ついには制御が出来なくなって熱中症に陥る。

 素人でもそうだ。ましてマラソン大会などとなると、のんびり走ろうと決意していてもついつい普段のスピードより速くなる。それでも人に負けたくない、自分のタイムを更新したいと必死になる。まったくばかげた努力である。

 人の脳は哺乳動物の平均的な脳の情報量より100倍から1000倍の情報量を持つ。あまりに多い情報量は体の叫びを聞くことができないほどの幻想を生み出す。

 心身症という病気がある。もともとあった病気だが、日航のパイロットがこの病気にかかったまま旅客機を操縦していたいので、ついに羽田空港に着陸する寸前に発作を起こし、「機長、機長!」と必死に叫ぶ副操縦士の叫びを振り切って、逆噴射レバーを引き、旅客機は墜落した。

 それ以来、「逆噴射」と「心身症」はともに時代の流行語となり、心身症は定着した。心身症とは体がある変調を来したり、耐えられなくなったりしているのに脳が体に指令してさらに何かをさせようとする。体は抵抗し、ついに脳が命令しても動かないように病気になるというものである。だから身体的な原因で病気になるのではなく、脳の病気で、症状だけが体というやっかいなものである。

 この心身症の治療に当たるのは、心療内科という専門の内科で、内科とは言うが治療の実体は精神療法である。それも当然で、もともと頭脳の下の体には何の問題もないのだから、薬は効かない。脳が体に素直になるように説得するだけである。

 マラソンの熱中症も、逆噴射で有名になった心身症もともに脳の亡霊、幻想が生み出したもので、やっかいだ。そして熱中症の場合は、熱力学や運動論が頭に入っていないと自分の状況を把握出来ないので、さらに混乱し、精神論に陥り、ついには自分を破壊し死に至る。

 心身症も辛いし、熱中症も時に生命が危険になるほどであるが、それでもその影響は個人に止まる。それに対して、人間社会全体を覆っている心身症は人類全体を滅亡させる勢いで進行中である。

 人間社会が自分の体の出来事を実感していた時代はいつ頃までだろうか?旧約聖書や古代の遺跡に残った僅かな記録をみると、それは今から10000年ほど前、つまり四大文明が発祥して都市が誕生する頃だったと思われる。その前までは人間は小さな集団で生活し、おそらくはその構成員の体に感じた事がそのまま部落の習慣として作り上げられていたと想像される。

 しかし人間が大きな集団を形成するようになると、たちまち人間の脳の幻想能力が影響を発揮した。その一つがエリコの遺跡に残る殉死である。王様が死ぬと、それまで使えていた多くの召使いや近衛兵が王様の死に殉じて死ぬ。時には生きたまま埋められることもあったと言うが、おかしな話である。

 所詮、王様などと言ってはいるが、同じ人間であり、一寸したことで普通の人になる、そんな存在である。そのこと自体は当の王様もまた殉死しなければならなくなった従者もともによく知っているが、王様の死によって形作られた幻想の中で、頭の作り出したものから逃れられず、重度の心身症に陥って殉死をする。

 それ以来、人間はこの幻想と戦ってきた。戦いの歴史は旧約聖書に詳細に記録されており、中国では老子が、インドではガンジーが、強い警告を発している。イエスにしても老子、ガンジーにしても心身症を治療しようとしている心療内科の医師のようなものであるが、患者である人間社会はそれに応じようとしない。

 かくして、ヨーロッパ中世にはカルヴィンやマルチン・ルッターが登場し、幻想に拍車を掛ける。彼らの幻想は「神が見ているから働け」というものだったが、イエスが人間社会の幻想をよくわかって布教していたのに対して、この二人は弟子というのにイエスをよく勉強せず、自分の脳に浮かんだ幻想を人間社会に広めた。

 しかし、エリコ以来、精神的な幻想はたびたび試みられ、それが禁欲であったり、隠遁であったり、また時には勤勉であったりもした。でも1000年を超える中世ヨーロッパの精神的抑圧は強く、それがバネになってカルヴィニズムは忽ち、ヨーロッパ精神会を席巻する。

 続いて起った産業革命は、精神活動の幻想を現実のものとすることができる具体的な力を与えるものだった。ちょうど、それは母校の伝統を支えようとする幻想に取り付かれた箱根駅伝の主将が持続性のある強靱な脚力を手に入れたと同じ状態になったのである。

 それからの人間社会は東京箱根間で優勝し、記録を更新する以外の目的を持たない存在となった。ヨーロッパはひたすら高効率な工業社会を作り出し、その影響をアジア・アフリカに及ぼした。幻想は欧米化という形で日本にも訪れ、長く島国での豊かな生活を楽しんでいた日本人を目的のないゴールに向かって突き進む集団と化したのである。

 今や、物質文明はその限界に達し、このまま増産、省エネルギーを続けていくと人類が破滅する可能性を議論しなければならないところまで来た。それでも人間社会の脳は休むことを指令していない。