「フォール・アウト」評


 2001年9月11日、そびえ立つマンハッタンの貿易センタービルに二機のボーイングが突入した。燃え上がるビル、飛び散る破片、落下する人間・・・次々とテレビ画面に映し出される光景はやがてビル全体が崩壊するという凄まじい結末となって終る。全てのものが地上に叩きつけられ、そこから湧き上がる粉塵が猛スピードで逃げまどう人々を追う。

図 1 毒物を規制値の数万倍含む工業コンプレックスの崩壊

 しかし、あの瞬間に崩壊したのはコンクリートだけだったのだろうか?実は、それはこの事件のほんの一部のことに過ぎなかった・・・もっと恐ろしい破壊、環境破壊が同時に起きていたのだという事実を「フォール・アウト」という本が示す。著者はニューヨーク・デーリー・ニュースのコラムニストでジョージ・ボーク・ジャーナリズム賞の受賞者ファン・ゴンザレスであり、彼の取材と熱意がテレビ画像に写せない真実を描画している。

 序章では、もうもうたる砂塵が消え、ホイットマン米環境保護局長官は「もう空気は安全だ」と宣言する最初の一週間が描かれ、第一章から砂塵の中に潜んでいた毒物・・・アスベスト、鉛、水銀、そして二○万ガロンに及ぶ油の火災による毒性物質が次第に人々の体を襲っていく様がドキュメント・タッチで描かれていく。そして終章にいたり、隠そうとする人たちと戦う著者、支援するヒラリー・クリントン上院議員へとつづく。

 事実を追う前半と「黙殺・嘘、そして隠蔽」が渦巻く後半・・・あの事件の真の影響がなんだったのかをこれまで全く触れられていなかった視点が展開されていく。
 
 工業製品に含まれる毒物は許容値の数万倍、そして火災などによって新たに生み出される有害物は増えるばかりだ。それが貿易センタービルの倒壊と火災によって一気に「事実」となりグラウンド・ゼロ(爆心地)からのフォール・アウト(死の灰)として降り注いだ。

 イラク戦争が終り、9月11日の事件も風化するように見える。しかし本著に描き出された事実はテロの一撃が現代社会の深部を抉り、拡大していくであろうことを予想させる。

 日本ではどうだろうか?

 有害物質は2つの過程で生産される。第一には天然資源あるいは人工資源の中にもともと含まれる有害物質を精錬やリサイクルなどの手段で濃縮・同伴することであり、ヒ素の製造などがそれに相当する。第二は製造中あるいは使用中に新たに有害物質が発生する場合である。

 本稿で使用する「生産」「有害物質」及び「使用・拡散」などの概念はこれまでの工業社会で使用される概念と違う。それは現代工業化社会に於ける物質循環はまだ人類が経験していないことであり、そこでは新しい現象が起こるからである。

 第一に、本稿で言う「生産」とは、工業製品として生産されることだけを意味せず、人間の活動で人間社会あるいは自然に拡散する現象を意味する。たとえば、銅を採掘するときに地中から硫黄が同伴し、その硫黄の「使い道」がなく廃棄する場合でも「硫黄の生産」とされる。これは「人間が文化的生活をするために、副産物を廃棄して有用物だけを社会に持ち込む方法」と「人間を含めた環境全体に注目して行為を選択する方法」の概念の違いから来る。これまで「不要な物」が「生産」ではなかったのは、それが人間に役に立たないという理由であるが、環境という視点では考察の対象を人間の利得だけに絞ることが困難だからである。また、生産に代わる新しい用語を使用することも考えられるが、混乱を避けるために本稿では生産とした。

 第二にこれまで「有害物質」とは、主として人体に対して有害なものを意味していた。人間の活動が自然に大きな影響を与えることが少なかった第二次大戦以前、あるいはレイチェル・カーソンが「沈黙の春」で人工物の自然に対する影響を指摘する以前は、人間社会の活動がヒト以外の生物へ影響することは考慮されていなかった。これに対して、表 1の縦軸に示したように循環型社会では、「生態系や自然に損害を与える可能性のあるもの」「循環物質を劣化させる可能性があるもの」が有害物質として認識される(i)。

 すなわち前者は、循環型社会を構築する目的の一つとしての自然環境保護として、また後者は再利用する場合の材料としての価値を考慮に入れなければならない。地球環境保全という視点からの「有害物質」という概念は、「ヒトに対して」ということから「ヒト、ヒト以外の生物」及び「ヒトが使用する材料および非生物」に対する有害物にその概念を拡げることが求められている。
 
 また第三には、毒物の発生する過程や時期などの時間的な観点である。非循環型社会においては主として鉱業・製造業において有害物管理が行なわれるが、循環型社会においては表 1に示したように「自然を含めた全循環」と、「人間社会の循環に限定した人工循環」の区分も必要となる。

 以上の考察に基づき、それぞれの項目について具体的な元素・化合物などについて表 1に羅列した(ii)。


表 1 循環型社会で蓄積が予想される有害物質

 循環型社会における有害物質の蓄積では、「有害物質の拡散」が特徴的である。非循環型社会においては少なくとも論理的には製造工程、または使用中に発生した有害物質は焼却炉などで適正に処理され、管理された廃棄物貯蔵所に格納される。これに対して循環型社会では本来有害物質を含まない製品が使用や回収過程で有害物質を含むことがある。

 たとえば生体に対する有害物質(毒性物質)の例では、蛍光灯、目覚まし時計のようなものがある。水銀が含まれる蛍光灯は製造時に「ガラス」という非毒性物質に「水銀」という毒性物質を密封することによって全体としては毒性を持つ。この製品は使用中も有害製品であり、かつ破損したり回収するときには全体が有害となる。毒性元素を含む電池を内蔵した目覚まし時計も同様で、この場合は製品構造としては一体化していないが、現実の使用状況では製品自体が有害で、回収時に時計本体と電池伴って回収されることが多い。

 2000年近傍に於ける元素系毒性物質と、それを含む工業製品をリストし、その回収状況を調査すると、表 2に見られるように自動車用鉛バッテリーを除く拡散性有害物質の多くが回収されていない可能性が高いことが判る(iii)。

表 2 有害(生体)元素の拡散状況

 また有害物質の内、循環により他の材料に混合し、有害物質(劣化物質)に変化するものもある。後の節に示すスクラップ鉄中の銅や、polystyrene/ polyphenyleneether以外の高分子材料などがその例で混合による損害(劣化)はプラスチック全体の99.7%と計算される。廃棄直前までは社会に有用な物質が回収過程で混合した場合、劣化物質として働くという循環型社会の特徴を示している[iv]。


対象図書

ファン・ゴンザレス著、尾崎 元訳、「フォール・アウト」、岩波書店


参考文献
i)  那須昭子、行本正雄、武田邦彦、化学工学会誌 vol.28, no.5, p.501-512 (2002)
ii)  武田邦彦、「リサイクル汚染列島」、青春出版 (2000)
iii)  廃棄物減量化のための社会システムの評価に関する調査研究、クリーンジャパンセンター、p.83,平成11年3月、及び製品量については電池工業界http://www.baj.or.jp/total/index.htmlより1997年度の販売個数に換算。また自動車用鉛蓄バッテリーの平均重量はhttp://homepage.mac.com /sunx/tanpin.htmより。
iv ) 武田邦彦、日経新聞、書評、2003年05月04日