奇跡に対する私の考え方


 この世には多くの奇跡の物語があります。神様がたすけてくれた話、どうしようも無くなったときに救ってくれた奇跡の話が多くの残されています。このような奇跡の話は現代の科学の知識から「おかしい」と思われて「奇跡なんか起こるはずがない」という人もいます。

 でも、私たちの判断力や知識はそれほど確かなものでしょうか?19世紀のおわり、1899年12月31日にアメリカ合衆国特許庁長官が次のような演説をしています。

「今や、人類が発明すべきものはすべて発明した。発明の世紀である19世紀がおわり、20世紀はそれを利用した社会が訪れるだろう」

 ところがその3年後にライト兄弟が初飛行に成功し、5年後にはアインシュタインが相対性原理を発表しました。20世紀は新しい発見の時代であり、決して人類の発見が終わったわけでは無かったのです。

 この例でも判るように私たちのもっとも大きな欠点は「自分が知っていると錯覚すること」、「自分の考えが正しいと思うこと」でしょう。「奇跡は無い!」などと私たちは断定的に言えるほど、多くの知識も判断力もありません。

 また、奇跡には別の意味があります。もし自分の最愛の人が遠い異国で思い病気になったとします。すぐにでも駆けつけて看病したいのですが、遠くの国なのでそれができません。そんな時、今まで奇跡など信じても居なかった私は、旅行の準備をしながら奇跡を祈ります。

「神様、どうか、助けてください!御願いします・・・」

 人間にはどうしようもないことがあります。しかし、それもある意味では解決します。その解決をもたらすもの、それが奇跡である、奇跡を信じることである、と私は思います。