私たちはもはや日本人ではない


 渡辺京二さんの「逝きし日の面影」という本から抜粋する。

 「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心をもたないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない。」

 これはオランダから幕末に日本に来た技師カッテンディーケの記録だが、彼の感想の中には世界で日本だけが特別な文化を持っていたことがわかる。

1. 「他の東洋諸民族」とは・・・「もちろん、西洋とは違い」という意味で、西洋諸国はきらびやかなことが良いことだと信じているからお金があるとすぐ豪華絢爛な宮殿を造る。これに対して日本は東洋諸民族とも違い、贅沢に執着心を持たないという意味である。

2. 「非常に高貴な人々の館ですら」とは・・・「お金と権力があっても」という意味で、普通、「私はこれで良いのです」などといって倹約していても、それはお金が無いからで、実際にお金や権限を手にすると俄に派手になる人がほとんどである。これに対して江戸時代の「非常に高貴な人々」はお金や権限があっても「簡素、単純きわまる」生活をしていた。実に尊敬すべき人達だった。それに引き替え・・・とは言いたくないが、私などはそれほどのお金も権限もないが、それでいて家にはソファを買ったり、貴族のフリをして喜んでいる。

 日本人はお金持ちになっても、奢侈贅沢には興味が無く、簡素、単純きわまる家に住み、精神的満足を物質に求めなかった。世界で日本だけがそれを成し遂げたのである。現在の環境問題は世界中が「日本以外」の文化に染まった結果に起こったことである。お金があり、生産活動が盛んになれば使えるだけ使う。それは奢侈贅沢に執着心があるからであって、日本人の感じるところではない。

 わたしたちはもはや日本人ではない。

 「鍵を掛けぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りをしても、触っていけないものは決して手を触れぬ。」

 この文章は江戸時代にたびたび日本を訪れ、大森貝塚の発見者としても良く知られるモースの回顧録「日本人の住まい」の中のものである。日本人は本能的に「してはいけないこと」を知っており、それを「しない」という勇気を持っていた。だから、「日本人の子供や召使い」は貧乏であり、教育もされていないという意味だが、それでも、しかも一日数十回の誘惑があっても、「触っていけないものは決して手を触れぬ」だったのだ。

 わたしたちはもはや日本人ではない。