ご婦人とイヌ

 あるご婦人がダイエットを始めようと決意した。男性にとってはふくよかなご婦人というのは魅力のあるものだが、女性から見ると逆らしい。

 その婦人は早速、毎日散歩をする計画を立てたのだが、一人で散歩をするのも味気ない。第一、ご近所の人に会ったらなんと言ったらよいのか・・・ダイエットというのもイヤだし、きっと理由を聞かれるだろう・・・

 かくしてご婦人はイヌの販売店に行く。昔はイヌはご近所や知り合いからもらう物だったが、今ではブリーダー(繁殖業)の人が計画的に繁殖させたイヌが販売されている。

 時には「特売」「お買い得」などという宣伝で売られることもある。これはブタやウシなどの家畜でも同じだから、イヌのブリーダーだけのことではないが、少しでも多くの子どもを生ませようとして、繁殖期の終わった母親はぼろぼろになることもある。

 ともかく、そのご婦人はイヌを買い求め、可愛い首輪と上着を買いそろえ、颯爽と散歩にでかける。

 最初の2,3日は計画通りに進んだ。1時間ほどイヌと散歩すると、今まで目につかなかった街の様子もわかるし、第一、散歩した後にシャワーに入るとその気持ちよさは答えられない。

 ご婦人は雨でも降らない限り、毎日毎日、ポチをつれて散歩に出かけていた。

 異変は1ヶ月ぐらいたった時から現れた。まずダイエットに成功し始めたと思ったら、かえってウエイトが高くなってきたのだった。散歩をするとお腹が減る。肉体労働なのでついつい甘い物に手がでるのである。

 街の様子も飽きてきた。最初はあれほど新鮮な感じがしたのに、今では同じ景色に腹が立つ。それにご近所の人に会うのもやっかいだ。人が楽しんでいるのに、「毎日、ご精がでますね」と言われるぐらいなら良いが、「体重はどうですか?」に至ってはまったくイヤになってしまう。

 ご婦人は2ヶ月で散歩を止めた。もう耐えられない。

 そうなると次に困るのはイヌだ。散歩にはイヌが必要だったが散歩しないということになると、家の中は汚すし、餌も用意しなければならない。家族の食事の準備だけでも大変なのに、イヌまで面倒を見たくない。

 かくして3ヶ月目、ご婦人は保健所に電話をした。ポチはほどなくして保健所に「保護」され、その10日後にガス室に送られた。

 日本で一年にガス室に送られる飼い犬は実に40万匹、ネコは30万匹を数える。少し前なら野良イヌや野良ネコが捕獲されて保険所でその最後を遂げたが、いまではガス室に送られるイヌやネコは飼われていた家族の一員である。

 私は時に薬殺され、最後の弱々しい悲鳴を上げるガス室の映像を学生に見せる。かなりの学生が涙を流し、その無惨さに憤る。でも知らない。彼らは現実を知らないのだ。

 自然との共存、命を大切にする教育と言われるがそれは架空のお題目である。私たちの心はバーチャルで現実と離れた幻想で構築されてきた。

 今の日本の都市は完全に舗装され、各家庭にはエアコンがつけられて、今や「冷房病」という病名を知っている若者は少ない。

 舗装はその下になる何億という動物や植物の根を根絶やしにする。今や東京、大阪、名古屋という大都市で命の息吹を感じることはできない。そこは不気味なほど人間とその人工物によって占有されている。

 私はある美術大学の非常勤講師をしているが、私が講義を始めた最初の年、「環境に優しい街」という題材で学生にデザインをさせたら、ビルに壁にツタが絡まっているもの、日の当たらない中庭に植えられた樹木が描かれた。それは違うのだ。

 首輪をされたイヌ、街路樹も含めて人間の手の中にある動物や植物は奴隷である。奴隷を見ても本来の人間の心は安まらない。首輪をしたイヌはイヌではなく、ビルに絡まった植物は生き物ではない。

 「人間」という生物種にとって「人間」が一番大切なのは仕方がない。しかし、地上の命という点では人間も動物も植物も、そして微生物も同じ命である。散歩がイヤになったからといってイヌをガス室に送るのはもちろんのこと、舗装された道路を歩くとき、私たちはその下で死に絶えた生物に思いを馳せたい。

終わり