残留農薬

 日本人の多く、特に台所を預かる主婦の方は、野菜や果物に農薬がついている、残留していると思っています。だから、家族の健康のために野菜や果物は必要ですが、買ってきたら必ず十分に水であらい、時には表面の皮は捨てなければ心配だ、という人もおられます。

 日本には1億2000万人ほどの人が住んでいますので、その中には人一倍神経質な人や、心配性な人がおられますし、事実、体質的に農薬などの化学物質に敏感な方もおられます。そのような人の中には野菜を買ってきたら、農薬が心配だから洗剤で洗うという方も見えます。

 そこで、ここでは日本の野菜に残留している農薬がどの程度、危ないのか整理をしてみたいと思います。このシリーズでは遺伝子組換え作物以外は、今のところすべて安全、OKとなっていますが、行政にも、業者にも、環境運動にも左右されないで、真に毎日、野菜を食べる人の立場で整理をしていきたいと思います。

 まず、どうして残留農薬というのが危ないと言われるようになったかということを解説します。

 もともと農薬というのは人間が育てる食物に害虫や病気が付くので、それを防ぐ目的で使われ始めました。歴史は古く日本でも江戸時代のはじめにどのような農薬が使われていたのかも判っていますが、長い脱線になるのでここでは割愛します。

 農薬が大きな問題になったのは、第二次世界大戦後で、特にDDTやBHCという画期的な農薬が発明されてから後のことでした。DDTやBHCについても詳細は別の機会に整理をしますが、第二次世界大戦後に使われるようになった新型農薬は素晴らしい効き目だったことが裏目にでて、大規模、無制限に使用されました。その結果、人体にはさほど有害ではないのですが、自然を破壊するということで規制が行われるようになったのです。

 問題になったDDTやBHCは害虫だけに打撃を与えるものだったのですが、パラチオンという殺虫効果と速効性のある農薬が開発され、これが昆虫ばかりではなく人間にも相当な打撃をあたえるものだったのです。パラチオンの中毒事件が起こり、それにレイチェル・カーソンの「沈黙の春」などの著作の発表が続いたために、FAO(国連食糧農業機関)やWHO(世界保健機関)などが中心となって国際的な規制が開始され、さらに日本では1971年に農薬取締法が改正され、急性毒性や残留性の高い農薬は禁止になったのです。

 DDT、BHC、パラチオンなどの有力な農薬は一斉に販売禁止、使用禁止になりその姿を消したのです。

 現在の日本に住んでいる私たちが口にする野菜に含まれる農薬は、現在の日本で認められているものですから、現在の日本でどのような農薬が使われているかを整理してみます。

日本で使われている農薬は、化学物質の種類でいうと380種類で、同じ化学物質でも会社が違うと製品が違いますから、その数で数えると5500種類ほどになります。現在、使われているこれらの農薬は、次の3つの条件を満たさなければなりません。
1) 人間に対する急性毒性が低いこと
2) 環境中で分解されやすいこと
3) 目的とする病害虫や雑草の駆除には役立つが、その周辺にいる生物にできるだけ影響を与えないこと

 農薬がある程度の毒性を持っているのは仕方がないことです。害虫や雑草といっても彼ら自身は生物として一所懸命生きているのですから、害虫や雑草から言えば、人間こそがこの地球を汚染する問題の生物かも知れないのです。でも、人間から言うと害虫は害虫、雑草は雑草なので少し死んでもらわなければならないのです。

 まず人間との関係では農薬の「半減期」が問題になります。もともと多少の毒性があるのは仕方がないとして、収穫して食卓に上るまでに分解して無害になってくれれば良い、というのが「易分解性」です。普通は土壌中で1ヶ月で半分になる程度のものが使われています。代表的なものを下の表に示します。

 上の表で「最大半減期」と書いてあるのは、いろいろなデータのあるうちで一番、長い半減期を整理したものです。半減期とはその農薬が最初に使った時の半分になる時間のことで、たとえばフェンチオンは畑の中では20日の半減期を持っていますから、20日たつと半分になります。

 半減期は半分になる時間ですから、それだけで完全に安心することは出来ません。でも現実的には半減期でおおよその危険性を判断することが出来ます。たとえば半減期が20日の場合には、20日で半分になり、それからまた20日たつと4分の1に減少します。農薬が多少、多く付いていても4分の1にもなれば安全性は格段に増加し、普通の状態では障害が出なくなります。

 このように農薬と私たち、人間との関係はおおよそ判りました。でも人間だけ安全でも畑にいる生物を皆殺しにするのはかえって環境を破壊します。そこで、人間が駆除しようとする害虫だけを取り除くというのが理想的であるのは誰でも考えることでしょう。そこで「ピンポイント攻撃」をする農薬が研究されてきました。ノーベル賞をもらい、人類最大の発見と言われたミュラーのDDTは1939年に発見され、ピンポイント攻撃農薬の最初のものでした。

 今では、たとえばある害虫を駆除する殺虫剤は脱皮するときに作るキチンという化学物質の合成を阻害するとします。そうすると昆虫は脱皮しなければ成長しませんから、結果的に成長ができず死んでしまいます。でも昆虫以外で脱皮しない動物はやられません。

 このように昔の農薬に比較して現在の農薬はずいぶん安全になりました。その事を示すデータを次の表に示しました。農薬をラットに与えたとき、どのくらいラットに食べさせると半分のラットが死ぬか(LC50)、それを1971年と1999年で比較したものです。

 安全性をラットのLD50だけで比較することはできませんが、目安としては約2倍ほど安全性が高くなっていることが判ります。実はこの表はなかなか奥が深いのです。単にこの30年間で安全性が高くなったということもできますが、逆に言うと30年前は現在より2倍も危険だったとも言えるのです。

 このように考えますと、有吉佐和子が「複合汚染」を書いた1978年には日本の畑では欧米の約10倍の農薬を使っていました。現在の日本では欧米と同程度の農薬の使用量ですから、それから安全性をチェックしてみます。

1970年代に使用されていた農薬の危険性は約2倍、使用量が10倍ですから、危険性は今の20倍です。だからかなり危険な状態と言えます。事実、当時の実験データからどの程度の人が農薬の被害に遭うかを計算した例がありますが、数100万人という単位で被害者がでると予想されていました。

しかし、事実はほとんど被害者は報告されていませんし、厚生省の病気に関する統計でもガンなど心配される病気は増えていないのです。このことは本当に喜ばしいことで、あれほど騒いだ農薬がほとんど被害がないままに安全な状態になったのです。30年前に農薬に対して感度の高い年齢だった5-30歳の人は、今では40-60歳になっています。でも健康です。

このことは日本人が使用された農薬に対して十分強い体を持っていたことを示しています。著者は原子力や非鉄金属という分野の研究をしてきましたが、人間というのはなかなか頑丈なもので、免疫系が発達しており、普通ならやられると思う量の放射線やヒ素などに触れてもなかなか病気になりません。農薬についても人間は強い抵抗力を持っているのでしょう。

 ところで人間はなぜ農薬を使うのでしょうか?農薬がいくら安全でも、使わないに超したことはありません。でも人間は少しでも楽をして作物を得ようとします。次のグラフはもし農薬を使わなければ作物がどの程度打撃をうけるかを示したものです。もともと弱いリンゴやキャベツのような作物は農薬がなければ収穫率はリンゴでわずか3%、キャベツでは37%になります。これではせっかく育てた農家の人もがっかりしてしまいます。それに対して馬鈴薯、トマト、大豆などは比較的丈夫ですから農薬がなくても3分の2は収穫できます。

 差別用語にならないように気をつけなければなりませんが、美人薄命とはよく言ったもので、食物でも美味しいもの美しいものはとかく害虫や病気に弱く、雑草のようなものはたくましいという表現はまさに当たっています。

 農業の人はそれでなくても収入が少ないので、農薬を使って作物の収量を上げようとするのは理の当然でもあります。もし消費者が本当に農薬がイヤなら、作物の量が減っても良い、高くても良いと覚悟することです。無農薬というのは自然にも作物にも、味も、畑にもとても良いものです。無農薬野菜を食べ慣れると、農薬を使った野菜が奇妙に感じられます。

 結論としては次のように言えるでしょう。

「現代の日本で野菜や果物に付いている残留農薬は安全である。だから心配しないで食べても大丈夫。でも本当は無農薬もしくは農薬をほとんどつかわない野菜や果物が美味しい。でもそれは現在ではまだ高級品である。」
ということです。私も無農薬の作物は本当に美味しいと感じます。でもそれを作るには農業の人が大変、ご苦労されると思いますし、私はあまり生産的なことをしていませんし、人には迷惑をかける方ですが、農業の人は人の命を保つ大切な仕事をされています。農業の人が楽なように、私は農薬を使った野菜を食べます。

おわり