ダイオキシンはどこから来て、どこに行くのか?

 

 ダイオキシンというものはいったい、どういうものだったのだろうか? ダイオキシン詐欺とはどのように起こってきたのだろうか?。

 成層圏にオゾン層ができ、太陽からの紫外線が地表に届かなくなると、海の中に閉じこめられていた生きものが満を持して、地表に登場してくる。数億年も前のことだが、いまでは温暖化ガスとして嫌われている二酸化炭素は豊富にあり、地球は穏やかで、温暖だった。

 あたたかい気候のなかで、シダが生い茂り、あるいは恐竜が地上を我がもの顔に歩き回っていた。カナダの恐竜の谷や、北海道の石炭にその痕跡が残されているように、一年の大半を雪や氷に閉じこめられているカナダや、寒い北海道にも、恐竜がすみ、木々が茂っていたのである。

 そんなのどかな風景も、時に厳しい様相を呈することがあった。激しい風が海の方から吹きすさび、潮風が内陸ふかく侵入する。木々の葉がこすれ、竜巻がおこる。どこかで偶然に生まれた火種は、強風にあおられてたちまちのうちに大火となる。

 ゴウゴウと音を立てて燃える樹木、草原をなめるように走る火、逃げまどう恐竜、そして大量に合成されるダイオキシン。

 ダイオキシンは人間がはじめて合成した化学物質ではない。自然界で太古の昔から存在し、時には蓄積してきたものである。それは600万年前に人間が地上に登場し、火を使うようになってからも同じだった。

人間が登場してからダイオキシンのでき方が変わったと言えば、それまで偶然に起った山火事が、人の住む洞穴や「竪穴住居」で起ったことだった。

 人間はタキギを使い、火をおこし、サカナに塩をふって焼く。毎日、毎食、住居の中は煙が充満し、壁にはダイオキシンが付着する。エジプトのミイラを解剖した記録がある。それによるとミイラの肺にはビッシリとススがたまっていた。ダイオキシンはまだ測定されていないようだが、これまでのダイオキシンの研究例から、ダイオキシンを吸っていたのは間違いない。

 このようにして人間が火を使うようになって、「ダイオキシンの生産量」は格段に増えた。さらに近代になると、産業が発達し、塩素も発見され、有機化学が誕生し、そして農薬が合成される。その農薬の中にもダイオキシンが含まれている。

 ところで、現代のダイオキシンの発生原因は農薬で、焼却ではない。たとえば、日本では30年前に環境中のダイオキシン量が最大になったが、それは除草剤に含まれていたダイオキシンが田畑にまかれたからである。

日本全体の九割、つまりほとんどが農薬からのダイオキシンで、焼却が原因でできるダイオキシンは1割以下であった。

 まして、家庭用の小型焼却炉とたき火からのダイオキシンは問題にならないほど少ない。プラスチックを燃やしてもほとんどでない。ダイオキシン騒動が起ってからしばらくして「プラスチックや木材を焼却したら危険だ」という話が出てきたのが、これは事実ではない。

 ダイオキシンは農薬とともに田畑にまかれていたので、日本の田畑には大量のダイオキシンがあった。その量はアメリカ軍がベトナム戦争の時に使った枯れ葉剤によるダイオキシンとほぼ同じ量である。

ベトナムでアメリカ軍が枯れ葉剤をまいたのは、森に潜むゲリラを攻撃するためだった。だから、アメリカ軍は森にまいたが、日本では、雑草をのぞくために田畑にまいた。その中にダイオキシンがあった。

だからベトナムに比べると、日本の田畑の方がダイオキシンが多かったと考えて良いだろう。それがわかって除草剤の使用をやめたが、日本のダイオキシンは農薬からだったこと、その量と予想される影響がベトナムより大きいことは「事実」だったが、問題にはされなかった。でも事実だから、わたし達はそのまま受入れた方がよい。

「事実」はときに自分には具合が悪いときがある。そういう時、人は事実から目をそむける。ダイオキシンが農薬の中に入っていて、日本の田畑にまかれたことを知ることは日本人には辛いことだった。
もし、ダイオキシンが猛毒ということになると、米や野菜が食べられなくなる。それでは農家は痛み、日本人も食べものがなくなる。だから、田畑に農薬があるという事実は知られずに過ぎていった。

そして、焼却炉からでたダイオキシンがほうれん草にかかったという小さな問題だけが事実になった。

ところで、30年前、日本にダイオキシンが多かった頃、日本全体で五五キログラム相当が田畑にあったと推定されている。その後、まず除草剤を止め、その影響が無くなり、1985年にはて5キログラム相当と、一割以下になった。つまり、ダイオキシンの発生源は量的にも除草剤だったことが実績としても明らかになった。

専門的な話になるが、ダイオキシンの量は「キログラム相当」という表現を使う。それはダイオキシンが複数の化学物質の総称なので、そのなかで代表的な物質の毒性に換算して全体の量を表現するからである。だから、キログラム相当という呼び名を「キログラム」ととらえても問題はない。

いずれにしても、ダイオキシンの主要な発生源がなくなったところで、社会的な関心が高まり、にわかに、工業や焼却炉、そしてほとんど関係の無かった家庭用小型焼却炉やたき火までダイオキシンと関係しているように言われた。そして、2002年には、さらに下がって2キログラム相当になっているので、工業や大型焼却炉からのダイオキシンは3キログラム相当だったことがわかっている。

今になってみると、家庭用小型焼却炉やたき火は無関係といって良いほど小量だった。

さて、ダイオキシンがどこから生まれたかは判ったので、今度は「ダイオキシンはどこに行くのか?」を書く。

30年前には、この恐ろしい化学物質は動物や人体に蓄積すると考えられていた。それは次のような理由から、科学的にも納得がいくものだった。

ダイオキシンは親油性である。親油性というのは油に親しい、つまり水と油があれば、油の方に移る性質をもっている。

また、自然環境はほとんど、水でできている。海、川はもちろん、水そのものであり、土も水に親しみやすい。水ででき、水に親しい自然環境の中にダイオキシンがあり、そこに動物が来る。動物の体は油分が多いので、動物の方にダイオキシンが移る。

これを繰り返していると、ちょうど、電気掃除機でダイオキシンを集めているように動物の体にダイオキシンがたまる。さらに、小さい動物が、水や土の中からダイオキシンを集め、それを食べる大きな動物の体にたまる。そして最後は、人間である。

だから、環境中のダイオキシンはすこしずつ「生物連鎖」によって人間にたまり、やがて人間は滅びる、というシナリオになる。

このシナリオは、多くの科学者に支持され、ダイオキシンが本当に動物の体にうつり、人間のたまってくるのと心配された。また「生物連鎖」という言葉がわかりやすいこともあって、社会的にも「生物連鎖」、「生物濃縮」という用語が知られるようになった。

ダイオキシンは危険な化学物質とされ、さらに蓄積することが予想されたので、世界の先進国は、ダイオキシンの監視体制をつくり、魚介類、哺乳動物、母乳などについて詳細に分析をしてきた。

もし、ダイオキシンが環境から動物へ、動物から人間への移動した場合には、環境中のダイオキシン濃度がさきに代わり、その後に動物が、そして最後は、人間の体の中のダイオキシンが同じような変化をするはずである。

 事実はどうだっただろうか?

 ダイオキシンは30年に55キログラム相当であったが、その後、少しずつ減って、2002年には2キログラム相当になった。もし、動物の体内に蓄積するなら、動物の体内のダイオキシンの最大のピークは30年前ではなく、もっと最近にずれるはずである。

同じく、動物から人間へ移るなら、人間の体の中のダイオキシン量のピークはさらに最近へとずれる。もし、環境から動物へ移動して蓄積する平均の年数が10年なら、動物のピークは20年前、さらに人間に蓄積するのに10年かかると、人間のピークは、さらに10年前になる。

ところが、実際には、環境中のダイオキシンのピークが30年前で、日本の魚介類も日本のお母さんの母乳中のダイオキシンも、動物も人間も30年前からおなじペースで減少している。

わたし達が、生物濃縮して動物や人間に移動し、蓄積するというのは、心配のしすぎだった。ダイオキシンは体内に蓄積しない。

このことは、ダイオキシンの基礎的な代謝の研究で補強されている。動物の体内にはいったダイオキシンは代謝によって排泄される。

このことは、ダイオキシンは太古の昔から地球上にあったので、生物の体のなかにはダイオキシンや類似の化学物質を排除する能力が備わっていることを示していて、そのなかでも、人間はその能力が比較的高いことなどが判ってきている。

考えてみると、山火事でもできるダイオキシンが猛毒なら、生物はそれに備えているはずであり、学問的な研究の結果は常識的な推論とも矛盾していない。

生物の体内に入ったダイオキシンが排除されることがわかり、一安心だが、一度、発生したダイオキシンは最終的にどうなるだろうか?

まず、ダイオキシンにしても類似の化学物質であるPCBにしても、高温にすれば分解する。この「高温」というのも、すこし性能の良い焼却炉で燃やせば分解する。

「ダイオキシンやPCBを分解する方法が発明された」という発表を聞くと、複雑な気持ちになる。上手な方法でダイオキシンやPCBのような安定した化学物質を分解する方法を研究することは大切だから、それ自体は良いのだが、どうも奇妙である。

もともと、ダイオキシンもPCBも焼却すれば分解してなくなるので、わざわざ特別な方法を使わなくてもよい。すでに全国のあちこちに優れた焼却装置があり、そこに入れれば直ちに無くなってしまうのに、特殊な方法を研究をしたり、実際にも高いお金をかけて処理をする理由はあるのだろうか?

それに携わっている人に聞くと、「住民が納得しないから」という返事が返ってくるけれど、住民は簡単で安全な方法なら反対はしないはずである。

(その9 おわり)