ライオンのイドラ


 百獣の王ライオンは、人間に比べて比較にならないほどの運動神経と筋肉をもち、ライオンと素手で戦って勝ち目のある人間はいないだろう。それでいて、ライオンは今ではすっかり人間に押さえつけられ、アフリカの特別保護区や動物園の檻の中に入れられている。ライオンから見れば不思議なことであるに違いない。
 
 知は力である。知識が隆々たる筋肉よりも大きな力であることを我々は知っている。1620年、Francis Baconは代表作”Novum organum”の中で知の力、科学が人類の生を豊かにする確信を示し、同時に事物を正しく認識する時に妨げとなる4つのイドラを挙げている。その現代大学版:

1. 教授のイドラ:教授という種族に共通する偏見で、その実態と無関係に自らを最も優れた人物であると思うことなどがこれにあたる。
2. 蛸壺のイドラ:研究室の中にいて自然の光が遮られている状態から生まれる偏見で、その生来の個性的な性格が環境によってさらに磨かれる。
3. ITのイドラ:情報の不適切な使用によって生じる偏見で、ITからの膨大な情報とわずかな霞ヶ関からの風聞で全体を理解したと錯覚すること。
4. 教室のイドラ:教室での講義を盲信するように、権威あるものを無批判に受け入れる両価性。
(両価性:精神病(統合失調症)の症状の一つで、異なる2つの事実を同時に認めること)

 400年の時を過ぎ、我々は何を学んだのであろうか?

 同じ頃、日本には荻生徂徠が居て、知は力であることを次の言葉で説いた。
「先王の道は先王の造る所也。天地自然の道に非ざる也。蓋し先王は聡明叡智の徳を以て天命を受け天下に王たり。其の心一に天下を安んずるを以て努めと為す。是を以て其の心力を尽くし其の知巧を極めて是の道を作為し、天下後世の人をして是によって之を行わしむ。豈、天下自然に之有らんや。」

 すべての事が天の摂理であるという大合唱の中で、いや、それは違う。我々が豊かな生活を送っているのは天のお陰ではなく、先王の知がそうさせたのだ、という彼の透徹した目はイドラの無い世界を感じる。

 国立大学であれ、私立であれ、その活動に対してほとんど税金というものを支払っていない。日本社会に貢献しているという点では、自動車を製造する会社も、宇多田ヒカルもイチローもともに同じであろうが、なぜ大学という法人は納税という国民の義務を果たさなくても良いのだろうか?おまけに国立は6割、私立は1割もの税金をいただいている。それほどの特別待遇をしてくれる日本の社会は、大学の活動に何を求めているのだろうか?特に、20世紀後半、工学が日本の環境を汚し、社会を忙しくして人間を疎外するに至ったと言われる今日、工学をその活動の源泉とする大学は、何をもって社会に還元するのだろうか?

 われわれは4つのイドラから抜け出すことができるだろうか?