ペットボトルのリサイクル


この作品はペットボトルのリサイクルが行われる前に予想して書いたもので、公開は2000年月でした。



 〔実際にリサイクルを実施している担当者の言葉〕

 『今、店頭で年間約1000トンの容器包装回収をしています。牛乳パック、アルミ缶、スチール缶、食品のトレイ、ペットボトルなどの回収です。1000トンで約2000万円程度の赤字になります。これは私どもの店頭回収だけです。

 全国のスーパーでは計算できていません。配送コストだけで約3000万円かかり、売却利益が約1000万円で、差し引き2000万円なのです。消費者に還元すべき利益を食いつぶしてリサイクルをやっていますので、「なぜリサイクルをするか」ということを明確にすべき時点になってきましたが、その解答がなくて今困っています。

 はっきりしているのは、「まだ何かの役に立つかもしれないものを安易に捨てない」という程度のコンセプトしかないのです。「一生懸命リサイクルに協力して店頭に持っていっているけど、社会貢献として何があるのだろう。アルミ缶のようにエネルギーが助かっているのか。ごみが減ることに貢献しているのか。資源の有効利用に活用されているのか。何に重点を置いた利用なのかよくわからない」という質問をされ始めましてね。そろそろ次の社会利益を指示してあげないと、この意識が継続しなくなるという危機感を持っています』*1

これは一昨年5月に出ましたある学術誌に載った生協の理事さんの話です。


【リサイクル・ペットボトル】

 そこで、この疑問を解決するために、リサイクルについて検討してみました。リサイクルは紙、プラスチック、金属など多くのもので行われていますが、その中でも一番典型的なリサイクルの対象物であるペットボトルをまず取り上げてみたいと思います。最初に衝撃的な計算結果が出ますが、私たちの将来をじっくり考え、これからの私たちの生き方、子孫へよい環境を残すために、現実に目をそらさないで考えていきたいと思います。

 ペットボトルの生産量は1998年時点で日本で28万トンと言われております。ペットボトルを作ったり、リサイクルをする時にどのくらいの石油やエネルギーを使うかということを石油のグラム数やエネルギーのキロワットで示すこともできますが、判りにくいので、ここでは統一して「価格(コスト)」で示すことにします*2

 まず、ペットボトルを新しく作る方法とそのときのコストを計算してみます。ペットボトルの原料はポリエステルですが、石油から化学的な反応を経てテレフタル酸とエチレングリコールを作り、それを生成した後、高温で重合して作ります。得られたポリエステルを使ってボトルに成型すると使える状態になりますが、ここまでに1Lのボトルで大体7円くらいになります。それを消費者が一回だけ使ってそのまま捨てますと、廃棄物の処理費用を入れて大体9円から10円になります。つまりペットボトルをそのまま使い捨てにしますと、10円に相当する物質やエネルギーを使うことになり、ひいてはそれだけ資源や環境に影響を与えると考えることができます。

 次に、一回だけ使って捨てるのはもったいないと思ってリサイクルに出した時のことを考えます。リサイクルされたボトルはスーパーなどで一次分別され、袋に入れられ、回収するトラックに乗せられてリサイクル工場に運搬されます。この間に、おおよそ26円程度かかります。リサイクル工場に入ったペットボトルで比較的綺麗なものは洗浄して使うこともできます。もしそうすることができれば、もう一回使うのに1円ちょっとしかかかりません。ただ、回収する時にすでに26円かかっていますので、結局、リサイクルのボトルは新しいボトルに比べて3倍も高いものにつくということになります。
 
 価格というのは物質の使用量とエネルギーの量によって決まりますので、リサイクルボトルは石油から新しく作るボトルに比べておよそ資源として3倍くらい使い、その資源は結局廃棄物になりますので環境も3倍汚しているとまず考えられます。



 この計算結果はペットボトルのリサイクルに努力されている人にとってみれば、びっくりするような話だと思います。その点で話をするのが多少気が引けますが、これからの地球環境を考えるときには正しいことを勇気をもって知ることが大切であると考え、最初にペットボトルのリサイクルの例を出しました。ただ、この計算結果は先ほどの実際にリサイクルされている方の話と一致するわけです。なぜ環境に良いと思われるリサイクルがこんな結果になるのかということを次に説明したいと思います。


【ペットボトルの値段と内容】

 お茶の入っているペットボトルが150円で売られているとします。その値段の中身は、ペットボトル自体の価格が7~10円、中に詰めたお茶もおおよそそのくらいの価格です。それ以外は、輸送費が2~3割という具合に価格構成が決まっておりまして、それに小売り経費、メーカーの経費が上乗せされます。つまり、ペットボトルはボトルそのものの価格に対して20倍程度の値段で売られている商品なのです。

 目の前にある一回使ったペットボトルは新品同様です。あまりにもったいなのでリサイクルするという考えはまことに良いことなのです。それではなぜリサイクルをすると環境を汚すことになるのでしょうか。それを考える前にリサイクルの実態を見てみましょう。

 リサイクルされたボトルはスーパーなどで集荷され、トラックで運ばれてリサイクル工場に行きます。もしボトルがきれいで、そのまま使えるというなら良いのですが、そうではありません。人間というのは捨てるとなると、煙草の吸い殻を入れたり、中には汚いものを入れる人もいます。困るのは、小さなホッチキスの針や油分などです。ホッチキスの針が間違ってリサイクルした原料に入りますと、それが傷になりペットボトルは割れてしまいます。お醤油などが入ったペットボトルが割れたら大変です。また、ペットボトルが溶けるようなものが入っていると、それを洗うためにはペットボトル自体が溶けてしまうものを使わなければならないので、これもまたボトルのままでは再利用できなくなります。

 「ペットボトルのリサイクル」というものの実際には、ペットボトルをリサイクルしてまたペットボトルとして利用することができないのです。私たち消費者としても一度誰かが使って、何が入っていたか判らないペットボトルに入っている飲料を飲みたくはありません。

 それでは、他の用途に使ったら良いではないかと考えます。ペットボトルの原料はポリエステルで性能が良いものですから、Yシャツ、綿と混紡した繊維製品、それに婦人物の細い糸で織ったジョーゼットなどに使えます。しかし、リサイクルをして得られる再生原料は最初の原料に比較して品質が悪く、ペットボトルや長繊維の糸にはなりません。結局、品質が悪くても構わない用途に振り向けられます。たとえば品質の悪い防寒服の綿に使用されますが、それも日本では使われず開発途上国にもって行かれます。
 
 もともと素晴らしい性質を持っているからこそ、多少高い値段でも使っているポリエステルですから、品質の悪いポリエステルは材料としては魅力がありません。おまけにリサイクルしたポリエステルは新品の価格の2倍以上します。


【欲しくないものはどうなっているか?】

 著者の研究室では多くの製品のリサイクルについて、本当にリサイクルは環境や資源に良いかということの計算をして来ました。その結果、昔からリサイクルしている「鉄くず」や「銅線」などの他には「リサイクルをした方が環境に良い」というものを見つけることができませんでした。家庭電化製品に使用されるプラスチックやガラス、自動車に使われる材料、アルミ缶やスチール缶に至るまで「リサイクルは環境を汚す」という結論が得られたのです。この結論は著者らにとっても驚きでした。

 そこで、なぜリサイクルがこのような結論になるのかを学問的に検討しました。

 そもそもリサイクルというのは世の中に広くばらまかれました資源をもう一度集めてくるということですから、学問的には「分離工学」に属します。分離工学では、昔から鉱石などから欲しいものを取り出す──例えば、金(きん)を取り出すときに、金鉱石からどのくらいの仕事をすれば金がとれるだろうか、という予測が大切なので、その研究をリサイクルに応用することにしました。 分離工学の理論式(ΣL/P=f・Vf)が考えを整理するのに役立ちます。

 ある鉱石から金を取るとします。そのとき、「鉱石から欲しい金を取る労力」と「鉱石の中に含まれる金以外の要らないものを分けて処理する」という2つの作業があります。その場合、労力は金をとる事ではなく、金以外の要らないものを分けて処理するのに大半の労力がかかることを分離工学の式は教えてくれます。さらに鉱石の品位が悪くなると、金鉱石に含まれている金以外のものの量がどんどん増えてきます*3。鉱滓の量は金の何百倍という量になるのです。私たちは普段の生活で鉱滓を見ることができません。

 鉱山は天然の資源ですが、リサイクルは人工的な資源を作ることです。例えば世の中からペットボトルを回収する場合、日本全体が「鉱石」になります。その「日本鉱石」からペットボトルという資源を回収する計算を分離工学の式を使ってするのですが、残念ながらペットボトルは社会に薄く分散しているので、品位がとても薄い鉱石と同じなので、大変な労力がかかるのです。

 そもそも、私たちの身の回りにある資源や材料はなにによって価格が決まっているのでしょうか。ものの価格はそれを作るときにかかる労力やエネルギーを表していますので、それが判れば整理が進みます。


 分離工学で世界的に有名なC.J.Kingさんがまとめています。図の横軸はそもそもの原料の濃度、縦軸は私たちの手元に来るものの価格です。この図の素晴らしい所は、水、砂糖、銅、ウラン、ペニシリン、金、ビタミン、ラジウムという様に、およそ似ても似つかない物が1本の線にのっていることです。それはビタミンであっても、銅であっても、ペニシリンでも、原料がどこで得られるか、どのような方法で作られるかなどと無関係に原料の濃度だけで価格決まるというのですから、最初にこのグラフを見た人はみんな驚いてしまいます。まさにこれが分離工学の教える神髄なのです*4。「もったいないと思ってリサイクルするのだけれど、どうしたら良いのだろうか?」という生協の人の悩みの原因はここにあったのです。

 つまり、リサイクルは大切な事なのですが、リサイクルをしても環境を汚さないものは「屑鉄」のように量の多いものや銅線のように純粋な形で特定の用途に使用されているものに限られます。鉄は日本で年間1億トン作っていますが、プラスチックは全部で約1500万トン、ペットボトルは28万トン(/年1998年)に過ぎません。屑鉄がリサイクルできるからと言って、その三百分の一以下のペットボトルがリサイクルに適しているとは言えないのです。


【廃棄物処分所の問題】

 リサイクルが環境を汚すということについては明確に判ったと思いますが、ペットボトルのリサイクルについては、廃棄物処分所が満杯になるという心配がもう一つあります。

 ペットボトルは軽く体積が大きいので、廃棄物処分所に捨てますと場所を占有します。今でも廃棄物処分所が不足し、あと10年ほどしか余裕が無いというのに、ペットボトルをそのまま廃棄しては大変だ、という意見があります。特にペットボトルはかさばるのと形がしっかりしているので、処分所でもペットボトルが目立ちます。

 しかし、ペットボトルをリサイクルすると、確かに「ペットボトルの形をしているゴミ」は少なくなりますが、そのかわり約3倍の「別の形をしたゴミ」が廃棄物処分所に運ばれます。「資源」というのはほとんどのものは形を持っていますので、結局何らかの形で廃棄されるのです。ペットボトルのリサイクルの場合は、それを運んだトラックのタイヤ、トラックの燃料を作るときに出てくる廃油、トラック自体、運転手のお弁当の容器、回収用の箱や袋、使いものにならないペットボトルを壊したかけらなどがペットボトルの替わりに廃棄物処分所に行くわけです。一般的に「管理費」という経費もかかりますが、その内容は事務所、書類、コンピュータ等ですが、事務所では机やクーラーを使いますし、コンピュータもある程度使うと買い換える必要があります。これは総てゴミになります。

 廃棄物処分所にとってペットボトルだけが悪魔みたいなものなら別ですが、私たちが目指しているのは処理所のゴミの量を減らしたいということですから、ペットボトルをリサイクルしたらほかのものが余計に処理場に行くということになれば、これはちょっと理屈に合いません。ペットボトルの場合は解決は簡単で、焼却することです。ゴミというのは焼却しますと体積が約25分の1になりますから、処分所の満杯の問題は解消されるということになります。


【リサイクルの哲学】

 私たちはリサイクルで環境と資源を守りたいと思います。その思いは著者も同じです。しかし、リサイクルは止めた方が良いのです。なぜそうなのか、もう少し深く考えてみます。

 リサイクルが環境に良いと考えてしまう錯覚の原因は二つあります。

 第一の錯覚は「自分と他人」にあります。リサイクルに出したペットボトルはその瞬間から自分の手を離れます。誰かがボトルを分別し、トラックに乗せて回収工場まで運び、さらに選別して洗浄します。回収された牛乳パックやペットボトル、アルミ缶などをスーパーなどの裏で担当者が選別します。エアコンが効いている快適な部屋で分別しているのでなく、冬の寒い日にはかじかんだ手で分別し、夏の暑い日には汗が額から滴り落ちるでしょう。回収されたペットボトルを運搬するトラックの運転手も楽ではありません。交通は渋滞していますし、苦労して運んでも運搬費は高くもらえません。そして、リサイクル工場でもこの状態は似ています。回収されたペットボトルには汚い物は入っているし、第一ペットボトル以外の物をキチンと選別するのは大変です。ここもエアコンの効いた快適な部屋で選別作業をするのでは無いのです。

 ペットボトルをリサイクルに出す人はエアコンの効いた部屋でのどを潤したり、新幹線の中で使ったりします。そして自分が飲んだペットボトルをリサイクルの箱に運んでいく、というほんの僅かの「努力」で自分は「リサイクルした」という満足感を覚えます。しかし、リサイクルの箱に入れたからそれでリサイクルできたわけでは無いのですが、他人の苦労は当人には伝わりません。

 この「他人と自分」という関係が環境問題の基本の一つです。

 第二に、「見える物と見えない物」という関係があります。

 ペットボトルを見ると「ボトル」そのものだけしか私たちの目には見えません。ペットボトルを作ったときに使った電気、原料やボトルを入れている袋やケース、運ぶのに使ったトラックやガソリンは当然私たちには見えません。私たちが「もったいない」と思うのは目の前にある「見えるボトル」だけなのです。目に見えるのでもったいないと思うのですが、本当にもったいないのは「見える」ペットボトルそのものだけではなく、それを作ったり、輸送するときに使った物質やエネルギーでそれがペットボトルの後ろに二十倍もついているのです。私たちはその「背後霊」に目を凝らし、見る眼力をつけなければならないのです。つまり、私たちの目の前にあるものは単に「もの」に過ぎないけれど、それが自分の前に来るまでには歴史があるのです。「ものの人生」と言ったらよいでしょうか。

 リサイクルの基本は「ものを大切に」という心ですが、それは単に「目の前にある物質を大切に」ということを意味するのではなく、それを作るときの労力、エネルギー、そして本当はそれを作って下さった人への感謝の気持ちなのであって、「もの」だけでは無いのです。むしろ、目の前にあるものをリサイクルに出すということは、それを作って下さった人の苦労はその瞬間に失われると考えても良いのです。このことが「リサイクルは環境を汚す」という本質的な理由になっています。



 リサイクルの矛盾や錯覚を生む付随的なものとして「メーカーの宣伝」も無視できません。現在の社会では単純に物をどんどん作る、ということでは消費者が買わないので、メーカーは「環境に優しい企業」というイメージを作り上げなければなりません。その方法として一番手っ取り早いのが「リサイクルしています、できます」ということです。消費者は環境に不安をもっていますので、リサイクルできるとなれば安心して買えますし、心の痛みを感じないで捨てることができます。その点では消費者と企業とは利害が一致しているのです。ただ、そのようなことをしていたら人類は終わりになるだけです。早速「リサイクルしています、できます」と宣伝しているメーカーに宣伝の自粛をさせなければなりません。そして何よりも、まず私たちは目を凝らして、リサイクルを前面に出していても、本心は多くのものを売ろうとしているメーカーの商品を買わないと言うことで一致団結しましょう。

 実は私はあまりリサイクルを反対しません。むしろどちらかというと賛成しています。そのために時々私が矛盾していることを言っているように思う人も居るようです。それは、私たちの世界をまもなく崩壊させようとしている環境や資源の問題は簡単な問題ではないからなのです。自分がやりやすいものだけやるとか、みんながリサイクルというから私もやる、という程度の安易な行動では破滅が避けられないのです。


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*1 『化学工学』Vol.162 NO.5(1998) p259 ~260
*2 あるものの環境への負荷を計算する方法としては本書で使ったコスト価格で行う方法と、LCA(Life-Cycle Assessment)と呼ばれる方法があります。
*3 鉱石の中に必要な元素がどのくらい入っているかを示す尺度として「品位」という言葉を使います。品位が高いということはたとえば金を多く含む鉱石ということです。また金以外のものは一般的に捨てられますので、それを「鉱滓」と呼びます。
*4 詳しい解説は拙著「分離のしくみ」(共立出版)をご覧下さい。


(武田邦彦「リサイクルしてはいけない」(青春出版)より再録)