省エネ商品に逃げる


 「省エネ商品」と呼ばれる一群の商品があります。この商品を買う目的は二つあります。まず、第一に環境のために少しくらい損をしても良いと考えるとき。そして第二目には、電気代やガソリン代が安くなるのならその方が「お得」と思う場合です。

 この節のテーマは「省エネ商品」を勉強し、その上でなにを買うと環境に良いか、わたしたちはなにを錯覚しているのか、です。

 具体的な例からスタートします。

 「省エネテレビ」を買い変える時の計算です。

 六年間使った古いテレビの消費電力が一二○ワットで、新しい「省エネテレビ」は電気を二割、倹約できるとします。買うときの値段は一○万円。そして、省エネテレビを一日三時間ほどつけて六年間使ったとします。日本はテレビの平均使用年数が六年ですので、それを基準にします。
そうすると、その六年間で、倹約できるお金(電気代)は三○○○円ちょっとです。

 一方、テレビの平均耐用年数は一二年程度ですので、「古いテレビ」を我慢してそのまま十二年使ったとすると、新しく買うための一○万円が必要なくなりますので、省エネテレビを買うより、古いテレビを使った方が、九万七千円も倹約できます。

 当たり前のことかも知れませんが、いくら「省エネ」といっても、新しく買うほうが、ずいぶんお金をつかうことが判ります。まして、最近、家電リサイクル法が施行されたので、テレビを捨てるときに、さらに六千円程度かかります。ますます、この差はさらに広がり、できるだけ古いテレビを使う方が環境に良いことになります。

 それでも「省エネ」テレビは電気という貴重なエネルギーを節約できるので、環境のためには十万円損しても省エネテレビに買い換えた方が良いと思う人もおられるでしょう。この問題は、「省エネ自動車」の話のあと、まとめて整理をします。まず先に省エネ自動車。
今、使っている家の自動車の燃費がリットルあたり一五㎞とします。最近、リットルあたり二○㎞も走ることができる「画期的な省エネ自動車」が開発されたと聞き、購入することにしました。この場合も、テレビと同様に六年間使い、購入価額は二○○万円で走行距離は六年間で一○万㌔とします。

 省エネ自動車を使うことによって、六年間に倹約できるガソリン代は約一七万円。さすがに自動車だけあって倹約できるお金は相当なものです。

 それでも、今、使っている自動車をそのまま一二年間使うのに比較すると一八三万円の損になります。つまり、燃費がずいぶん良くなった省エネ自動車を買っても、購入したときのお金を取りかえすには、七○年ほど使わなければならないことが判ります。

 省エネテレビと同じですが、まず、「お金」という点では「今、使っているものをできるだけ長く使う」ということが、一番の倹約になること、第二に、「省エネで倹約したお金が買うものの代金を補うまでには五十年程度は必要」ということが判ります。

 それは古いものを使うのが一番良いのは当たり前だよ、と誰でも思うでしょう。でも、省エネでテレビの電気代が二割倹約できたり、ガソリン一リットルあたり五㌔も余計に走れれば、結構、倹約できるので、購入する代金くらいはすぐ取り戻せると錯覚している人もおられるのではないでしょうか。

 その程度ではダメなのです。この点をすっきりさせるために、さらに、極端な場合を計算します。もし、「電気のいらないテレビ」を十万円で買った場合は、三七年間使えば「もとが採れる」ことになります。「ガソリンがなくても走る自動車」ができたとしても、もとがとれるまで二四年かかります。

 このように「省エネ商品を買った代金を省エネで倹約した分のお金でもとをとる」ことができない理由は、現代の高度な工業社会に求めることができます。この原理はリサイクルがかえって環境を汚す原理と同じです。

 高度な社会での生産では「作るときの労力」がきわめて大きいのが特徴です。例えば、鉄やプラスチックなどの原料はおおよそ、一キログラムあたり数百円です。それに対して自動車、テレビ、パソコン、そして携帯電話など、わたしたちが日常的に使う工業製品を、重さあたりの値段に直しますと、おおよそ一キログラムあたり一万円から一○万円の範囲に入ります。

 つまり、高度な工業製品とはそのものの持つ材料の価値の一○○倍から一○○○倍も高いのです。それに対して、その商品を動かすガソリンや電気は、比べられないほど少ない。それは、ガスコンロのように「加工度」が低い商品の場合と大きく違います。ガスコンロなどは、購入するときの価格が安く、それに対して毎月かなりの量のガスを使いますが、現代の日本のように高度に工業化した社会では、このような商品は少ないのです。

 最後に、「お金がかかることとエネルギーの使用量とは同じ」ということについて追加します。

 エネルギーの基礎となる石油はリットルあたり三○円程度です。これを元に、「お金とエネルギー」の関係を具体的に調べてみます。
まず、材料として良く使われるプラスチックですが、石油から作る時には、反応させたり、加工したりするのに石油を使うので、できあがったプラスチックは一五○円程度になります。つまり、一キログラムのプラスチックを作るのには、材料そのものとしての石油が約一リットル、製造するときに使う石油が四リットルと考えたら良いかと思います。

 つぎに「鉄」です。「鉄」は石油に並ぶ主な資源で、地下に眠る鉄鉱石から作られますが、鉄が地下に眠っているときは、環境になにも影響を与えませんし、値段もタダとしてよいでしょう。

 いよいよ、鉄鉱石を地下から掘りだし、選別し、船で太平洋をわたり、そして溶鉱炉で還元するには、石油が必要です。山元では掘削機を動かす燃料、船で運ぶときは重油や軽油が使われ、溶鉱炉では酸化鉄を還元するのに石炭も使われるからです。このように鉄を作る工程で使われるものは石油か、石油で換算できるものだということが判ります。

 生産工程を分析し、そこで使ったものを石油に換算しても、石油の価格を一定とすれば、お金で計算しても同じというわけです。

 先ほどの省エネ自動車の場合、自動車一台作るのにかかる石油は平均して約六六キロリットルです。それに対して、六年間で節約できる石油は六キロリットルと計算されます。つまり、環境に与える影響は、お金で計算しても、石油で計算しても、ほとんど同じことが判るのです。

 「省エネ」というのは「ガソリンだけが省エネ」とうのではその目的を達成しません。太陽電池と同じで、一台の自動車が誕生してから廃棄されるまでの一生にわたって使うエネルギーが少なくならなければ意味がないのです。それは取りもなおさず「一番、お金がかからない方法」ということになります。

 最近では「お金がかかっても環境に良ければ」という人は少なくなりましたが、今後はますます「お金」と「環境」が関係するようになると考えられます。昔は、工場から煙を出して生産することも許されましたし、少しぐらいの毒物を排出しても問題にはされませんでした。しかし、現在ではそんな工場は許されません。きちんと環境を守って運転されています。その結果、商品の価格が決まっているのですから、ますます「お金」と「環境」が比例するようになってきました。

 また「手間がかかる」という意味でお金がかかる商品もありますが、それも同じです。どのような理由でお金がかかっても、それは結局のところ「ものやエネルギー」を使うからです。

 この節では「省エネ」とは「買わないこと」であって、買ったものを省エネで取り返すことができないということを示しましたが、このことも環境との関係ではかなり高度な内容を持っています。この際、「省エネ」が「省エネ」にならないという矛盾を深く理解するために、「エネルギーというものの実体」について少し触れたいと思います。

 日本のエネルギーは、石油、石炭、天然ガス、原子力、そして水力の五つですが、ほとんどが化石燃料と言われる石油、石炭、天然ガスでまかなっています。石油ショックの時に中東からの石油がとだえそうになって、日本人はおおいにあわてました。そして石油のような化石燃料からなんとか離れようと頑張りましたが、結果的にはまだ外国から輸入する化石燃料ばかりに依存しているのが現状です。

 そのエネルギーはいろいろな特徴をもっています。その一つは、「エネルギーは全部は使えない」ということです。石油を燃やしても、残念ながら、その熱は全部は使えないのです。

 どのくらいや有効に使え、どのくらい損がでるかということについて日本のエネルギー学の第一人者の平田 賢先生が整理されています。日本全体では約三割は役立ちますが、残りの七割は捨てています。

 もったいないことですが、エネルギーを使うと、どうしても損失が七割も出るという例を具体的に考えてみます。例えば、石油を燃やして電気を取りだす、いわゆる「火力発電」では、石油を燃やして水を蒸発させ、その蒸気の圧力でタービンを回して電気を起こすのですが、石油から得られた熱の四割程度が電気になり、残りは熱となって外に飛んでしまいます。外に飛んだ熱は空気や海水で冷やすので「温排水」が大量にでることになり、これが発電所の付近に環境問題をおこします。

 また、電気は発電所でおこせばそれで終わりというわけにはいきません。そのあと、送電し、変電し、そして工場や家庭に届けるまでさまざまな損失があります。もちろん、電気だけが空中を飛んでくるのでもありません。電気を通す電線も必要ですし、変電には変電設備は欠かせません。そのような設備を作るときにもエネルギーが必要とされます。

 具体的な計算をしてみます。

 日本では電気の値段は一KWHあたり二五円程度。一方、一リットルの石油は三十円。そして、一リットルの石油のエネルギーは電気では約一五KWHに相当します。

 つまり、石油から電気を作るときに、直接的に電気になる石油は、全体のわずか一○%に過ぎないことがわかります。太陽電池の苦しさはここにあるのです。つまり、太陽の光がいくら無料といっても、石油でも直接電気を起こす石油は電気代の一○分の一しか占めていないのですから、太陽電池と石油火力のどちらが環境に良いかどうかは、「原料」にあるわけではなく、「施設や運転」にあるからです。

 それでも発電はエネルギー効率が高い例です。たとえばガソリンで動く自動車の移動のエネルギー分析ではかなり低い値が報告されています。

 自動車にガソリンを積み込みます。そのガソリンが持つエネルギーを基準にしてそれを一○○とします。まず移動に直接的には関係ない排気ガスに逃げるエネルギーが三五%ほど、エンジンを冷却するためのラジエータで二○%で冷却水で損失するエネルギーが同じ二○%とここまでで約七五%が損耗します。もちろん、排気ガスも冷却水も移動のために必要なものです。

 さらに、軸受けやら、横揺れ抵抗、空気抵抗などがあり、結局、ガスリンタンクにいれたガソリンが持っているエネルギーのうち、実に、わずか二%しか人間の移動には使われていないと計算されます。

 このようにエネルギーは少しずつ消耗し、最後にわたしたちの手もとに届くのですが、その時にはかなり損失しているのです。

 「エネルギーはせいぜい、三割くらいしか使えない。時には数%使えれば良い」ということを頭に入ると、「なぜ、省エネ商品は増エネになるか」ということを別の角度から理解することができます。
  
 しかし、考えてみると、変な世の中になったものです。

 たかが「省エネ商品」を一つ買うのに、こうして計算をしなければ判らないのですから。本当は、「省エネ」という表示を素直に信じても良いようにするべきでしょう。そうなれば、ずいぶん気楽です。

 しかし、企業が運転費だけを環境負荷と仮定して、「すねかじりの論理」で計算し、「省エネ」と表示するのそれなりの理由があります。

 商品は「販売量をいかにして増やすか」を目的として作られています。当然といえば当然で、メーカーも販売店も少しでも多く売るために日夜、努力しているのですから、売るために有利な計算や考え方を採用するのは当たり前でもあります。

 特に、ここでテレビのことを特に詳しく取り上げたので、テレビメーカーや家電の販売店には申し訳ないと思います。お詫びしたり、いいわけをするわけではありませんが、日本の家電メーカーは世界でも環境問題に関心が深く、環境を良くしようと考えて商品開発をしていることは同時に事実です。

 しかし、一方では、会社は「売らなければならない」という使命があり、「消費者のために」と言えるのは「会社が生き延びること」が前提となります。また、家電メーカー同士の競争もそれに拍車をかけることになります。日本に家電メーカーが一つしかなく、国民が全部そのメーカーから買うなら、その家電メーカーは「できるだけ買い換えない方が環境に良いですよ」と言うと思いますが、多くの会社が必死に競争しているのですから、そうも行きません。

 多分、良心的な会社や、会社の従業員で環境を本当に大切に考えている人は、「一応、省エネテレビという商品を販売するが、どうしてもテレビを買い換えなければならないときだけにしてください。少し電気代がかかっても今のテレビを愛用した方が環境には良いですよ」と心の中では叫んでいると思います。

 「たばこの吸いすぎで健康に注意しましょう」ということをたばこ会社が言うまでには、かなりの社会的運動が必要でした。それを考えると、「本当に省エネになる商品だけを「省エネ」と言う」までには、多くの運動が必要なのかも知れません。