資源とエネルギー(その2)

 物質消費と地下資源

 主要な地下資源の内、枯渇が心配されるのは非鉄金属元素と石油であり、特に銅族元素の枯渇が早いと言われている。金の30年を筆頭に、主要な非鉄金属資源は50年ほどの寿命が見積もられている。また、エネルギー資源では、人類が使用している主要なエネルギー資源である石油は21世紀の前半に減少してくると考えられている。


図 25 石油の生産と近未来(石井吉徳先生のHPより)

 資源の予測は困難で、確定的なデータを得ることが難しい。それは資源探査自体に膨大な資金を要し、30年より先の需要について本格的な探査をする機関が存在しないことに原因している。ただ学術的な調査の範囲では資源の枯渇は近いと予測されている。もっとも重要なのは石油の枯渇年限であるが、石油のように大量に存在する地下資源は探査が十分行われるので資源寿命についてはそれほどの変動はない。


図 26 新たな原油の発見量(棒グラフ)と生産量(折れ線グラフ)の比較

 図 26に20世紀初頭からの原油の発見量と石油の生産量を示したが、1985年を境にして原油の発見量が石油の消費量を上回らなくなった。すでにそれから15年を経るので石油の確認埋蔵量が減少しているのは間違いない。石油ショックのあった1972年はまだ原油の生産が消費を上回っていたが、石油危機が来るということで原油の探査が積極的になり、一次は原油の発見量が増大したがその後、急落して回復されない。今、問題になっている石油価格の高騰は石油の枯渇が現実のものになってきたことを示していると考えられる。また一般的に「無くなる、無くなると騒ぐけれど、いつになっても無くならない」というのは誤解で、1972年でも正式な報告は21世紀の前半、2020年頃から枯渇の問題が出てくるとされている。


資料 1 19世紀初等の転換

 人類は18世紀まで太陽の光が供給するエネルギーの範囲で生活をしていたが、産業革命以来、突然、地下資源に頼るようになった。まさに「月給で生活をしていた人が、浪費癖がついて遺産に手を出した」という状態である。第一段階は19世紀の初頭、高圧蒸気機関が発明され、それによって大量の石炭と鉄鋼を使うようになったことである。最初は鉄鋼の生産には木材を使用していたが、やがてイングランドの森林は鉄鋼生産のためにはげ山になり初期の環境問題が起こった。そこで石炭という遺産を使って鉄鋼を製造する方法が19世紀の半ばにベッセマーによって発明され、さらに石炭の消費が早まった。


資料 2 20世紀初頭の転換

 20世紀になると「生物を殺害して油などを得る」ということも限界に達した。人間が求める「有機材料」の量が増えてそれに応じようとすると大量の動物を殺さなければならなくなった。そこで「生きている動物より死骸を使う」という転換が行われ、最初は石炭、次に石油が使用されるようになった。
 このように人類は生産量の拡大に伴って「月給」から「遺産」へと使用領域を拡大していったが、遺産が遺産である限りはいずれ限度がくるのはある意味では当然である。


図 27 一方向(不可逆性を持つ)のエネルギー消費

 エネルギーは熱力学第二法則で示されるように回収できない。現代の日本では直接的にエネルギーとして使用する物質(石油・石炭・天然ガス・ウラン)が石油換算で5億トン、材料の中に含まれているエネルギー量が1.5億トンで、合計6億5千万トンが毎年消費される。


図 28 石油燃料時代の終焉

 太陽電池や風力発電などが可能性にあるものとして言われているが、ネットエネルギー(発電装置から得られるエネルギー(収入)から発電装置を作り維持するエネルギー(支出)を差し引いたもの)が正になる装置はまだ考案されていない。風力発電も特殊な環境以外では石油からの発電に比較して4倍程度の資源を使い、ネットエネルギーは負になる。日本のように台風が定期的に来る時にどのような風力の利用方法が望ましいのかについて技術革新が望まれる。
このように自然エネルギーを利用できれば循環型社会や持続性文化を構築することができるが、現在の科学ではまだ不可能である。唯一の可能性は核融合であるが、まだ技術的なメドがついていないし、社会も核融合に求めるかエネルギーの少ない社会に向かうか決断ができていない。
物質を循環して資源を節約すること、化石資源を使わないで持続性文化を築くこと、そしてわたし達のような豊かな生活を後の世代の人につなげること・・・このいずれもが学問的には実現しない状態にある。人間の活動は物質を劣化させ、太陽のエネルギーの100倍程度の生活を続ければ、どうしても資源は枯渇し環境は破壊されるからである。

       
図 29 確認埋蔵量(左)と究極埋蔵量基準(右)の持続性限界
(仮定:100年後の世界人口が100億人。100年後の開発途上国の一人当たりのエネルギー消費量が現在の日本人の消費量と同じ)

 このことを解決することが難しいのは、現在の先進国と同じ生活をすると解決策はないが、先進国の人は自らの生活の質を落としたくないし、発展途上国の人は自分たちも先進国の人と同じ権利を有すると信じているからである。さらに「江戸時代の社会は持続性か?」という問いについては江戸時代も持続性は無かったと答えるのが正しい。江戸の初期に発見された足尾銅山は江戸時代に多くの銅を産出してきたが、明治以降近代工学が掘削機とベルトコンベアーを持ち込み、わずか数十年で枯渇した。このことから大量生産が持続性を破壊していると言われるが、江戸時代の掘削速度でも800年で枯渇する。


図 30 足尾銅山の産銅量

 

第六回 終わり