もし、石油が無くなり、何か別のものにエネルギー源を求めようとすると、太陽の光やバイオマスということになるが、陸上の植物はどうも生産性が悪くて、それを利用しようとするとすぐに森林は禿げ坊主になる。

 むしろ、海流が栄養素を運んでくれる海の植物、植物プランクトンが最適だろうという見当はつく。陸地より海の方が、物質がダイナミックに動くし、利用度も低い。生育速度もコントロールしやすいし、また植物プランクトンから動物プランクトン、そして魚介類へのつながりもできる。エネルギーとしても食料としても利用できる可能性がある。

 そこで、「環境のために」植物プランクトン生産工場の基礎設計を行う。その設計の基本は「20世紀に発達した大量生産の効率をバイオマスに導入する」というものである。植物プランクトンを使えば大量の命を奪う事、そしてその工場を効率化するということは大量生産と同じシステムを導入するという事である。

 「そんなことして、何で環境の科学なの?」と言われそうだが、確かにプランクトンを大量に生産するなどという考えは大量生産時代の遺物であり、これからの時代には即さない考えでもある。でも、ここではある理由があって、あえてそれに挑戦する。

 もともと、「バイオマス」という発想自体が、「もっと良い生活をしたい」というのが原動力になっていて、生活レベルを下げても環境を守るという理念がモチベーションになっているものではない。現在の日本の環境が破壊されているとすれば、それは大量生産しているからであり、もしバイオマスでも太陽光でもその大量生産と同じようにやれば環境を破壊するだろう。

 イメージ的に太陽やバイオというと環境に良いという錯覚をして、それにレッテルが貼りやすいからというのでは環境運動としては寂しい。

 バイオマスを植物プランクトンの大量生産と言ってもそれは同じだが、そのことを宣言した上で、植物プランクトンの生産効率を工業並にすることができないかを一応、見当する。その理由は二つあり、一つは能率が悪いと採算が悪く経済的に成り立たないこと、第二にたとえば二酸化炭素を循環しようとすると、自動車や火力発電所などから大量に出る二酸化炭素の速度に合わせなくてはならないからである。

 経済的に成り立たないという判断基準を置くのは、日本の国民が環境運動家も含めて給料は減らしたくないし、生活のレベルは下げたくないと思っていると仮定してのことだ。その場合は次のようになる。

 自動車や火力発電所の効率は、工業的効率とほぼ等しい。そしてその速度を100とすると自然の太陽の活動などは1以下である。だから、工業的な活動によって変わる環境を自然の活動で同じような効果を上げようとすると、何らかの方法で自然の活動を加速しなければならないという論理になる。それ以外は破綻する。
 
 さて、前置きはこのぐらいにして具体的な検討に入ろう。

 植物プランクトンの工業的生産をしようとすれば、まず日本の南の海が良い。なぜなら、水温も高く、光も強いからである。どのくらい強いかというと、まず平均日射量は沖縄が抜群に強い。

 北海道や本州の1年間の日射量が1平方メートルあたり4.3GJ程度なのに、沖縄は実に5.2GJである。沖縄の人はいつも東京の人の2割も強い太陽光を浴びている。それに空気も綺麗で新鮮なものが得られるので、健康になるはずである。

 気温もまた生物の成育に適している。夏の気温は名古屋も鹿児島も那覇もそれほど変わらない。むしろ都市のヒートアイランド現象があるから、名古屋の夏は37℃になるが、那覇はそれほどまでには上がらない。

 それより生物の生育速度を高くするのに良いのは、冬の寒さである。冬が寒いと生物は半年は寝て暮らさなければならないが、冬が暖かければ冬でも活動できる。那覇の冬は札幌の夏とそれほど変わらない。だから一年中、生物の生育が可能である。

 その上、海水温が高い。リモートセンシングによる海水温の測定値を見ると、沖縄は海水温22℃程度の領域にあり、東北辺りと比較すると10℃も違う。人間の生活にどの程度が適しているかは別にして生物の成育速度を高めようとすると気候的には沖縄が問題なく良いことが判る。

 北海道、愛知、そして沖縄の緯度、日射量、気温、そして海水面温度をまとめてみた。北海道は実に景色が綺麗で良いところだが、生物の成育という点では少し気温が低い。やはり沖縄である。適材適所、特に環境を活かすという点で自然に忠実であることが大切だろう。

つづく