5.  植物プランクトンの命

 

 我々、動物というのは哀しい存在で、自分一人では生きることができない。なにしろ「栄養」を自分で作ることができないからである。同時に植物も哀しい存在だ。せっかく自分一人で作った「栄養」を、すぐ動物に食べられてしまうからである。

 動物も哀しければ植物も哀しい。生物とは哀しい存在なのかも知れない。

 私はときどき、こんな事を考える。床屋に行って髪の毛を切って貰っても「ケガ」をしたという感じはしない。さっぱりするだけである。でも髪の毛は私の体の一部であり、もしその時に切られない髪の毛があれば、それは確実に次に床屋に行くまで私の体の一部である。

 ところが、同じハサミで耳のほんの一部でも切られると、それはれっきとした「ケガ」である。痛ければケガで痛くなければケガではないというのもおかしい。この前、胃カメラを飲んで組織の一部を切り取ったが、胃には神経が来ていないので痛くはなかった。これは「ケガ」だろうか??お医者さんは「組織を取ったので今日はお酒は控えめに」と言っておられた。とするとケガだ。

 私は人間だから、植物や動物を食べないと生きていけない。つまり昔は「人間とは罪作りな生き物だ。命を奪わなければ自分が生きていけないのだから」と思っていた。でも、それはあまりにも雑な考えのような気がする。

 稲の苗床を作り、田植えをし、丹誠を込めて育て、秋になって稲穂が垂れ、すっかり茎も葉も茶色になってから刈り取る。その時、稲は痛いだろうか?もし人間が種を作り、丹誠込めて作らなければこの世に生まれて来ないし、来ても半分以上は敵にやられるだろう。生物の多くは捕食によって命を落とす。

 稲は痛くないような気がする。それは「稲に痛覚がない」ということではなく、胃の組織と同じように取っても痛みが無いケガ、というわけでもなく、稲を刈り取るのはどうも髪の毛と似ている感じがする。

 それではリンゴはどうだろうか?青森の丘陵地にはリンゴの木がびっしりと並んでいる。どれも丁寧に育てられ、青春を謳歌している。毎年、リンゴの木はリンゴをたわわに実らせ、それを人間が採る。リンゴの木は痛いだろうか?

 稲と違って、リンゴの木は痛くないと思う。もともと植物の実は動物に食べられるように作られている。それがいちいち痛かったらかなわないだろう。そうするともし人間がリンゴだけを食べて生きることができたら殺傷と生きることとは関係が切れる。

 ところが家庭菜園をやって野菜を抜く時には命を頂戴する気がする。青々と育ってみずみずしい野菜。「トウが立つ前に採らないと」と言われる。ということは「若くて元気の良いうちに、花や実がなったらダメ」ということだからこれこそ命を奪っている感じがする。

 樹木はどうだろうか?庭木の手入れに時々、庭師に入って貰う。庭師は器用に枝を落とし、まるで私たちが散髪屋に行ったようにさっぱりとしてくれ、その後の様子を見ていると以前より元気が良い。だから庭師が切った枝はその木にダメージを与えていないのではないか。

 でもその木をばっさり切ったら死ぬ。部分的に頂くのは良いが、全部はダメということになる。

 少し前までわたしは「どうせ食べるなら大きい動物」と思っていたことがある。お釈迦様にでもお聞きしないと判らないが、おそらく小さな生き物も大きな生き物もその命は同じだろう。人間でも1メートルの身長の子供の殺人と2メートルの大男の殺人とは同じ罪のはずだ。

 そうすると大きなウシの命を一頭、いただくと100人の人が食事にありつけるが、チリメンジャコなら一度に100匹を食べることになる。一度の食事で命を奪う比率が10000(1万)倍も違う。だから牛肉だ、と肉好きのわたしは都合のよい解釈をしていた。
 
 ながながと生物の命と人間の食事について詰まらないことを議論したが、議論の目的は、私たちが「環境のため」と称して「循環型」を考える時、それは本当に環境のためだろうか?もし、環境のためとするとその「環境」とは誰のための環境だろうか?という問いである。

 人間が石油や石炭を使いすぎて枯渇しそうになっているので、動物や植物の命を貰って、もっと良い生活をしようというなら、それを「環境を守る」とは言いにくい。石油石炭を燃やすと二酸化炭素が出たり、煤煙が増えるから生物の命を貰うというのも少しわがままで身勝手ではないのか?

 「正義」というのは恐ろしい。「バイオマス」と名前が付き、なにか自然に良いような錯覚にとらわれると、その実体が多くの命を奪う行為でも「自然との共生」などというコピーのもとで拡大していく。

 もし「バイオマス」というのが「石油代わりの生物の大量殺戮方式」となれば遠慮するだろう。これまでも人間の歴史は正義を掲げて侵略、殺戮、植民地化を行ってきた歴史だった。次章から「植物プランクトンの方が生産性が良いから人間のためになる」という趣旨で検討を進めていくが、その裏には膨大な植物プランクトンの命が奪われていくので、決して環境のためなどとは言わないでおきたい。

 つづく