現代の「サイレント・スプリング」


 40年前、レイチェル・カーソンが気づいた沈黙の春に私たちは気づかない・・・


1  環境問題の変遷

1.1  Rachel Carson

 1963年、Rachel Carsonが”Silent Spring”を著し、アメリカ社会に衝撃が走った。今では考えられないが、僅か、40年前に「環境というのは何だ?まさか人間の活動が自然に影響を与えるなんか考えられない!」という反撃が全米、特にアメリカ産業界や政界を覆ったのである。その意味で、Rachel Carsonの業績は高く評価しなければならない。それ以降、ずいぶん多くの人が環境に関わり、それでビジネスや学問をしてきた。その人たちの駆動力はRachel Carsonに求めなければならない。

図 1 Rachel Carson


 Rachel Carsonが指摘した具体的な事実は「塩素系化合物を中心とした殺虫剤などの過剰散布が湖沼にいる鳥などの小動物を痛め、春になっても鳥の声が聞こえない」というものだった。それを受けた社会は環境全般に関して大きな関心を持つようになったとともに、直接的には塩素系化合物の追放運動へと発展した。DDTなどの主力殺虫剤はもちろん、一般の塩素系化合物、ダイオキシン類、塩ビ、環境ホルモン、グリーンケミストリーへと進んできた。現在はヒステリックな状況は少し沈静し、変異原性より生殖異常を来す化合物への注目が集まっている。


1.2  マラリアの蔓延

 この動きは哲学や社会学などの世界にも影響を及ぼした。特に政治的な動きをしたグリーンピースやアメリカの一部の悲観論哲学はさらに論理的な攻撃を強め、その中でSchrader=Frechetのような世代間倫理の誕生をもたらしたi)。先進国の多少行きすぎた反応はそれまでの過剰生産が原因となっているので、それ自体は納得できるが、この影響を開発途上国で見るとまた違ってみえる。

 環境はその国の発展段階によって異なる。1)工業化以前の国、2)開発途上で多少の犠牲を伴っても国全体の発展を遂げることが国民全体の生命にとっては望ましい状態の場合、そして、3)日本やアメリカのように一応の段階に達している国に大別される。アフリカの多くの国は1)に属し、アジアは2)である。その時に塩素系殺虫剤などの有用な薬剤の供給を止めると、それによって大量の犠牲者を出す。
 
 その一例がマラリアである。マラリアは日本でもある程度の感染者が居たが、図 2に示すように戦後、数年間で激減した。この数字は復員兵士の関係もあるが、戦後、ノミ、シラミなどを退治するために塩素系殺虫剤を頭から浴びるようにかけられた記憶のある日本人は多い。そのことによって衛生が保たれ、ともかくは子供の時代を生き延びたのである。

図 2 日本のマラリア患者数の変遷


 しかし日本でマラリアがほとんど見られなくなった1960年にはアフリカなどの諸国は懸命にマラリアを中心とした衛生状態の向上に努力していた。その時に殺虫剤の供給が止まったので、衛生状態は悪化し、マラリアは増大した。

 マラリアの患者数や犠牲者数は、マラリアの撲滅を期して活動している機関の発表が大きい数字で、一般的には患者数が掴みにくいという事情で1桁ほど小さい。おそらく、第二次世界大戦中は1億人単位の患者数がいて、それが数千万人(およそ1000万人を切る程度)まで低下したが、塩素系殺虫剤の排斥運動によってまた1億人程度に増えたとするのが妥当だろうii)。

図 3 世界のマラリア患者数の推移


 塩素系殺虫剤とマラリアの関係はまだ最終的に事実であるとするのは危険であるが、可能性のあることである。環境というのは総合的なもので、かつ人生観などの哲学的考察を抜きに結論を出すことができない内容を持っている。この場合も、環境とは自分の国だけのことを考えれば良く、アフリカでどの程度の人が犠牲になっても、それは環境とは関係がないという欧米の強い信念、もしくは人種差別の考えのもとでなければ、論理的な納得性はない。

 もともと、16世紀から始まった欧米諸国による植民地政策自体がアジア・アフリカ諸国民の犠牲のもとで成り立っていた。これまで工学はそのようなことをあまり考えずに目標を立てることができたが、環境に関してはこのような歴史的、政治的なことを考慮しなければならないのは、工学を担当するものとして多少苦痛である。
 
 しかし、事実はそのように進んだ。つまり開発途上国にとってはRachel Carsonの本は環境による犠牲者を増やすものであり、先進国との格差を拡大し、発展を遅らすことになった。そしてその中で犠牲になった人や子供はそれで命を終わったのである。


1.3  ダイオキシン

1.3.1  その毒性

 先進国でも犠牲が無かったわけではない。特に社会がヒステリックに応じたダイオキシンの毒性では、2年ほど前になって、ダイオキシンの毒性がきわめて弱いことが明らかになった。表 1に示した現在の免疫学、生理学、毒物学の結論が正しいとすると、ダイオキシンは砂糖や醤油より毒性は低く、これを毒物という表現は間違っていると言えよう。

表 1 ダイオキシンの毒性


 もちろん、これからの研究でダイオキシンの毒性がここで示した結果より強いことも考えられる。しかし、我々、科学を仕事としているものとしてはその時に正しいとされたことに基づいて発言し、行動する以外に行動指針はない。その点で、次の東大(退官された)の和田先生の文章は重要な指摘と考える。

 「ダイオキシンは、環境ホルモンと並んで、新しい環境汚染物質として、最近では毎日のごとくマスメディアに登場し、必ず“猛毒で発癌性の”という枕言葉がつけられ、人々を不安と恐怖に陥れている。猛毒で発癌性という言葉からは、少し舐めただけで忽ち人は倒れ、またやがては癌になって死に、人類は滅亡してしまうことを想像させる。本当にそうであろうか?

 ・・・ダイオキシンが人々に不安と恐怖を与えている原因は、科学の力の弱さにある。・・・科学よりも公共・社会的、行政的関心が悪循環して、ややゆがんだダイオキシン像を作ることになる。」(2000年1月和田 攻先生)

 ここで和田先生の「科学の力の弱さ」という表現は現在の日本の学会を厳しく指弾している。


1.3.2  その発生源

 Rachel Carsonの影響はまだ続き、その発生源でも科学の力の弱さを示した。図 4に示したように日本におけるダイオキシンの主たる発生源は水田などに使用する除草剤であったが、そのことは何故か報道されず、日本の米が汚染されている可能性は指摘されなかった。

  
図 4 日本のダイオキシンの状況(左)と発生源(右:益永先生のデータ)


1.3.3  PVCの復権

 誤解が誤解を呼び、高分子関係ではポリ塩化ビニルの排斥、プラスチックの焼却抑制へと進んだが、誤解に基づく対策が正しい結果を招くとは考えにくい。
 
 特に、ポリ塩化ビニルは高分子工業の中核的存在であり、高分子科学にとっても大きな貢献をなした材料であった。貢献度が高いから社会に害があるのに保護するというのではなく、貢献度の高い材料が冤罪をかぶるのは問題である。環境と高分子を考える上で、まずポリ塩化ビニルの誤解を解いておく必要があろう。

1. PVCはダイオキシン、その類似物質の主要な発生源ではない。
2. PVCは加工性、性能、難燃性などから人類に多大の貢献をしており、また環境を守り、人命を救っている(火災の犠牲になる人:日本だけで年間2,000名強)
3. PVCはNaClからアルカリを製造する時に同伴する塩素の用途としては、産業、環境の面からもっとも適切なものである
4. 総合的に見るとPVCは環境的に優れた材料である。
5. PVCが環境を汚染するという社会的運動によって学術的事実認識が変化することはない。

図 5 アルカリと塩素のバランス


1.4  現代のSilent Spring

 Rachel Carson の指摘を現代流に解釈すると、やはりその題名”Silent Spring”に求めることになろう。すでに現代社会は図 6(左)に示すようにほとんどの生物は人間との共存を認められない状態であり、都市では「首輪のしていないイヌ」「スズメや蚊」などに至るまで徹底的に排斥されている。まさにSilent Springである。

 さらに下水道の整備や舗装率の向上が元素の正常な循環を阻害し、森林の後退などによって日本の海(図 6右)もまたSilent Springとなりつつある。

   
図 6 現代日本のSilent Spring


 また亜鉛を中心として根拠無く毒物としてリストアップされた元素が厳しく社会的な規制を受ける時代になった。しかし、表 2に示すように学術的には動植物は地上にある元素を必須元素として利用してきており、微量元素の排斥は今後さまざまな健康障害をもたらすだろうiii)。このような大きな社会的圧力に科学の力は弱く、冷静な結論を導き出せないでいる。

表 2 動植物の必須元素


i) 環境の汚染が将来の子孫に影響があるので、子孫に対して現世代が責任があるという論理。常識では判りやすい論理だが、「相手の意志を確認できない。将来を予測することが出来ない」などの決定的な欠陥があるが、それでも時代におもねる形で普及した。
ii) 岡山大学などから詳細な研究報告がなされている。http://eagle.pharm.okayama-u.ac.jp/joho/doc/malarianet.html
iii) F.Egami,J.Biochem,77,1165(1975)