リサイクルと経済成長




 ある読者の方から次のようなご質問をいただいた。環境やリサイクル、そして経済成長などを考えた人が疑問に思うことでもあるので、リサイクルと経済成長ということで考え方をまとめてみた。少し過激になった。

1.   使い終わった製品の処理費はどうなっているのか?

 自動車は中古車もあるし、廃棄するときも昔は自動車の鉄などが使えるのでお金になったこともあった。それに対して家電製品は数10キログラムしかないのに5000円近くも処理費を取られる。これはどうしたものだろうか?

 使い終わった物を可能な限り安く処理するには一括して集めて、鉄などのように容易に分けられる物や銅や貴金属のように手をかけても回収できる物を回収して残りを焼却し、灰は埋め立てる方法である。

 この方法(焼却・埋め立て)では、家電製品が約900円程度、自動車が3000円程度の処理費になる。もちろん、常識に反して焼却したり、どこへでも灰を捨てたりすればこのコストは変るし社会的な影響もでるが、現代の工業の知見をしっかり活かせば、廃棄物の処理の実績としてはこの程度である。

 しかし現実には自動車は大きいので社会的に目立つし、家電製品の中には毒性のある物質が多く含まれているので、それを回収しなければならない。そこでなにかと理屈を付けて処理方法を業界や自治体や政府が決めるのでそれぞれに独特の方法や処理費がかかることになる。

 経済学的には処理費を誰が支払うかは問題になるが、環境としては誰が支払おうが無関係で、その分だけ環境負荷となる。もし処理費の分配によって多少、自動車や家電製品が減少するならそれも物質は減少する。

もっとも、もともと物質は人間を満足させるためにあり、単に物質が減少してもそれが社会の進歩になるわけではない。

2.  不法投棄と処理費

 最近、家電製品や自動車の不法投棄が目立つ。「ケシカラン!」という声が多いが、ケシカランのは政府や自治体の方である。

つまり、家電リサイクル法の法律の目的は「資源の節約、環境の改善」であるが、現在の処理方法は従来の簡単な方法より資源をより多く使用し、環境負荷を増やす。だから「不法」なのは自治体が行っているシステムの方であって、不法投棄する方ではない。

 仮に「法律を絶対に守る」という信念の人がいたとする。資源を節約するにはリサイクルはダメだから不法投棄せざるを得ないことになる。「形式的にはリサイクルが資源の節約になる」となっているのだか、その数字を示す証拠も明らかになっていない。

 ひょっとすると、ある業者が儲けるためにあるシステムかも知れない。そんないかがわしい物には関係したくないというのは正しいだろう。人のことを不法投棄というなら自分自身がまず不法ではないことを証明しておかなければいけないだろう。

 そもそも処理費というのは環境負荷に比例する。テレビはリサイクル法の前には多くの自治体は1台500円程度であったが、それが3000円近くになった。差額はどこにいったのだろう?そしてなぜこんな制度が「合法」で、この制度を拒否するのが「不法投棄」なのだろう。

 人間はいくら法律で決めても合理的ではないものには従わない。

3.  リサイクル法ができたことによって発生する需要

 リサイクル法によって発生した需要は処理業である。日本で約2000万台の家電製品が廃棄されるはずであり、一台あたり2500円ぐらいよけいに消費者が支払う。本来500円ですむのに3000円払うのだから処理業はたまらないだろう。総額500億円!

 しかしもう少し冷静に考えれば、リサイクルとは環境を改善し、資源を節約する為にやる行為であり、家電リサイクル法の目的にもそう書いてある。だから、リサイクルで産業が活発になるとか、需要が増えるなどと考えること自体が環境をダシにしていることを示している。

4.  リサイクルと経済

 仮に「経済」というのが人間の長期的幸福を念頭におかず、もしくは議論せず、当面、ここ10年ぐらいの所得を問題にするなら、経済がもともと環境というものを議論することが非合理的である。

 環境とは100年後に気温がどうなるかとか、200年後には資源が無くなるということを問題にするのであって、時間のスパンが違う。「環境」を真剣に考えているか、もしくは考えるだけの知識や論理能力がなければ、別の表現を使った方が良いのではないだろうか?

 ビジネスでは騙しあいもあり得る。しかし将来を真剣に考えている小学生や青年をだましてはいけない。また昔から「死の商人」といって武器を扱う商人をさげすむ。

 人間らしい本当の商売は、額に汗し、人間の幸福の為に行動し、そしてウソの無いものである。それは尊敬される。「資源の節約」といって国民を協力させ、その実は密かに儲けようと思っていたとすると、それは死の商人とそれほど変らない。なぜなら、環境が悪化すると大量の餓死者などが出る可能性があるからである。

 どうしてこんなに日本人は拝金主義になったのだろうか?つい最近の江戸時代まで、大商人を尊敬する人はいなかった。文化や芸術は尊敬され、貧乏でも立派な人も尊敬された。でも現代はリサイクルですらお金と切り離されない。