江戸時代も持続性ではなかった


 良く江戸時代はものを繰り返し使ったり、節約を旨としたりしていたので環境は守られていたと考えられている。もちろん大量生産、大量廃棄などの余裕はなく、ギリギリの物質で生活をしていた。人口もほぼ一定だったし、その意味では持続性社会が成立していたと考えられている。
頭で考えると確かにそうであるが、調べてみるとかなり様子は違う。

 たとえば江戸幕府が開府された直後の1609年に今の栃木県の足尾に銅山が発見された。当時、銅は貴重なものだったので、幕府は直ちに直轄地として足尾を押さえ、銅山を経営して銅を生産し、大切にしていた。江戸時代の採掘方法は、暗い坑道のなかでほとんど裸の鉱夫がノミを振るう方法だった。掘り出した銅を運搬するのも大変だった。主にそれは女の仕事で重たい銅の鉱石を背負って運んだものである。そのような環境だったから、鉱夫も鉱石運びの女もそれほど長くは生きることが出来なかった。

 掘り出された銅は精錬されて貨幣や金属材料として用いられた。江戸時代の生産量は260年を平均して一年あたり550トンで、盛んに生産された時期は年産1,000トン程度であった。明治になって機械が導入され、年産7,000トンから15,000トンになり、忽ち足尾銅山は枯れた。だから、「大量生産が資源を枯渇させる」ということになる。事実、徳川260年を悠々ともった足尾銅山は昭和になって閉山する。

 しかし、もし江戸時代のペースで掘り続けていたら、足尾は永久に銅山だっただろうか?そうではない。定常的なペースで掘っていたら、800年程度で無くなっていた。地中に埋まっている資源は所詮、有限だから無くなってしまう。それもこれまで人類が生きてきた500万年に比較して非常に短い期間に無くなるのである。確かに現代文明は大量に物質を使うので、枯渇する時間も早いが、そうだからといって江戸時代の使い方が「持続性」であるというのは間違いである。

 それでは江戸時代には銅はリサイクルも何もされなかったか?というと、貴重なものだったので、大切に扱われていた。でも、どんなに貴重品扱いをしていても「使う」ということは拡散し消耗していくことでもある。熱力学の法則に「何かして何も残さないことはできない」という哲学的法則があるが、人間が活動するということは何かを失っていくことである。そして何を失うかはそれほど難しい問題ではなく、歴史的にも人間が使うものすべてが活動によって徐々に失われていくことが判っている。

だから、

 まだ人類は「持続性社会」を築いたことはない。そして、私はそれはできないと思うが、現在のような狂気じみた物質の使い方、時間の使い方は行きすぎだと感じている。人間は精神的動物だから、精神を豊かにすること、モノに頼らないことが本当にできれば、完全には持続性とは行かなくても、せめて回りの動物に尊敬される程度にはなることができると信じている。