物々交換の世界

-価格は環境負荷と比例しているか?・・・その原理的検討-


 環境やリサイクルを考えるときに「価格は環境負荷(エネルギー負荷)と比例している」ことを再度、検証してみることにした。通常は経済学的手法をとれば、形式的に片づけることができるが、ここでは「簡単な原理を使用して理解する」ことにつとめた。また、ここでいう価格とは季節的およびその他の変動要因を除き、平均的な価格を指す。


1 原理的な構成を想定して考える

 まず、原理的な構成をもった社会を考える。

 国は2つあって、一つは資源国(A)、もう一つは工業国(B)である。資源は世界に一種類しかなく、鉄と石油が混じっていて鉄石という資源である。工業技術は二つあって、鉄石に情報因子を混ぜると、1)食糧と衣料になる技術、と 2)自動車ができる技術である。両方とも自己的に製造され、情報が入ると自動的に製品が出来るとする。ただし、製品は鉄石の半分しかできず、残りの半分は製品を自己的に作る為のエネルギーと無駄になる物質である。エネルギーは二酸化炭素として大気中に飛散するが、物質は固体廃棄物になるとする。この固体廃棄物の価値については、次の章で整理をする。

 以上の世界を想定して、計算に入る。

 まず資源を掘り出すために必要な資源が1.0貯まっている時から話を始める。

 A国では鉄石資源1㌧から4トンの鉄石を取り出し、そのうちから1㌧を資源国の人の生活のために取り、それに情報因子を混ぜて食糧を衣料を作り生活をする。残りの3㌧は隣の工業国へ売却する。売却の価格はいくらでも良いが、とりあえず、3㌧で3万円で販売したとする。資源国では食糧と衣料を作るために使った0.5㌧は直ちに廃棄物になり、食糧と衣料はすこし時間が遅れるが毎年、0.5㌧だけ二酸化炭素と廃棄物になるので、結局、4㌧を掘り出し、1㌧を使って、その1㌧は廃棄物になり、3㌧は外国に出て行く。
 
 工業国は手持ちに製品が無いので、3万円の手形を切り、3万円相当の物納で納める約束をする。B国では、3㌧の内、同じく1㌧をとって情報因子を混合し、0.5㌧の食糧と衣料を作って生活をした。ここでも0.5㌧がただちに廃棄物になり、食糧と衣料はすこしタイムラグがあるが、やがて廃棄物になる。残りの2㌧に情報因子を混合して2台の自動車を製造した。一台、0.5㌧で製造損失が合計で1トンだった。2台の内、一台を自分たちが使うために取り、残りの一台を資源国の手形決済に使用した。つまり、自動車一台3万円になったのである。重さは0.5㌧なので、資源がトンあたり1万円であるのに対して、自動車に加工すると1㌧6万円と6倍の価値になる。

 廃棄物は全体として資源を掘った量と同量になり、最終的には掘り出した資源は全て廃棄物になり、つじつまがあっている。

 金銭的のつじつまは、
1) 工業国の中で行われていることをブラックボックスとすると、外から見る人に取っては3㌧の資源を「工業国という箱の中」に入れると、ごちゃごちゃやった後、0,5㌧のものが製品として出てきて、廃棄物が2.5㌧でる。つまり資源3㌧を使用して0.5トンの製品と、2.5㌧の廃棄物であり、製品量が6分の1なので、価格も6倍になっている。つまり「使用した分だけ価格(これを付加価値という)が高くなる」ことが判る。
2) B国の国の中だけを見ると、3万円で資源を3㌧買い、それを国内で生活と製造に使い、全体としては0.5㌧を輸出する。国内に輸出品を製造するためにでた0.5㌧が廃棄物となるが、それを除くと、2㌧の資源から生活と自動車を得て、閉じたサイクルで使用が行われ、2㌧の廃棄物となる。金銭的には国内価格を輸出価格にあわせれば、自動車が3万円、食糧と衣料も技術レベルが同じで同じ付加価値がでるとすると、資源が3万円なので、9万円になり、3倍の付加価値が加えられる。


2 改善された場合

 ある時、情報因子に技術革新があり、混ぜる手間が少なくなり、5㌧の資源を輸入して1㌧を生活に使う状態、つまり同じ人数で4㌧の資源から4台の自動車が出来るようになった。同じ人数なので、食糧と衣料は同じ量、つまり1㌧でよい。自動車は4台できて、そのうち2台を5万円で売却して資源代にあてた。それでもそれまでの3万円から見ると5000円安いので、資源国も喜ぶ。残りの2台を工業国で使ったので、自動車の保有台数は2倍、人間は同じ数なので、便利になった。このように工業の効率が高まれば、資源国も工業国も豊かになる。
 
 ある時、3㌧の資源から前より倍の価値を持つ自動車が出来るようになった。自動車が1台6万円になるので、2回分の資源を買うことができるが資源はそれほど要らないので、6万円で売って残りの3万円は将来の為に貯金したり、あるいは他の物を輸入することができた。0.5㌧を6万円だから㌧12万円。つまり資源の12倍の価値の物が出来ていることになる。この場合は国内の資源は最初の状態と変わらないので、廃棄物量も変化がないが、輸入量が増えるので、輸入物質と輸入物質を作るために使った資源が他国で捨てられる。地球上の資源使用量は増えるが、その国の使用量はあまり増えない。つまり廃棄物の一部域外搬出になる。この場合も、価格は物質量と対応している。

 上記の場合、定常的な貿易が行われることを前提としているので、最初、自動車の価格を3万円とした。もし工業国で作られる自動車が1万円の価値しかなかったら、代金の支払いが滞るので、このシステムは長くは続かない。つまり国際的な競争力のない自動車を作っても輸出できないので、資源は継続的に得られないことを示す。


3  日本の現状

 ちなみに日本は32兆円の輸入で40兆円の輸出。8兆円の貿易黒字になっている。輸入は石油石炭天然ガスなどのエネルギーと鉄鉱石木材などの物質があるが、鉄鉱石や木材を外国で掘り出したり、一次精錬するときのエネルギーを石油で換算して、エネルギーも物質も石油で示すと、石油換算6.5億㌧が輸入されている。輸入原油平均価格が25円とすると、16兆だから、計算上は、約半分が製品輸入ということになる。資源16兆円輸入、製品24兆円輸出だから、8兆円は輸入資源の半分に相当する。

 一方、国内総生産は500兆円だから、輸出金額の約12倍。つまり国内での生産による価値の増大は12倍から15倍程度になっていることを示している。上記の6万円の自動車ができるときと同一となる。

 以上の考察から、総資源石油換算量6.5億㌧が、国内製品ベースでは石油換算量78億㌧に増大する。この増大は付加価値増大による価値量の増大でエネルギー量の増大ではない。エネルギー量はこの78億㌧を価値の上昇分の12で割ることによって得られる。


4  人件費の解釈

 物を作るときには、原材料費、設備費、人件費、管理費、社会関係費が必要である。原材料があって、設備がなければ仕事は出来ないから、これは誰でも納得する。また、全部ロボットがする仕事も将来でてくると思うが、現在は人手は何らかの形で必要となる。そして、本社の様な管理、政府のような社会関係費が必ずかかる。これはすでに人間社会が高度に発達しているためであり、信号機の無い道路、年金の無い国家が考えられない事による。

 管理費、社会関係費も原材料、設備が必要であるが、主体が「人間」なので、製造会社が管理や社会に設備をリースすると考えることもできる。そこで、管理、社会関係費も人件費とする。

 そのように考えると、物質に関わる費用と人に関わる費用に分かれることが判る。ところが原材料費、設備費といっても、原材料や設備費はどこかで製造されるので、その内容を見ると、やはり物に関係する費用と人に関係する費用に分かれる。たとえば、あるものを生産するときに工具を使用したとすると、工具の材料費が半分、人件費が半分であると、製造に関わる「物」の費用のうち、半分は人件費ということになる。さらに工具を作るときに材料費が鉄の時には製鉄の場合も物と人件費であり、製鉄に使う鉄鉱石も物と人である。ついに地下から掘り出す資源までたどり着くと、全て人件費でも計算できることが判る。

 つまり、たとえば自動車を作るとき、鉄でできた部品、部品を作る鉄板、鉄板を作る鉄鉱石・・・となると、全ては人件費として計算できることを意味している。地下に眠っている資源はもともと負荷ゼロだからこのようになる。

 ところで、この人件費として全てのお金が「人」にわたることがわかるが、それはそれで当然であり、地下に眠る鉄鉱石も石油も製鉄所の溶鉱炉もお金を要求することはないので、お金は全て人件費である。

 この人件費はいったん家庭に入るが、家庭でタンスのなかにしまい込まれているわけではない。衣食住、工業製品、楽しみ、教育などに使う。衣食住は直接的なものであり、楽しみや教育はいったん別の人にわたるがそれもダブルカウントである。結局、全ての人件費は最終的にはなにかの物質を購入する事に当てられる。

 最初の章で示した生活費などは物で受け取る場合でも、資源などを売って手元に残ったお金(人件費)は自動車を買う。その自動車の値段はそれを製造するための物質量で裏打ちされている。現在の日本で製造されるものは、装置産業のように人件費が20%程度の場合と、サービス業のように人件費が80%程度の物もある。たとえば、A国の場合、人件費が25%で、B国でも33%である。

 B国で自動車を作る為の費用構成は、人件費33%、材料費67%ということであるが、それぞれ物質に対応している。間に商社が居る場合を考える。A国で資源5㌔を取り、1㌔を生活に使って4㌔を売る。B国の商社がまず4㌔を受け取り、1㌔をとって3㌔を自動車会社に回す。自動車会社は1㌔を従業員に渡して2㌔で自動車を作り、そのうち一台を4万円(4㌔相当)で売る。そうすると、商社が仲介した分だけ効率が悪くなるが、人件費が2万円、材料費が2万円で合計4万円。4万円かかるから4万円で販売することになる。


5  人件費は環境負荷か?

 さて、この話ももっとも難しいところに差し掛かってきた。

 たとえばリサイクルをしたり、技術革新をする時、人件費をどのように環境負荷として考えたら良いだろうか?A国もB国も国民の数が同じとする。国民は常に一年で1万円のものを使って生活をすると考えると、これは環境負荷に入れるのは奇妙だ。だから、地下から掘り出した資源5㌔の内、A国とB国の3人分(鉱山労働者、商社、自動車製造者)の分を差し引き、残りの2㌔をどのようにして減らすかという議論が重要であるという見方もある。

 この問題は考える視点によって異なる。まず、人間が汚しても製造過程で汚れても、同じ汚れであると考えると、環境負荷は全てを入れる事になる。一方、人間の分はつねに必要なので、算入しないという考えもあり、この場合は自動車を作るか作らないかで環境負荷が決まる。

 著者は「人件費を入れる」ということで今まで環境負荷計算をしてきたが、その理由の第一は、生活に必要なもの(B国の自動車製造者の1㌔)と、自動車そのもの(1㌔)の区別が難しいという認識からである。第二は現在の日本人は「最低の生存に必要な物質量」の20-40倍を使用しており、全ては無駄といえば無駄、豊かな人生を送るという意味ではすべて必要ということになるからである。
 
 たとえば、リサイクルの為に、1)主婦がボランティアとして分別する 2)市役所の人が分別する の2つに差があるか?という問いがある。この場合、主婦と市役所の人の違いは、1)生きている人間であるという点では同じ 2)主婦は賃金をもらっていないが市役所の人は賃金をもらっている ということであり、主婦は分別をしてもお金がないのでものを買えないが、市役所の人はお金をもらえるのでものを買うことができる・・・つまり市役所の人の方が環境を汚す・・・という事になる。

 この議論を進めていくと、全ての人がボランティアで働けば、給与が少ないので、なにも買えず従って環境には良いことになる。このことがナンセンスであることは明らかであり、「主婦がボランティアで分別する」という行為を強制するのは衆愚政治の一つの例であることが判る。


名古屋大学 武田邦彦