人工鉱山の作り方
名古屋大学 武田邦彦
1 人工鉱山に関わる資源状況の認識
現代の日本が使用している主たる資源は、金属系では鉄鉱石、銅鉱石、ボーキサイト、非鉄金属鉱石などであり、有機系は石油を原料としている。これらの資源のほとんどが輸入で、日本には資源は皆無と考えた方が良い。日本にあたかも資源があるように錯覚するのは、日本の技術力が世界平均より高いので、工業製品の販売によって得られた外貨を国外資源と交換している。もし日本の工業力が落ち、外貨が手に入らなくなったら、資源もともに手に入らなくなる。
一方、無機資源は砂利、土、砂、岩石などであるが、これらは一部を除いて日本国内で調達している。最近ではコンクリートを作る上で使用する川砂が不足してきているが、日本は世界でも稀に見る土建王国で世界平均では突出したインフラストラクチャー投資を行っていることが原因している。日本の土建業の受注額が他の先進国並みになれば無機資源については極端な外国依存にはならない。
図 1 日本のインフラストラクチャー(建設)投資・・最近は少し投資率は下がっている
食糧・家畜飼料は海外依存度が高く、図 2に示したように日本の食糧自給率は50%を切っている。他の資源と比較して資源の輸入率としては高いが、食糧という点では国際的に群を抜いて高く、いつでも「飢え死ぬ」覚悟である政策を選択していると言える。このような資源セキュリティーという点では、石油や石炭を全面的に海外に依存し、かつエネルギー使用量が極端に高いという状態は工業国としてかなり特殊であり、このような状態で原子力発電所の反対運動が起こるのはかなり奇妙な現象である。
図2 先進国の食糧自給率(カロリーベース)
2 リサイクルとの関係
資源が少ないことからリサイクルが検討されているが、現在の日本で実施しているリサイクルは「目の前にある物質を、目に見えない大量の物質で循環する」ことであり、地球全体、あるいは日本全体から見ると、リサイクルは資源を余計に使用する。このことについては著者の幾つかの書物に定量的に示してあるので、それを参照されたい。また紙のリサイクルのように、図 3に示すように資源の種類を考えていない。つまり、せっかく太陽エネルギーで採れる木材を使用せずに、石油を使用してリサイクルするなどの矛盾が見られる。これも環境という全体を考える時にも、「目に見えるものだけに注目する」という刹那主義が支配しているからである。
図3 資源の「遺産組」と「月給組」
従って、リサイクルは資源の節約にならないので、人工鉱山を検討する時に勘案しなくてもよい対象である。しかし、ここで言う「リサイクル」とは現在の日本で行われているような「瞬時リサイクル」・・・使い終わったら直ちにリサイクルする・・・ことを意味している。長期的に見ると資源の枯渇は避けられないので、資源の備蓄が必要とされる。
3 資源の備蓄
資源の備蓄には2つの方法がある。一つは日本の技術力が高く外貨が手にはいる内に、ウランや銅鉱石などの貴重な資源を購入し、それを国土に蓄積する方法である。エネルギー資源としてはウラン以外は体積が膨大なので考慮することができない。また一般資源では鉄鉱石、銅鉱石、ボーキサイト、貴金属資源などが主力であるが、資源の寿命などから図 4に示すように銅族元素が地殻における埋蔵量が少なく、消耗量が多いので、備蓄の対象としては論理的である。このことも著者のホームページの中の著作に詳細に述べてある。
図4 資源の種類と埋蔵量・消耗量の基本的関係(Goldschmits)
もう一つの方法は現世代で使用した資源を使用後に蓄積する方法である。使用した資源は廃棄物となり、最終的には埋設される。たとえリサイクルしても、焼却しても、最終的にはどこかに持って行かなければならず、かつ廃棄物の越境(他国への搬出)は図 5に示したようにバーゼル条約で禁止されており、国際倫理としても不適切であり、一部のものは国際的にも禁止されているので、日本国内に蓄積しなければならない。
図5 有害廃棄物の越境を禁止したバーゼル条約の概念図
また、仮にリサイクルなどの物質の循環が有効でも、日本社会に導入された資源は「その分だけそっくり」日本社会に廃棄物として蓄積される。現在の日本は年間20-22億㌧の資源を新しく使用しているので、年間20-22億㌧の廃棄物が出る。目に見える廃棄物と(市民の)目に見えないものがあるだけである。
図 6 2000年近傍の日本におけるマテリアルフロー
たとえば市民が「ゴミを減らす」といっているゴミは廃棄物の中の40分の1に相当する「一般廃棄物」でありゴミを減らすのは良いことだが、もしゴミが0になっても、総廃棄物は40分の1だけ減るに過ぎない。気休めはやらない方がよい。
従って、毎年、廃棄される20億㌧余の廃棄物の中に含まれる資源を如何にして子孫に残すのかが問題になる。現在のまま国土のどこかに「廃棄物」として10億㌧を超える資源が蓄積しているのはもったいない。せめて子孫が使える形で残したい。これが人工鉱山の思想である。
4 人工鉱山の作り方
さて、具体的に人工鉱山を作る方法はどうするのか?それにはまず、使用後の資源の状態を理解しておく必要がある。
1) 大量に使用されている鉄やプラスチックは約半分が使用中に飛散する。飛散のほとんどは「物理的に小さくなる」ということによる。たとえば鉄は錆びて飛散し、プラスチックは細かく砕かれたり、何かの袋に使用される。従って、できるだけ多く回収するためには「分別」などをせずに、まとめて処理をしなければならない。(分別時の損耗を少なくするため)
2) 非鉄金属やその他の小量使用する物質は多くが損耗する。その理由は「多く使うものに付随しているから」である。つまり、たとえば「チタンのコーティング材を少し使っているプラスチック部品」を考えると、プラスチックを再生するときにはチタンの量が少ないので、廃棄されるからである。少ないものは「善意や意志」では回収できない。
3) 砂利や岩石は原則として回収できず、また回収する意味が少ない。
4) 日本で使用している工業製品中に含まれる有害物質は平均で許容濃度の4万倍程度であり、常に廃棄物中には毒性物質があるとして良い。
5) 食糧や飼料は使用後に糞尿になる。糞尿を肥料に使用することはできるが、再び炭化水素に転換する比率が低いので「無価値なもの」として取り扱う。
などがまずは前提になる。すなわち人間社会で使用されるものは多種多様でしかも形態が複雑である。資源はあらゆるものに分散していると言える。そこで、使用した後、廃棄までの間にできるだけ「まとめて、捨てずに」集めることである。このためには「分別」はもっとも望ましくない。
分別せずに集めた廃棄物はまず焼却する。焼却する目的は、
1) 減容
2) 有機性有害物質の浄化
の二つである。資源の有用性はその品位による。従って、品位を高める必要があり、そのためには最も体積の大きい有機物を焼却して二酸化炭素に変換する。二酸化炭素は大気中に放出されるが、社会が使用した炭素資源は必ず(図 7に示したようにどんな道筋をとっても・・・焼却しようが、埋め立てようが、またリサイクルしても)同じ量の二酸化炭素を出す。エネルギー論から言えば「急速に熱に変換した方が熱効率が高い」ことから、焼却は「同一の二酸化炭素放出量に対してもっとも効率的な廃棄物処理法」である。
図7 炭素資源はやがて二酸化炭素になる
また次の章で述べるが、現在のところ焼却以外に有効な有害物除去の方法がないことも焼却が求められる一つである。
一般廃棄物の減量の程度は東京都の場合、約10分の1から20分の1と言われている。一般的に鉱石品位と製錬関係の環境負荷(多くの場合、環境負荷はコストで表現されている。「コスト」とは「プライス」と異なり、収益を含まないので、ある程度、物質やエネルギーを使用する尺度として使用できる)には強い相関があり、仮に焼却によって廃棄物体積が10分の1になると、品位が10倍になるので、コストが10分の1になるという計算で良い。
図 8 濃度、品位と価値又はエネルギーの関係
このようにして減容した廃棄物の中には、1)有用であって毒物である元素 2)有用であって無毒な元素 3)ほぼ不要なもの の3種に分かれる。技術的課題はこの3つを分離することであるが、焼却以前に粗い分離をするのが有効なのはコンクリート片であるが、これも消費者の手元で分別するには重機がないので望ましくなく、焼却場で粉砕などの手段を経て分離するのが望ましい。
環境関係の議論では多くの「間違い」が存在する。その間違いの多くは工業を知らない人が、日常の生活の中でものを考えることにある。もともと科学は日常の中にあるのだから、日常の感覚で考えるのは正しいが、だからといって「知識が無くても良い」ということは違う。正しいことを考えるためには、「日常的な感覚から離れないこと」「深い関連知識を有していること」の二つが必要なことは言うまでもない。現在の工業製品や身の回りのものは一般家庭で処理できるようなものではない。また一般家庭で処理できるように製造すると膨大な資源を要し、少なくとも環境を保全するという意味では逆方向になる。
このように焼却、有害物質除去のプロセスを経て、人工鉱山に貯蔵する。現在の技術でもっとも優れた方法は、廃プラスチックに多少の有害物質を含む灰を閉じこめて人工鉱山に格納する方法である。このような方法を選択できる為には日本国全体で4兆円ほどの投資が必要である。4兆円というと日本の1年の国家予算の20分の1、国内総生産の120分の1であり、環境と将来の資源保全を考慮すると負担できないほどの投資ではない。すでにイギリスで行われているように、人工鉱山は適当な山麓を選択してその下に格納するのが適当だろう。
5 人工鉱山がなければどうなるか?
日本には鉄鉱石、銅鉱石、石油、石炭、天然ガス、ウランなどがない。従って私たちの子孫は資源の枯渇に苦しみ、資源国の資源を獲得するのに技術力を高め、残業をして必死に働かなければならないだろう。私は昔、エネルギーの研究をしていた。毎日、毎日、遅くまで働き、家では家内が必死に家計を守った。そうして頑張って10年も経ったとき、オーストラリアの州政府の方が技術を買いに来た。その接待をしていて強く感じたのは、私は日本に生まれ勉強し、そして苦労して技術を開発した。相手はゆったりとしていて「技術が良ければ買ってやっても良い」という態度だ。それでも技術を売らなければ資源(原料)は獲得できない・・・つくづく「地主と店子」の差を感じたものである。
図9 資源と輸入、それに人工鉱山の概念図
もし私にできれば、私の子孫にはこのような苦労や屈辱を味合わせたくない・・・彼らと私の差は単に資源を持っているかどうかだけだ、と思う。
図 9に示したように、もう少し長期的に考えたい。
今、日本はあふれるほどのものを輸入している。この機会にその資源を国内に蓄積しておきたい。それも現実的に可能であるし、費用もそれほど膨大ではない。さらに有害物質の除去や廃棄物貯蔵所の問題も解決する。それに私は狭い台所で役にもたたない分別をしている人が可愛そうだ。でも、現代の日本は赤字国債にしても廃棄物にしても、さらに最終処分場の問題にしても、今の世代が良ければ良いという徹底した自己主義が横行している。
その世代の一員として残念だ。
6 人工鉱山と最終処分場の違い
廃棄物を安全に格納するために最終処分場が建設されている。有害物質を格納する「最後の場所」として環境を大切にする人にも支持されている。しかし、それは間違っている。
「最終処分場」がなぜ必要かというと処理をした最後の廃棄物の中に有害物質が入っているからである。それを「最終的に処分する」なら良いが、この処分場は「最終」という名前がついているだけで本当は、毎日、世話をしなければならないやっかいな処分場である。あまりに大きいので露天に作られている。雨が降ると最終処分した廃棄物が濡れ、有害物質を含んだ水が処理場の「処理施設」に入る。本来、最終処分は処理しなくて良いように作る必要があるが、現実にはそうなっていない(できない)。
そこで多くの処分場は、1)逆浸透 2)キレート処理 を行って有害物質を除去する。この2つの技術は最新技術なので「素晴らしい技術を処分場に使う」ということでみんなが満足するが、本当のところは最新技術ほど不安定で手間がかかる。人口25万人のある自治体では2025年までに最終処分場を5つ作らなければならない。
最初の処分場は海岸に作った。海岸に作ると、もし漏れだすと海を汚す。でも市長さんは逆のことを言っておられた。「次の処分場は山の方に作ることになるだろうが、心配だ。もし有害物質が流れ出したら今度は民家の方に流れる」。とにかく私たちが使った有害物質をそのままの状態で蓄積するという考え方自体が間違っている。私たちが処理するのは面倒だから子孫にそれをお願いしようというのは本当に環境を守ることだろうか?
最終処分場を作ることしか技術が無ければ諦めもつく。しかし、焼却して人工鉱山に安全に貯蔵できるのだから、それを選択するべきである。現在の日本人は少しおかしくなったのではないかと思う。自分だけが良ければよい、赤字国債でも最終処分場でも、今が良ければ良いということでは環境を語る資格はないだろう。