火災の防止の目的と環境

 1963年、Raychel Carsonが”Silent Spring”を出版して以来、人類は「環境」に目覚め、様々な運動が行われてきた。そのうちもっとも激しいものの一つが「ハロゲン化合物の追放運動」だったが、既に”Silent Spring”の出版以来、40年を経ることからここでハロゲン化合物の環境汚染について第一段階の評価を行うには適当な時期であると考えられる。
 まず、Raychel Carsonが指摘したことに対する社会の誤解を解いておく必要がある。彼女が主張したのはハロゲン化合物の追放ではなく、まず事実として「殺虫剤を使うと虫がいなくなり、虫を食べる鳥がいなくなり、そして鳥のさえずりが聞こえず、従って春は沈黙する」ということであった。そしてそのことから彼女は、人間はもっと自らの活動を制限し、何でも急いでやるという思想は間違っているのではないか、とした。このこと自体は環境問題の本質を突いており、現在でも全く批判の対象になり得ないことである。しかし世界は彼女の著作に衝撃を受け、直ちに「特定の殺虫剤を排除しよう」として動いた。ターゲットとなった化合物の代表格がDDTであり、それは次第にハロゲン化合物全体に及んだ。さらにその後、環境ホルモンなどの問題が発生し、現在では「ハロゲン化合物は環境に対して悪い影響を与える」という点でほぼ社会の評価が決まっているように見える。
 しかし学問は社会の認識と一致していることは求められない。そして環境の学問はそれほど精密でもなく進歩も遅く、しかも激しい社会の動きに幻惑されるので、まだハロゲン化合物が環境に対してどのような影響を持っているのかを評価することはできていない。情緒的で非科学的な運動が展開されるだけである。
 そこで、現在の時点でハロゲン化合物の環境に与える影響を、ハロゲン化合物の中でもっとも注目すべきものとしてDDT、臭素系難燃剤、ダイオキシンについて整理を行うと表 4のようになる 1)。まずDDTであるが、Raychel Carsonがその著書を出版した時、先進国ではDDTを用いたハマダラ蚊の駆除が終了し、マラリアはほとんど見られなくなってきていた。例えば日本では1950年代初頭にはマラリアは注意しなければならない病気ではなくなっていた。しかし発展途上国は国連によるマラリア撲滅運動のさなかにあり、多くの発展途上国はDDTを喉から手が出るほど求めていたのである。それを環境運動が妨害して、発展途上国のマラリア患者は毎年500万人の規模から数1,000万人へと増え、マラリア研究者によると現在でも世界で一年間に100万人規模の犠牲者が出ると言われている。

表4 環境への影響が心配された代表的ハロゲン化合物の環境評価

 強いもののための環境という側面を持つDDTの環境問題はそのまま火災の防止に関する技術にも及んだ。社会で難燃材料がなぜ必要になるかというともちろん火災の減少である。火災によって死亡する人の数は全世界で一年に約2万人と推定され、電気火災、輸送火災などはそのうち約20%程度を占めるので、ハロゲン化合物としての臭素系難燃剤の規制によって一年にその2%以上の人が新たに犠牲になると推定され、臭素系難燃剤の規制による犠牲者は、規制の開始から既に20年を経ているので、犠牲者の総数は約4,000人以上に上ると考えられる。
 一方、臭素系難燃剤の環境汚染としてもっとも危惧されたのはダイオキシン類による環境破壊であるが、1)ダイオキシン自体の毒性が低いと考えられること、2)臭素系難燃剤からたとえ臭素系ダイオキシンが発生したとしても化学的安定性が悪く短時間の間に分解すること、から環境破壊の可能性は極めて低い 2)。
 火災を防止するという我々の目的は何であろうか?環境を守るという行為の目的は何であろうか?社会は将来起こりうるかも知れない健康障害や動植物への影響を心配して、年間200名以上、総計8,000人以上の犠牲者を出しても良いのだろうか?環境運動は声の大きい人、元気な人の安全を優先する傾向にあるのだが、ここでも白人男性より有色人種が、元気な青年や壮年期の人のために幼児や老人が犠牲になる、そのような環境運動が展開されているのである。
 しかし、別の見方もある。社会が高度化しない時には火災による死因は焼死であったが、現代の日本やアメリカのように住宅や交通機関が高度化すると火災による死因は焼死ではなく、図 3に見られるように一酸化炭素中毒死に変化していく。


図3 日本の火災による死亡原因(2003)

 臭素系難燃剤は気相におけるラジカル連鎖反応を止めることから、気相中の一酸化炭素の濃度を増大させる方向にあり、その点からは長期的に考えた場合、気相の酸化反応を抑制する方法から別の方法への転換が迫られる時期が来ると考えられる。その目的のために、1980年代初頭から盛んに研究が行われてきた。リン系難燃剤の改良、シリコン系、イントメッセント、そしてナノテクノロジーなどがその主なものであった。そして21世紀の初頭、すでにハロゲンより優れた難燃剤を発見しようとする努力が行われ始めてから20年を経て、まだハロゲンを凌駕する難燃剤は誕生していない。そして、現在、世界では現在ナノテクの研究を中心として難燃材料の研究が行われているが、著者らも可燃性材料が燃焼する時の熱バランスを中心として新しい難燃材料を発見しようと研究している。なお、難燃材料に関する標準的解説は著者らのホームページや若干の解説書を参考にして欲しい 3,4)。

 

参考文献

1) 武田邦彦, “何を食べたら安全か?”, 青春出版 (2004)
2) NEDO, “環境負荷抑制対応廃棄物エネルギー利用促進調査研究成果報告書” (2002)
3) 武田邦彦ホームページ, 難燃材料・火災 http://www.numse.nagoya-u.ac.jp/F1/proftakeda/nannen/index.htm
4) 武田邦彦, 高分子, Vol.49, No.4 pp.242-247 (2000)

第四回 終わり