高分子の燃焼と難燃(その1)

はじめに

 理学は自然現象を解明する学問である。だからニュートリノの検出が何に役立つか、超新星の爆発が地球に何らかの影響を与えるのかを聞く必要はない。私たちは自然現象が解明されること自体に興味をもち、興奮する。でも工学は違う。自然現象を活用して人類の福利に貢献しなければならない。それが工学のもつ使命であり、だから工学には工学の困難さがある。例えばA地点からB地点に移動するのに摩擦熱が無く、空気が無く、高低差があっても出発地点と到着地点の高さが同じなら移動に要するエネルギーはゼロである。これに対して現代の工学の粋を集めた乗用車が人を運搬するエネルギー効率は内燃機関燃料基準で2%に過ぎない。このように工学とは原理と現実の間をどのように埋めて人間の役に立つかが問われる学問である。
 日本の火災による焼死者は年間2000人を突破し、交通事故に次ぐ大災害である。焼死という最後は悲惨であり、それは可燃物と密閉空間でもたらされ、いずれも工学の産物であることが多い。可燃材料を不燃、もしくは難燃にすることは可燃物を生活空間に持ち込んだ工学の責務でもある。本稿では少しでも早く可燃性工業材料がもとで悲惨な最期を遂げる人を救うのに少しでも貢献できればと執筆したものである。

 高分子の燃焼と難燃

 難燃研究の歴史

 山火事、焚き火、松明、行灯、江戸火消し、暖炉・・・人類と有機材料との接触は古く、「ものが燃える」という現象は、化学的に炭素・水素と酸素化合物のラジカル連鎖反応であるということが解明される前から、経験的によく知られていた反応であった。私たちの意識のそこには昔の記憶が残っているので、今でも私たちは木材や紙、プラスチック、ゴム、繊維、油などの有機材料がよく燃えることは当然であるとつい思ってしまう。
 燃えるものを燃えなくするという研究が近代的に始められたのは、ルイ王朝のフランスで、オペラ座のカーテンからの火災を防ぐためにGay-Lussacらの科学者たちが王の命令で研究を行った 。その時も「燃えにくいカーテン」という目標はあったが、「燃えないカーテン」というものがこの世に存在するとは考えてもいなかったと思われる。
 そのような人間の歴史を考えると、第二次世界大戦の時にアメリカ軍の「絨毯爆撃的研究」によって「ハロゲン化炭化水素と酸化アンチモン」という奇妙な組み合わせが繊維で作られたパイロット服の燃焼を防ぎ、多くのアメリカ空軍パイロットの命を救ったことは特筆すべきことである。もちろん、研究とは現在、できないものをできるようにするのだから「意外性」は研究の本質でもあるが、やはり驚くべき進歩だったことは確かである。そして、「パイロットの命を救う」という研究が戦時のアメリカ軍によってなされたのは、日本海軍の航空部隊はパイロットより戦闘機を大切にし、アメリカは戦闘機よりパイロットを大切にしたという考え方の違いがあったこと、そして第二に戦時中、アメリカには基礎的な研究を進める余力や合理的な考え方があったが、日本では余力もなく、また精神論が支配して合理的な研究を進めることが出来なかったことによる。
 第二次世界大戦の時のアメリカ軍による研究成果は有機材料の燃焼という学問分野では大きな進歩であったが、学問全体としては小さな発展とした方が適当であると考えられる。しかし、開発の経過とその結果は極めて示唆的である。第一にアメリカ軍の発明は、それまでの難燃化理論からは推定が出来ないものであったこと、第二に発見後、数十年を経過した後、そのメカニズムが明らかになると極めて論理的で当初から推論が可能なものであったこと(研究者は「なーんだ、そうか!当たり前のことじゃないか!」という感想を持ったこと。)、 第三にあれほど良く燃える繊維が「燃えない繊維」に変貌することが現実にあり得ることを示したこと、である。
 この3つのことは、それぞれ研究というものが「神様の後知恵」であり、「学問とは自ら時代遅れになることを望む」ということであり、「実験は現在間違っていると思うことをしなければならない」ということを教えている。
 その後の難燃化の歴史を振り返ると、アメリカ軍が教えてくれたこの事実と同じような価値のある発見が1963年、FenimoreとMartinによって報告された。1),2)

 

表 1 FenimoreのOxygen Index


 表 1はFenimoreらの論文に載った表であるが、表中のOIとはOxygen Index(酸素指数)の略であり、材料が継続的に燃焼することができる最低の酸素分圧(%で示す)である。Candle, Polyethylene, Polystyreneなどは空気中の酸素濃度(21%)より低い酸素中でも燃焼するが、Polycarbonate, Polyvinyl chlorideなどは燃えにくいことがわかる。
 この研究は材料の燃焼において「最低酸素分圧で整理する」という新しい手段を与え、その後のKrevelenらの研究につながったという意味で重要であるが3),4)、それに加えて学問的に注目すべきことが2つあった。その一つは酸素濃度が15%以下で燃焼する材料は見つからなかったということであり、もう一つはCarbonが酸素濃度65%でなければ燃えないということであった。地上の酸素濃度が現在の21%になったのはそれほど古くはない。地球が誕生した時、大気中に酸素は存在しなかったが、37億年前に生物が誕生し、二酸化炭素と太陽の光を用いて光合成を行い、二酸化炭素から還元炭素を作り出した。還元炭素は生物の活動源となり、還元炭素を合成する過程で酸素を放出した。酸素はまず海水に溶けている二価の鉄を酸化し、それが終わると大気中の酸素分圧が増え、成層圏にオゾン層が形成され、5.5億年前になるとやっと生物が大規模に繁殖できるようになった。酸素濃度が現在程度になるのは古生代であった。
 それから数億年の間に地上には「酸素指数が15%以下のような材料は直ちに酸化されて存在できない」という自然による「反応淘汰」が行われたと考えられる。「淘汰」というと生物種間の生存競争による淘汰が思い起こされるが,5)、化学的反応において生物と無生物を区別する基本的な差はないのだから、生物同士の競争において淘汰があれば無生物同士にもあり、また無生物の変化によって生物側に新たな淘汰が発生しても何の不思議でもない。6)だから、地上には大気中の酸素濃度より大きく離れて低い酸素分圧の中で燃焼する材料は存在しないというのは当然でもあるが、同時に燃焼に基づく安全性という意味では示唆的である。すでに現在の地表に還元状態の自然銅がなく、酸化銅も少なく、人類が利用している銅鉱石の主力が硫化物になっているのは人間の活動の結果であるが、有機化合物の構造の一部は現在でも空気中の酸素濃度に支配されているのである。
 ところで有機材料の燃焼という点でも酸素濃度15%という数字も意味が深い。つまり「有機材料は燃える」という我々の感覚は「我々が現在の地表に住んでいるから」という制限条件の中でのものであり、普遍的なことではないことがこのことの中に示されているからである。もし我々が酸素濃度10%の世界に住んでいれば「木材もプラスチックも不燃物」として分類されるだろう。それでも酸素濃度10%でも体内に取り込んだグルコースが、触媒を使って細胞で酸素と結合して生物の活動のエネルギーを提供することは出来ると考えられる。
 もう一つ、Carbonが65%の酸素でなければ燃えないという事実と「炭素の固まりである石炭は良く燃える」ということの関係を考えることも材料の難燃化では重要な結果をもたらした。その後の「表面炭化層形成による難燃化の技術」はこの知見からスタートし、リン系難燃剤の発展、イントメッセント系難燃方法の開発へと進んだ。
しかし、酸素濃度が60%近くにならないと炭素が燃えないというのは常識では考えられない。古代から、そして特に19世紀からの近代工業は樹木にしても、石油や石炭にしても主として還元状態にある炭素を酸化させることによってエネルギーを取り出し活動を行ってきた。

さらに、酸素濃度が15%より低いと燃えない、炭素は65%の酸素でなければ燃えない・・・ここに有機材料難燃化技術の一つの鍵がある。つまりさらに踏み込んで考えてみると、「プラスチックが燃えるというのは錯覚に過ぎない」と表現しても過言ではないかも知れない。プラスチックは普遍的に燃えるのではなくある制限条件下で燃えるのだから、「燃えない条件」があるのではなく、「燃える条件」があるのであり、我々がそれに気がつかないのはあまりにも日常的にプラスチックや紙が燃えるものだから錯覚するに過ぎないと考えることによって新しい難燃化技術が誕生する可能性がある。
なお、Fenimoreが示した実験データを良く咀嚼しないために起こる事故は多い。アポロ宇宙船の地上実験で犠牲者を出した宇宙船キャビンの火災事故や、たまに救急車の酸素呼吸ラインの銅配管が燃えて火傷する人がいることなどがこの例である。
 ところで石油製品やプラスチックの燃焼に関して、表 2に示したThornton則という束一則もまた示唆に富むものである。ある材料が燃焼するとどの程度の発熱があるかという「燃焼熱」は普通、材料の単位重量当たりの燃焼エンタルピーで示す。それによるとポリエチレンのように燃焼しやすい材料はグラム当たり43kJという大きな熱を出すが、ポリ塩化ビニルのように燃えにくい材料は16kJと発熱は小さい。誰でも納得しがちな値であるが、材料の重量当たりの発熱量は燃焼現象としては本質的な数字ではなかったのである。
Thorntonはそれを燃焼時に消費される酸素重量当たりで整理した。そうするとほとんどの有機材料の燃焼熱は13kJ/gO2であった。その後、研究が継続され、現在では平均13.1kJ/gO2が使用されており、実際の燃焼実験では熱量測定の代わりに酸素消費量を測定し、それからこの数値を使って熱量を出すのが一般的にまでなっている。7),8)

 

表 2 Thorntonの束一則


 なぜThorntonの束一則が存在し得るのか?を考えるのは面白い。たぶん、表 3に示したように酸素同士の結合エネルギー(O=O、O-O)は有機物の主要な結合である、C-C、C-H、C-O、C=O、H-O、そしてベンゼン環C-C、C-Hの平均結合エネルギーと比較して約半分程度であることによっている。つまり、有機材料が他の有機材料に変化する時には約400kJ/molの結合を組み替えるだけだが、酸素が関与すると約200kJ/molの差を生じるからである。事実、Polyethylene, Polystyrene, Polycarbonateなどの代表的な有機材料の分解熱と燃焼熱はおおよそ30倍の差があり、燃焼の過程で起こる分解熱に多少の差があっても燃焼には大きな影響を与えない。

 

表 3 各種化合物の結合と単結合当たりの結合エネルギー

 

参考文献

1) C. P. Fenimore, F. J. Martin, Modern Plastics, Vol.44, No.3, pp.141-148,192 (1966)
2) C. P. Fenimore, F. J. Martin, Combustion Flame, Vol.10, pp.135-139 (1966)
3) D. W. van Krevelen, Polymer, Vol.16, Aug., pp.615-620 (1975)
4) D. W. van Krevelen, Chimia, Vol.28, Sep., pp.504-517 (1974)
5) C. Darwin,”On the Origin of Species”, John Murray, London (1859)
6) James Dewey Watson, Francis Harry Compton Crick, Nature, Vol.171, pp.737-738 (1953)
7) C. Huggett, J. Fire Flammability, Vol.12 (1980)
8) W. J. Parker, J. Fire Sci., Vol.22, pp.380-395 (1984)

第一回 おわり