植物と太陽電池


はじめに

 このシリーズはいろいろな目的があって執筆されていますが、その一つは「自然を学ぶことによってわたし達が環境を守る時の参考にしよう」というものです。自然、それ自体は広い意味で環境を守りながら長い歴史を経てきましたが、人間の近代文明はその枠からはみ出したのではないかと心配されています。
 
 この心配の論理を良く整理すると「自然を学べば環境に対するヒントが得られるのではないか」ということになります。この「植物のエネルギー利用効率」では日本が太陽エネルギーを利用して豊かな生活を営むことができるかについて考えるときの知識として整理したものです。

1.  太陽の光と吸収エネルギーの理論値

 自分自身から出ていない光、つまり「他人の光」を自分のものにするためには、その全てをソックリもらうわけには行きません。特に植物とか太陽電池のようなものでは、光を一度、化学物質の中に貯めてそれをエネルギーとして利用するので、光から化学物質の中のエネルギーに「変換」しなければなりません。

 そして変換するときには化学物質の中の電子のエネルギーとして蓄積します。この電子のエネルギーの強さは貯める幅が決まっていて、それをeV(エレクトロンボルト)という単位で測ります。高さ(メートル)のようなものですが、太陽の光のようなものを考えるときには、1-2eV程度のエネルギーが対象となります。

 1eVは96.5kJ/mol, つまりおおよそ100kJ/molですから、100-200kJ/molの強さのエネルギーを相手にしていることになります。

 太陽の光は0.4eVから6eV程度の範囲のエネルギーを持っていて、そのうち可視光、つまり人間の目に見える光のエネルギーの強さは1.7-3.1eVで、地上に到達する太陽の光のエネルギーの45%ほどがそれに当たります。

 光を吸収するときに、電子が0.4eVの光を吸収する場合には、太陽の光のほとんど全部を吸収できますが、せっかく6eVという高いエネルギーの強さをもつ光を吸収しても、電子自身は0.4eVしかエネルギーを貯めることができないので、残りの3.6eVは無駄になります。



図 1 電子が貯めのできるエネルギーと光のエネルギーの強さの関係



 といって、電子が貯めることができるエネルギーを6eVにすると、ほとんどの光は吸収されず、6eVというきわめて高いエネルギーの強さをもつ紫外線をほんのすこし吸収する事になります。この関係を図 1に示しましたが、電子のエネルギーの幅があまり広くてもダメ、狭くても効率が悪くなることがわかります。

 太陽の光のエネルギーの強さ(正確にいうとその分布)は決まっているので、理論的にどのぐらいのギャップをもった電子をもつ材料を使えば良いかがわかります。その計算を渡辺正先生がなさっておられるので、それを借用して図 2に示しました。


図 2 光を吸収する電子のエネルギーギャップと最大変換効率



 太陽の光を使ってエネルギーを得ようとすると理論的な最大の効率は30%程度ということになります。また2種類以上の電子が含まれているような複雑な材料をつかってさらに少しだけ効率を上げることはできますが、あまり複雑な構造を作ろうとするとよけいに大変になることが多いので、ざっとこの程度と考えておいたらよいと思います。

 太陽電池の将来の効率が30%程度ということが良く出てきますが、この理論最大変換効率のことを言っています。


2.  植物の吸収エネルギー効率

 植物は動けない、そしてお腹が減っても他人を食べることもできない、だから極端な節約家でもあります。植物の節約ぶりは別の機会に整理することにしますが、ここでは「植物は節約家だ!」と決めつけて、だから必死になってすこしでも太陽の光を受け取ろうとしていると理解して話を進めることにします。

 植物は葉で光合成をしますが、それには2段階に分けて行います。第一段階は光化学過程Ⅰで1.2eVから-0.8eVまでのギャップを使い、それを次の過程に移します。でもその時にせっかく-0.8eVという高いエネルギーを持っているのに、次の段階で使える化学物質に、そのエネルギーの受け渡しをしている間に0.6eV程度に下がってしまいます。

 その0.6eVから-1.2eVへ第二段階の光化学過程でギャップを高め、それを光合成過程に移すときに-0.2eVになります。つまり1.8eVの光を2回吸収して正味1.2eVの光を得ることにあり、1.2/(1.8*2)で約3分の1の光のエネルギーを吸収するという仕組みです。

 全体としてみれば、吸収波長の制限による光の利用効率の最大が30%で、内部の光吸収が3分の1ですから、植物が太陽の光を受けて活動する最大の効率は8%になることがわかります。

 この2つは、いわば「理学的エネルギー効率」と言っても良いですし、「原理的」「理想的」と言っても良いと思います。本来、「もの」を使わずにエネルギーを吸収できれば理学的な原理どおりになりますが、現実はそれほど甘くはありません。

この理想的な効率からなにが差し引かれるのでしょうか?

まず葉が真っ黒ではないので、葉の表面で光が反射していることを意味していますが、それで15%ほど損をします。人工的な太陽電池でも表面のガラスで反射したり、埃をかぶったりするのもこれと同じです。そして、神経質になって表面をいつも洗っているとその方がエネルギーがかかるので、結局、ある程度、損を覚悟しなければなりません。現実とはそうしたものです。

 次に、エネルギーを獲得するために活動をしなければなりません。活動の為には呼吸もするし、風で葉がもぎ取られれば、新しい葉を作らなければならない、虫が襲ってきたら防ぐ必要もありますし、また樹皮を交換する必要もあります。

 それがおおよそ「獲得するエネルギー」の半分ぐらいは使われるので、「ネットエネルギー」、つまり活動をするために使うエネルギーを差し引いた正味のエネルギー効率は3%と計算されています。

 実測値は温帯島国という具体的な条件のもとで、日本で最大の効率の時に2%です。しかし風が吹き、葉が揺れたり、曇りの日などがあり、冬は光が弱いので、1%になります。この1%という数字はマジックナンバーで、多くの植物の光利用効率は1%です。

 まだまだあります。

 陸地で植物が生えているところだけの総合効率は、他の植物の陰になったり、枯れたり、時に全滅したりするので0.3%になり、不毛の砂漠や山岳地帯なども含めると0.1%程度になります。

 植物がどんなにエネルギーを大切にしているか、節約家であるかを知っている私にとってみれば、0.1%という利用効率は驚くべき事ですが、それが現実です。自然の悲しさといっても良いですし、またはそれが自然で、だからこそ調和を保っているとも言えるのです。


3.  太陽電池の吸収エネルギー効率

 太陽電池のエネルギー変換効率は現在10%程度で、将来は技術開発によって20%を超えると言われています。そしてだから太陽電池は次世代のエネルギーの獲得手段として有望だと言われますし、石油がなくなりそうな今、それに期待している人も多いのです。

 それでは太陽電池の効率を計算してみましょう。このシリーズは「自然に学ぶ」ことをモットーにしていますので、植物の例にならって整理を進めることにします。

 まず原理的な最大理論効率は30%で同じです。次に太陽電池に使うシリコン中の変換効率はおおよそ50%で、これは植物より多少、効率が良いようです。従って原理的な効率は6分の1程度で15%程度は行くでしょう。

 次に表面で反射したり埃をかぶったりする損失が10%として13%程度が基礎的な効率になります。

 植物は「生きて活動しなければ太陽エネルギーも受け取れない」のですが、シリコンの太陽電池は死んでいても自動的に光をエネルギーに変換できるように見えます。でもそれは違います。植物は何でも自分でしますが、太陽電池は「人間」という手助けを必要としますので、人間が活動する分、特に人間がシリコンの太陽電池を作るために使った資源は、本来は太陽電池そのものが調達しなければならないものです。

 つまり太陽電池のパネル、それを支えたり保護したりする枠や配線、それから家屋への引き込み、直流から交流への変換、太陽の光に強弱があるのでそれを補正する蓄電池、変換器、さらにもし売電をするなら外部とのやりとりの機器などが最初に必要となります。

 また植物が台風や害虫で損傷を受けたらそれを修繕しなければならないように、太陽電池も保守や修繕は必要となります。個人的な住宅や機械は「壊れたら棄てればいいや」と思っているのであまり保守をしませんが、工業的なものを一番、節約して使おうとすると、毎年、作るときの3%程度のお金で修繕するのが一番良いことが判っています。

 太陽電池を30年使うとすると、毎年3%の修繕をしますからちょうど、倍程度の費用がかかることになり、費用と使用する材料やエネルギーはほぼ比例していますので、作るときの倍程度という見当はそれほど間違ってはいないのです。

 さらに太陽電池もやがて寿命が尽きたり、建て増しで壊したり、引っ越しをしたり、台風で壊れたりしますが、それも植物の生き様と似ています。そして日本の場合、曇りの日、雨の日、冬場などがあり、さらに電気が必要な時とのズレがありますから、そのためにバッテリーも必要となります。

 さらに太陽電池を敷きつめるところも限定されます。植物と同様にあらゆる所を利用できる訳ではありまえん。生物が住んでいるところに太陽電池を敷きつめると、そこで生活をしている生物が死に絶えます。だから「人間が住んでいるところ」に限定しなければなりませんし、その中でも制限があるのです。

 このようなことを一つ一つ計算していくと太陽電池も植物とほぼ同じエネルギー効率になります。火力発電所では数100℃の高圧スチームを使って発電をします。もしその中に人間が入ればたちまち全身をやけどして死んでしまいます。

 エネルギーの変換はエネルギーの高い状態のものからもらうと効率が良いのですが、弱いものの場合、それほどの効率を取れません。太陽の光は紫外線という危ないものも含んではいますが、それでも柔らかく薄いエネルギーであることは確かです。

 だから1%以下の変換効率は仕方が無いところでしょう。


4.  世間的な争いとの関係

 私はある本に「太陽電池に補助金をつけると環境に悪い」と書きましたところ、その本が出版された日の朝10時、とあるテレビ局から電話がかかってきました。

 「先生!なにを言っているのですかっ!番組では先日、太陽電池は環境によいという放送をしたばかりですっ!」
とおしかりを受けました。

確かに太陽電池が環境に良いという専門家もおられます。その方と私は学問的な見解が違うので、それはそれで仕方が無いのです。学問は組織で政党でもありませんから、自由に自分の信念と真実を思われることにそって発言し、ものを書かないといけないので、専門家によって見解が違うのは仕方が無いのです。

そのテレビ局の人は学問というものを良く理解されていないような気がしました。「異論があってはいけない、けしからない」というのですから、学問から批判精神を取るつもりなのです。

よく「太陽電池は無限のエネルギー源を使っている」と言いますが、それは「どら息子の論理」と言われるもので、「自分の都合の悪いところは親に任せる」ということが成立している間だけに通用します。

つまり、樹木のように「葉、幹、根」がなければエネルギーを獲得できません。エネルギー変換効率を葉だけで計算しても根から水が上がってこなければ、周囲に熱を放散できないので樹木は活動が出来ないのです。

「どら息子」の行動には一つの特徴があります。それは「高い車をかっても自分はガソリン代しか払わない」というように都合の良いところだけを取るという行動様式です。

本当に太陽電池が石油や補助金、税金に頼らずに自分自身で日本のエネルギーに貢献できる日が来ることを期待したいと思います。



名古屋大学 武田邦彦


参考図書
(本稿は渡辺先生のご著作に大きく依存しています。私自身、環境の研究の最初のころ、渡辺先生の著作を参考にしながら進めてきました。その意味では本稿は渡辺先生のお書きになっていることの解説でもあります。)
渡辺 正、中村誠一郎、「電子移動の化学」朝倉書店(1996)