― 高分子材料のナノ構造 ―

 

 このシリーズの一つ前(自然に学ぶ・伝統に学ぶ ―プラスチックはなぜ固体か?―)に、プラスチックや繊維などが「高分子」で出来ていること、高分子材料が固体なのは分子間の力が強いのではなく、絡み合いによって動きにくいことを解説した。

 つまり、高分子材料はその構造が特徴的で、少なくとも金属材料やガラスなどとはまったく違う材料であることが判る。だから、「材料」と言ってもやや仲間はずれで、材料学の立派な本にも「高分子材料のヤング率は架橋点の数によって決まる」などと事実と違うことが述べられていることもある。高分子料学としてはしっかりしなければならない。

 ところで「絡み合いで固体となる」ということをさらに深く考えてみると、奇妙な事に気がつく。絡み合いは1つや2つ、絡み合っても固体にはならない。「意味のある固体」、つまり「材料」として使えるほどの強度を持つ固体になるには1本の高分子鎖あたり7つ程度、絡み合っている必要があると言われている。

 では7つ程度絡み合うにはどの程度の空間がいるかを計算してみると、直径約11 nmの球程度である。

 計算過程を簡単に示す。

 1 cm3の空間があるとする。高分子の比重を1とすると、この空間に高分子が1グラムということになる。今、ポリスチレンを例に取ると、ポリスチレンはだいたい分子量が20万程度で絡み合いが7つになる。スチレンの分子量は104だから分子量が208,000のものを考えると、スチレンが2000ヶつながっている。

 1グラムの中に分子量が208,000のものがいくつ入っているかというと、アボガドロ数を考えて2.89×10の18乗ヶのポリスチレンがある。その一本一本が7つの絡み合いを持つとすると、絡み合いというのは一本の高分子だけではできず、2本あって初めて絡み合いができるから、全体としてみれば一本の高分子鎖あたり3.5ヶの絡み合いになる。

 体積が決まり、高分子の数が決まり、その高分子1分子あたり3.5ヶだから絡み合いの総数も決まる。その総数を7で割った数値で体積を割ると絡み合いが7ヶの空間の体積を出すことができる。それを球の体積の式に入れると直径が求められ、直径11 nmになる。

 そうすると、11 nmの直径の球の中では高分子鎖は自由に運動できることになる。自由と言うのは少し言いすぎでも、ともかく絡み合いが少ないので液体に近い状態と考えられる。そしてこの球の中の分子の数も2.89×10の18乗ヶと十分多い。だから、高分子も段々小さくすると固体から液体に変わるという変な結論になる。

 上の図はそれを示した物で、横軸に大きさ、縦軸に運動性を取ると10nm付近で大きく変化し、固体としての高分子が液体に変わるはずであり、前のこのホームページの解析に拠れば、拡散係数は10の-14乗 m2/sレベルから10の-10乗 m2/sレベルへ変化するはずであり、これは「材料」を扱うものとしては大変に大きな変化である。

 このことは高分子の論文をいつもしっかり読んでいる人はすでに知っていることかも知れない。下の図は1994年のKeddieらの論文からお借りしたものであるが、横軸にPS(ポリスチレン)フィルムの厚み、縦軸にガラス転移温度を測定すると、100 nm程度から低下し始め、10 nmになるとほぼ常温になる。この現象は、分子量が12万から290万とかなり広い領域で成立し、特別なポリスチレンで成立するのではないことを示している。

 ガラス転移温度は高分子の鎖がある程度、自由に動くことが出来るようになる温度である。あまり一般的ではないが、私が若い頃に読んだ論文の記憶では高分子材料の内部の空間率が2.5%程度になるとガラス転移温度になると言う。

 つまりこういう事だろう。温度というのは分子の振動エネルギーの大きさを言っている。振動エネルギーが大きいと、分子が激しく振動するので空間的にはぶつかり合う。そのために低温では狭い空間にいた分子がそれでは我慢できなくなり、より広い空間を求めるようになる。

 おとなしい子供なら6畳間に20人を入れても何とかなるが、暴れん坊ばかりなら15人がやっとというような感じである。科学的事実をこのように擬人化して表現するのは良くないと言われる。確かに、「真空」についてアリストテレスは、「物質は真空を嫌う」という表現を使っており、擬人的表現はギリシャ時代か中世ヨーロッパに限定されるのかも知れない。

 ともかく、温度を上げると高分子の分子運動が盛んになり、同じ分子の数でも体積が増える。温度が上がると体積が増える現象・・・膨張・・・という現象はこのような背景を持っている。このことを逆に言えば、温度が上がると分子の周りの空間が大きくなるということを示している。

 高分子の熱線膨張率を調べ、それとガラス転移温度の関係をプロットすれば微視的な測定をしなくても、ガラス転移温度の付近で分子の周りにどの程度の空間が出来ているかを知ることが出来るだろう。この時、「もともと空間がほとんど無い温度」というのを何℃に設定するかだか、動的粘弾性のデータがあればγ分散のところが良いだろう。

 γ分散は高分子鎖の局所的な運動が見られるところだからである。高分子は主鎖が炭素で出来ているのが普通だが、側鎖もあり、側鎖が盛んに運動し始める温度でγ分散が見られる。たとえば回転運動などがそれに当たるが、回転運動はエネルギーが低くても出来るので、そこで分散が観測される。

 ともかく、高分子が10 nm程度の空間で鎖の運動が自由になり、極端な表現では液体であるということは間違いないと思われる。この現象と認識は、自己修復ばかりではなく、ナノテクでもナノコンポジット、難燃、力学的強度、疲労などあらゆる高分子材料学に大きな影響を与える。

つづく