生命体に学ぶ自己修復


1.  工業材料は生命体から何を学ぶか

 前節では生命体の自己修復機構に関する基本的な事項の解説と工業材料の自己修復との違いや類似性について、自己修復材料を基礎的・基本的な視点で整理を行った。本節ではそれを受けて生命体が用いている材料をどのようにして工業材料へ応用し得るかなどについてまとめることにする。

1.1.  機能複合体としての生命体と複数の防御系

 人間のような多くの機能を持った複合体(機能複合体)は表 1に示す14種類を含む防御系で外敵や環境から身を守り、それぞれの機能の維持を図っている。個別の防御システムについては次の節に整理をするが、生物は極めて多彩で多重な防御システムを作り上げて種の保存を図ってきたことが判る1)

表 1 生物の防御系

 生物は進化に於いてまず適正な材料選択から始まり、受動的な化学防御、物理的立体的防御を行い、同時に生物的ともいうべき「慣れ」を現出させる(表 1の4の適合性保護効果)。それらの基本的な防御系の基礎に立って、外敵の排除や劣化因子の排除機構を働かせる。適正な材料選択や基本的な防御機構を有しても外敵や劣化因子の濃度が高ければ材料は損傷する。材料の強さは環境との相対的関係で決定されるからである。

 これら基礎の上に立って、「能動的防御(表 1の7)」を行い、それでも個体を保持できない危険がある場合には部分的な細胞が自殺して全体を助け、あるいは定期的に細胞などの廃棄を行なう。このように生物に使用される材料はさまざまな理由で劣化するが、根源的な劣化は「活動」そのものからくる。それは活動によってエントロピーが増大し、それを補償する形で材料の損傷が起こるとしても良いだろう。それを防ぐには活動をして補修するより、不要な活動を停止して損失を防ぐと共に、他の機関で有効に機能が果たせればそれで代替することが有効である。

 また質的な意味では単純な「外敵排斥(表 1の5)」や「劣化因子排除(表 1の6)」と同様であるが、システムとしては遙かに複雑なものに「危険回避動作(表 1の12)」がある。時に中枢神経系を活用した危険回避行為や治療、さらには精神活動の制御などは材料防御には関係が薄いように感じられるが、このような高度な行為も特定の機能を発揮する「機能複合体」として、生物を構成する個別の材料の防御になっている。

 このような生物の知恵をどの程度人工的材料やシステムに応用することができるであろうか?すでに表 1の「材料選択」や「受動的防御」、あるいは機械設計に基づく「物理的受動的防御」については人工的材料にかなり使用されている。例えば、著者らの研究で、ポリカーボネートの損傷回復の実験では加水分解を酷く受けた材料(損傷の多い材料)が、損傷の少ない材料より早く補修されるという傾向が見られる2)

 つまり、損傷が激しいところを優先して修復することは人工的な材料でも可能であることを示した。

 このことは機能複合体の信頼性という点では極めて重要な知見を与える。もし人間のような複雑な機能体のどこかが劣化したからといってその寿命を閉じるならば、寿命はかなり短いはずだからである。例えば紫外線によるチミンダイマーの発生回数は1人、1日当たり7000回と言われており、そのいくつかが皮膚ガンに進行すれば長寿を達成することはできない。機能複合体にとって「劣化した部位を選択的に修復する」という材料やシステムは必須である。

 しかし表 1に示した4から6、そして8から12についての防御はまだほとんど人工的材料には適用されていないし、また治療に相当する「修理」も自動車などでは有効に働いているが、家電製品などの大型耐久製品ですら、「修理するより買った方が安い」という修復無視の社会システムが構築されている。このような消耗型材料システムが構築されたのは20世紀の生産拡大の社会的発展段階に沿ったものであったが、今後の社会に要求されることは、「自然に学ぶ材料プロセッシング」であり、それこそが今後の材料の発展を左右するものでもある。


1.2.  防御系の材料選択

 本節では生物が利用する材料と人工材料とを対比しながら、防御系における材料とシステム、そこに於ける自己修復について整理をする。

 生物はその体を構成する材料を自然界から求める必要があり、利用できる材料は高分子材料、炭酸カルシウムなど限定されている。また合成条件はほぼ常温常圧であるため、例えば鉄鋼を1700℃以上で溶解して利用することはできない。それでも体の各部分は異なる機能を求めるので、筋肉、脂肪、骨格、皮膚、毛、内臓壁などにはそれぞれに適した材料を用いる。例えば脊椎動物の体を支える骨は一般的には炭酸カルシウムで出来ているが、その構造は複雑で骨の外側がカルシウム、内側にはコラーゲン(タンパク質の一種)が筋上に入り込んで全体としては鉄筋コンクリートのような構造を取っている。骨は単に体を支える機能ばかりではなく中心部に骨髄をもち造血も司る意味もあるが、進化の過程で主に体を支える機能に利用されたため、その材料と構造は人工的な構造材料を考える上で参考になる3)

図 1 脊椎動物の骨の構造と材料選択

 これに対して人工の材料選択は、より機能の高いものに、より高級な材料を使用するというのが材料選択の基本である。人間の生活を支える基幹材料は、石、青銅、鉄、鋼、そしてステンレス鋼と進化してきたが、鉄の代わりに青銅を石で補強して使用するような方法は採用しなかった。自然界は選択できる原料に制限があるので何とか材料を組み合わせることを中心的に努力し、人間は新しい素材に活路を見出すという歴史的経過を示している。

 また高分子材料では木材や皮革などの天然材料を利用していた時代が過ぎ、20世紀初頭(1907年、Baekelandが熱硬化性樹脂、1924年、Staudingerが熱可塑性樹脂を合成)から石油を原料とした合成高分子が使用されてきた。ポリプロピレン(PP)、ポリスチレン(PS)など石油からほぼ一段の反応で合成しうる材料を汎用用途に、ポリカーボネート(PC),ポリフェニレンエーテル(PPE)のような二段の反応で製造する材料をエンジニアリング用途に、そして極めて複雑な過程を経て合成するポリエーテルケトン(PEK)などを"スーパーエンジニアリングプラスチック"として特殊用途に使用してきた。

図 2 人工高分子材料の熱変形温度と70℃における推定寿命

 生物の材料選択と異なり、過酷な条件下で使用する材料は過剰な性能を有し、例えば70℃で材料が使用されるとすると、PS,PPでは30,000-100,000時間(4年から12年ほど)と適切な寿命が推定されるが、PEKでは材料推定寿命は109時間(約10万年)になる4)。このことは人工的な空間に於いて材料が受ける条件が自然環境に比較して過酷であること、20世紀の大量生産時代の材料選択が過剰でもあったことを示している。もし人工的な材料が複合化され、自己修復が可能になればこのような過剰性能の材料選択は減少していくと考えられる。

 次に、生物の材料の受動的防御についてその例を示す。先に述べたように生物の防御系は主して能動的防御であるが、「利用できるものは何でも利用する」という進化の基本的傾向から受動的防御も活用される。その典型例として紫外線からのDNA損傷防御の例を挙げる。

 人間の皮膚は絶えず紫外線に晒されるので、皮膚を構成する細胞がさまざまな形で痛む。人間では真夏の太陽の光を1時間浴びるとDNAの損傷は10-100万ヶに達する。 図 3に示すように皮膚は表面の角化細胞を含む表皮、真皮、皮下脂肪が層状になっており、短波長の紫外線(UV-B)は表皮底部まで、長波長の紫外線(UV-A)は真皮に到達する。これらの紫外線を防御するために表皮底部にメラノサイトと呼ばれる色素形成細胞があり紫外線吸収剤(メラニン)を製造する5)

 防御系はまず角化細胞で紫外線を反射し、それを通過する紫外線をメラニンで吸収する。それでも損傷は著しいので、その生物の寿命に応じた材料寿命を保つことはできない。そこで、表皮基底層で盛んに新しい細胞を製造し、順次皮膚表面に押し上げることによって損傷した細胞を外部へ廃棄する。この方式は樹木の樹皮と同じで生物は外部組織の損傷については概ね「廃棄」という防御方法を採用している。

図 3 受動的防御の例:メラノサイトによるメラニンの合成

 人工的な材料の防御の多くは受動的防御であり、メラニンと同様の紫外線吸収の機能を発揮するものもある。ただし、現在のところ人工的な受動的防御では材料自らが紫外線吸収剤などを合成して供給するものはなく、材料を成型するときに推定使用年数に絶えられるように濃度を調整して添加する方式が採られる。

 このように受動的防御については生物が利用する材料と人工的な材料は類似しているが、その合成過程、混合過程、そして複雑さに於いてはかなりの差がある。動物が利用するメラニンは化学的構造が定まっていない。メラニンの合成原料はフェノール、インドールおよびピロール等であり、フェノール系のチロシン、アドレナリン、インドール系のトリプトファンなど多く見られる。さらに脊椎動物では骨を、1 ) 体を支える機能 2 ) 造血機能 3 ) カルシウム保存 など複数の機能を分担させているのと同様に、メラニンも紫外線吸収作用ばかりではなく、例えばイカやタコの墨はメラニン微粒子の懸濁液であり、両生類・魚類や昆虫・甲殻類ではメラニンを含む細胞が伸縮することによって体色を変えているというように複数の異なった機能に利用されている。

 受動的防御にはこのような化学的な防御とともに物理的空間的な防御がある。その例として胃液の分泌を挙げる。胃液はタンパク質を加水分解するための触媒としてpH=1.0という強い酸性を示すが、胃壁もタンパク質であるから胃壁自身が消化されるはずである。それでも胃壁が消化されないのは、胃壁(胃の粘膜)が次のような複数の保護機構で守られるからである6)

1) 胃の上皮細胞が粘液および重炭酸イオンを分泌し胃酸が粘液中で中和される。すなわち胃の内腔側ではpHは1.0~2.0で、胃の上皮細胞に接する場所ではpHは7.0である。
2) 胃粘膜の表面には燐脂質層があり、胃液は粘膜表面から弾かれ、上皮細胞には接触し難い。
3) 胃液の分泌方向が胃壁に対して垂直で、分泌された胃液が胃壁に接しにくい。
4) 胃粘膜は細胞分裂が盛んで、数日内に胃の内腔測に脱落する。
5) 粘膜部に血流が豊富に流れ拡散して侵入する酸を血流が洗い流す。
6) カプサイシン(唐辛子の主成分)に感受性を持つ神経が胃粘膜の防御の機能を有する。
7) 胃粘膜は予め弱い刺激物に曝された後、強い刺激を与えた場合、あらかじめ防御機構を発動する。例えば、50~100%アルコールを投与すると胃粘膜には重症な傷害が発生するが、予め20%アルコールを投与後、次に100%アルコールを投与しても、胃粘膜傷害は発生しない(適応性細胞保護効果)。粘膜内のプロスタグランジンや一酸化窒素(NO)などが関与していると推定される。

 さらに詳細な胃の活動は複雑なので、ここで詳述することは避けるが、胃壁という材料の防御に複数のシステムが機能していることが判る。

 人工的な材料でも物理的受動的防御は製品の設計段階で多用される。上記7 )の「適応性保護効果」のような高度な防御は少ないが、直接的には機械設計などで具体化できるからである。例えば著者の研究では従来、高分子材料を使用するときに材料の燃焼性を抑制する目的で難燃材料を使用するのが常だったが、最近では機械内部の立体配置などを考慮して着火してもそれが延焼しないような設計の研究が進むようになった。単純な防御から複合的な防御への進化の1つである7)

 また、生物の防御機構を特徴づけるものに外敵排除(抗原抗体反応、リンパ球、白血球など)がある。常に外敵から狙われる生物は絶え間ない攻撃に対して対抗する手段を有しているものが進化の過程で生き残ってきた。これらの防御機構を人工的な材料に直接利用するにはまだ時間が掛かるので、本節では紙面の都合で割愛し、表 1の6の防御、「劣化因子排除」について簡単に触れる。

 髪の毛やツメは骨と同様に脊椎動物では特別な機能を果たす。髪の毛の一般的な機能としては頭皮の保護であるが、その他に有害金属の体外排除の役目を持っている8)

図 4 毛根と毛髪形成(左)とシスティンの化学構造(右)

 髪の毛やツメはケラチンという硬いタンパク質からできているが、ケラチンにはシスティンというイオウ原子を含んだアミノ酸が使われている。髪の毛にパーマネントをかけることが出来るのはこのシスティンのイオウの架橋を利用したものである。イオウは水銀、ヒ素などの有害元素に配位する性質を持つ。例えば毛根で新たに生成する毛母細胞は形成時に血中の有害元素を配位して取り込む。毛母細胞はやがて死んで毛となるが、すでに取り込んだ有害元素と共に徐々に体の外にでる。つまり、水銀や砒素などの有害金属を毛の細胞が出来るときに取り込み、伸びて体外に運び出し、最後に「毛やツメを切る」という手段を経て廃棄する仕組みである。もちろん、体内の肝臓や腎臓も毒物の除去機構を持っているが、その機能はかなり複雑で「生化学的」であるのに対し、毛やツメの毒物除去方法は単純で錯体の形成と元素の分配という化学的な方法を活用しているところに注目するべきであろう。

 雑談になるが、ナポレオンの死因についてイギリスの学者が頭髪を分析し、毛髪の根本から5センチまでヒ素が高濃度で存在していることから、ナポレオンは死ぬ数ヶ月前からヒ素を摂取していたと推定したことはよく知られている。このように髪の毛やツメを犯罪捜査などに活用される例は多い。それにしても生物の体は実に巧みにできている。髪の毛もツメも頭や手の先という重要な部分を保護する機能を発揮しなければならないので、定期的に更新しなければならない。それも体の外に捨てる形で廃棄する。それならその中に水銀やヒ素などの有害物質を取り込むようにする・・・硬いケラチンにイオウを持ったシスティンがあるのは偶然なのだろうか?

 このように適正な材料選択、受動的防御、さらに外敵や劣化因子の排除をしても材料を守ることが出来ない場合がある。その時、生物は「代謝」という活動を通じて材料を防御する。それを本節では「能動的防御」呼ぶが、その典型的な反応の一つとしてDNAが紫外線で損傷してできるチミンダイマーの修復がある。図 5の左は非哺乳動物に見られるチミンダイマーの補修系で、ダイマーというDNA上のキズを太陽の光のエネルギーを直接的に使用してチミン間の架橋を開裂する反応であり、有機化学における記述では「選択的にチミン間架橋を切断する化学反応」と表現し得る。また、図 5の右は酵素が欠陥部位の角度変化を検出して切断、補修する方法である。これも最終的には化学的な方法であるが、光を利用した補修よりかなり「生物寄り(酵素や情報の関与が多い)」であり、この方法を真似るには複雑な構造の酵素を合成したり、酵素がDNAの上を滑ってチミン間の架橋を検出するドライビングフォースなど多くの知見と構造設計技術が必要となる9)


図 5 非哺乳動物のチミンダイマーの化学的補修系(左)と哺乳動物のチミンダイマー補修系(右)

 生物の系統図上ではかなり離れている哺乳類(真核、多細胞)と原始的な大腸菌(原核、単細胞)でもチミンダイマーの補修系は主として5種類あり、単純な応答をする補修系と、進化との関係で応答的に補修する2つの反応系が知られている10)
チミンダイマーの補修系は主として、単純な応答をする補修系3つ(表 2の上3行)と進化との関係で応答的に補修する2つ(表 2の下2行)の計5つが知られている。
前者は固定的な修復で、DNA損傷の起こる前から修復酵素が存在し、後者は損傷後に必要な量だけ酵素が発生することが知られている11)

表 2 大腸菌のDNA修復機構

 一般に生物の防御系はDNAのような情報を有する反応システムであると考えられているが、進化の初期段階に於ける初歩的な代謝によるエネルギーの獲得は硫化水素や水を直接分解して水素を作り出し、それを酸素で燃やしてエネルギーを採る方法であり、その後、より複雑な発酵へと進化したと考えられている12)。乳酸発酵の反応自体は必ずしも単純ではないが、図 6に示すように、個々の反応自体にはなにも「生命的なもの」が含まれているわけではなく、単純な化学反応である。

図 6 原生の新陳代謝反応

能動的防御系は見かけ上、生物活動そのもののように見える。エネルギーを要し、栄養をとり、排泄物を出す。しかし、そこには生命の息吹はない。DNAに書かれていた情報を取得して補修システムを構築するまではDNAの情報伝達という意味で生命的であるが、いったん構築されたシステム自体は生命的ではない点に注意する必要がある。

 次に機能休止の典型例としてムラサキガイの腕束や樹木の辺材・心材部の細胞を挙げることができる。ムラサキガイの腕束には筋肉が備わっていて岩にとりつくときにはその筋肉が働いて海流で押し流されないようにする。しかし、常に筋肉を活動させているとエネルギーを消耗し、組織を劣化させることになるので、岩に取り付くと偽足内部から接着剤を放出して岩と偽足を接着し、その後は腕束の筋肉を休止させる。このときにムラサキガイが使用する接着剤は極めて精緻な構造をしており、また接着のプロセスは、1 ) 偽足で岩の表目を清掃し、2 ) 偽足の先端で岩の窪みの空気を抜き去り、3 ) 粘度の低い泡状の接着剤を放出し、4 ) 後にそれを硬化し、5 ) 岩の成分が変動しても接着強度が低下しないように他種類の官能基を有する、という特徴を持つ13)

 また樹木については本節の最後に整理をするが、形成層で出来た細胞の内、樹木内部へ進んだ細胞は監視細胞を除きほとんど全ての細胞が死に絶える。これも「樹木を支える」という目的だけを考慮すると細胞は代謝をする必要はない。細胞は自ら液状の細胞質を除き、木質化して死に至る。組織的には監視細胞が外敵を排除するシステムを採用する。

 生物の危険回避行動について元信州大学脳医学の大木博士は、「恐怖とは生存本能と結びついた最も根源的反応で、生きていく上で必要不可欠な感情。生物には種族維持の本能と生存本能があり、恐怖は生存本能が前提となって生まれてくるとしている。恐怖(危険情報)は、感覚神経から大脳へ送られて即座に不快なストレスを感じ、危険回避行動は交感神経を通じて脳の活動を活性化させるとされる。その時必要なのが、脳内覚醒物質ノルアドレナリンである。」としている。アドレナリンを生み出すのは快感物質ドーパミンで、この快感物質から恐怖を生み出す機能は人間にしかない。恐いもの見たさとは、危機を乗り越えたときの達成感や陶酔にも似た安心感はドーパミンによるもので、満足感や幸福感を再び味わいたい為に人は恐怖に近付く。生理学研究者・八木健助教授により、哺乳類の恐怖心を左右するFyn(フィン)遺伝子の存在が明らかになった14)。Fyn遺伝子とは、偏桃核や大脳皮質の神経細胞連結部分シナプスに多く存在し、細胞同志の情報伝達に重要な役割を果たす。好奇心が人独自の恐怖の制御メカニズムを作り上げてきた。「危険回避行動」も能動的防御と同じように見かけは「生物的」であるが、反応の無いような化学的、材料的であることに注意が必要である。

 より組織的な防御として、治療や心のケアーなどがある。生物界での大規模補修ともいうべき「治療」の典型的な例としてプラナリアの再生が挙げられる。プラナリア(図 7)は扁形動物門渦虫綱三岐腸類の総称で進化の系統的には最初に出現した脳を持ち、三肺葉が分化した最初の動物であり、有性生殖もするし尾部が分裂して無性生殖も行なう。

図 7 プラナリア(上)と切断部位と再生状況(下)

 ここでプラナリアの再生機構について詳しく述べるのは避けるが、図 7の右の図で示したようにプラナリアの中央部を切断してもその場所に応じて盛んな組織再生が行なわれ、生存する。再生情報がどのようにしてシステム中に組み入れられているかはまだ不明であるが、大規模修復の好例である15)

 また「心のケアー」は材料劣化を防ぐ大きなポイントであり、ストレスによる胃潰瘍などがその典型である。つまり神経などの制御のもとに材料やシステムの防御を行なっている場合、制御機構そのものが不調の場合、構成材料にその影響が及ぶのは当然とも言えよう。人工的材料では生物のようにシステムが自動的に「制御機構の不調」についてケアーして材料を守るという例はまだ知られていない。

1.3.  総合的防御としての機能体

 前節までの整理の中で、受動的防御と能動的防御があることを明らかにした。生物の防御の多くは能動的であり、人工的材料の防御はほとんどが受動的である。このことをより深く考えてみる。

図 8 受動的防御(左)と能動的防御(右)

 図 8に示すように受動的な防御系では外部から劣化因子が材料に及ぶと、材料の中の防御機構が劣化因子の影響を緩和する。これは錆びに強い鉄や紫外線吸収剤を含んだプラスチックなどがそれにあたる。しかし、防御剤の量には限りがあるので、そのうちに防御剤が無くなり、劣化因子は直接材料に影響を与えるようになる。材料はすでに防御剤の「防塁」を持たない、つまり防塁が突破されているので材料本体が損傷する。損傷した材料は修復機構を持たないので、そのまま劣化した材料となる16)

 これに対して能動的防御において劣化因子は最初、材料本体を攻撃し損傷させるが、損傷した材料は補修されて元に戻る。酵素によるチミンダイマーの修復がその典型例であり、紫外線でDNAが損傷していくのを補修酵素は言わば傍観する。しかし、補修酵素が存在してシステムが正常に動いている間は、材料は継続的に補修されて常に正常な機能を有する。このように2つの防御系に質的な差があることが判る。

図 9  様々な生体の持つ情報量

 約40億年ほど前に生命が誕生して以来、競争に勝つためにDNAの情報を増やしてきた。そして現代、地上を支配する生物の持つ情報量はDNAだけでも兆ビットを超えるところまで来ている。このような進化の過程で生物は様々な機能と構造を有するようになった。その機能は防御だけではないが、種の保存の為の重要な機能の一つが体の防御であるので、DNA情報の多くがそれに費やされていると考えられる。従って図 9のDNA情報の増大は防御機構の進化でもあるといえる。その点、人間では脳情報がDNA情報より3桁程度高く、それが病院や教会などの防御機構が誕生した要因とみる事が出来る。また最近、急激に増えてきた外部情報(CD‐ROM、通信など)は生物の新しい情報源として材料修復にも寄与すると考えられる。

 生物活動はDNAの指令で動き「生命的なもの」と考えられがちであるが、前節で述べたように生物の毎日の防御活動はDNAの直接的な指令を受けているのではなく、DNAが作り上げたシステムを物理化学的な反応で達成しているに過ぎない。従って、生物の個々の防御機構は人間がDNAと同質同量の情報を与えることができれば達成されるはずである。

図 10 独立栄養体(左)と従属栄養体(右)

 約40億年にわたる生物の進化の中で生物は生存方法ばかりではなく、それらの外形や使用する材料まで最適なものを選択してきた。例えば、図 10の左に示す樹木は独立栄養であり、固い体を持ち、最低限のエネルギーで生存するように作られているが、図 10の右、ほぼ自由に獲物を獲得する従属栄養のチーターは柔軟な細胞を持ち、内蔵も含め全てが瞬間的に大きな出力を出せるようになっている17)。このような大きな違いの中に潜む個々の情報に対する知見は今後、私たちが人工的な材料を作り出していくのに大きな力になるだろう。その一つの例として、樹木の総合的な防御機構について整理してこの節を終る。

 独立栄養の木は太陽の光が唯一のエネルギー源であり、それを超えた活動はできない。また太陽がしばらく厚い雲に隠れていても、その時に死ぬような種はすでに絶滅している。そこで木は最小限のエネルギーで生存し、かつ簡単には飢え死ぬことの無いように作られている。まず、細胞を形成する形成層は薄く、形成層で作られ木の外側に行く細胞は数年のうちにコルクを経て、「代謝をしない死んだ皮」となって外側からの風雨の攻撃から木を守る。皮はそのうち剥げ落ち、内部のコルク層が次第に皮に変化して守りにつく。独立栄養の木も従属栄養の動物も外側は防御を諦めて「捨てる」作戦を採っている18)

図 11 独立栄養体である木の構造

 これに対して内部に入った細胞は2年目にはほとんど死滅して僅かに外部から侵入する敵から守るための監視細胞を生かして残す。監視細胞の比率は2~3%という(この白い部分を辺材という)。つまり、木はできるだけ大きくならないと隣の木の陰になって太陽の光を浴びることができない。背を高くするには木を太くしなければならない。人間でも身長160センチの人は60キロが標準的な体重だが、身長260センチの人は中肉中背でも200キロ程度を超す。背を高くすると太陽の光を多く浴びることができるが、代謝量が増えて割に合わない。そこで、内部の細胞のほとんどは死んで貰ってただ「死して支えになる」ということだけの役目を果たす。

 形成層が毎年、細胞を作るので年輪ができるが、10年も経つと、木の中心部に入った細胞を攻撃するものも少なくなる。そこで数%残っていた監視細胞が最後の力を振り絞って「防腐剤(クレゾール、リグニン)」を蒔き、全細胞が死滅する。それが中心部の心材と言われる褐色の部分で、この色と臭いは防腐剤のものである。このように、生物防御系(能動的:辺材部)と化学防御系(受動的:心材部)を比較すると生物防御系がより優れていて、そのために外部の防御には生物的、つまり能動的防御を選択したと考えられる。

 樹木は太陽エネルギーを用いて空気中の二酸化炭素を固定し、地下から汲み上げた水と反応してセルローズを作る。セルローズは二酸化炭素や水に比べエントロピーが低い状態であり、それを補償するために地中から大量の水を汲み上げて葉を通じて蒸散させるともいえる。つまり一つの熱機関として辻褄が合っているのである。劣化という現象は極めて熱力学的であり、原理は普遍的法則によって支配される。マジックのような自己修復はあり得ないという点においてさらに興味を引くものである。


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参考文献

[1]) 武田邦彦:「21世紀の工業材料」,超鉄鋼研究センター講演,(2003年1月24日:筑波市)
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[3] ) 神谷敏郎:「骨と骨組みのはなし」,岩波書店 (2001)
[4] ) 八谷浩志:「自己修復反応を含む超長寿命有機材料の研究」、芝浦工業大学博士論文 (1999)
[5] ) 西村栄美:月刊メディカル・サイエンス・ダイジェスト,vol.28,no.14,pp.565-568 (2002)
[6] ) 榊原宣:「胃がんと大腸がん」,岩波書店 (1999)
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[16]) 武田邦彦:化学装置,Vol.44, No.8,pp.11-14 (2002)
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[18]) 善本知孝:「木のはなし」, 大月書店 (1983)