― 人工材料の自己修復 劣化したPPEは回復するか? ―

 PPEの劣化を研究している学生が、「超」複雑なPPEの分解に取り組んでいる頃、修復反応研究の方も複雑怪奇になってきた。研究で良くあることだが、最初の基礎的な研究では非常に順調で論理的に進んでいたのに、少し中に入ると複雑な現象が山積していることに気がつく。これは普通のことである。

 この場合もPPEの再重合反応が順調に進んでいたのに、少し踏み込むと高分子の再重合だけに見られる現象が多くなってきた。最初の実験で有酸素でなければ分子量が上がらなかったのがその最初であり、次に触媒濃度と分子量の増加の問題であった。

 それまでの知見では触媒の銅を加える場合、単量体に対して銅をモル比で0.01-0.02程度加えると速度が最高になる。

 ところがポリフェニレンエーテルに銅を加える場合、モル比が0.01程度ではあまり速度が上がらす、0.1程度まで速度の上昇が見られた。

 有酸素反応だから銅の濃度の変化に伴う重合速度の上昇は単量体であれ、ポリマーであれ、ほぼ同一の傾向を示すはずである。しかし現実には違う。このこと自体が「自己修復研究は、たとえ既にわかっている重合反応を応用する時でも当たり前の結果は与えない」ということを示している。

 次に「ゲル化」がある。ゲル化というのは高分子の一部が架橋反応を起こし、不溶化してできる物が普通であるが、200℃という比較的高い温度で処理を行うと、分子量が低下した物が得られるが、同時に全体の量が減少する。下の図は120時間までの劣化実験の結果であり、徐々に分子量の分布が拡がり、さらに長くなると分子量が低下した少量のポリフェニレンエーテルが見られるようになった。

 このような変化が起こるのはある意味で当然であると言える。研究は「当然である」から「実験しなくても良い」と言うわけでもなく、それを確認することも必要であるし、次の実験の条件を決める上でも必要である。つまり「ポリフェニレンエーテルは劣化するとゲルができる」という事がわかっていても、それが現実的に問題になるのは200℃で何時間からかというのは実験しなければわからないからである。

 主鎖のある場所が切れると、そこに2つのラジカルができる。このラジカルはそのままでは不安定なので、近くの水素を引き抜いて「手当」をする。もし主鎖の開裂を「キズ」とすると、キズの手当を絆創膏でも瘡蓋(かさぶた)でも何でも良いから血が出ないようにしなければならない。このような表現も普通の科学では許されないが、「自然に学ぶ」という学問では推奨される。

 水素が引き抜かれるところは側鎖のメチル基と考えられるから、そこが架橋して劣化する。つまり、1箇所が切れれば別のところが劣化すると言うことになる。そうなると、劣化と修復の競争はどちらが勝つかわからなくなる。

 そこで、基礎研究を少し休んで、実際に力学的負荷を合成代謝材料に与えることによって、分子鎖挙動を観測することにした。試験片は3種類作り銅を入れたものは表 1に示したように触媒の濃度をモル比でCu/PPE=0.75とCu/PPE=2.3の2種にした。

表 1 疲労実験のサンプルの組成

 金属の疲労の研究者がいつもぼやいていることだが、疲労研究ほど辛い物はない。材料が破断するまでやるのだから、時間がかかる。最初の実験条件の設定が間違っていたら、いつまでたっても破断しないこともある。そうするとまたやり直しである。

 でも金属材料では多くのデータがあり、おおよそどの程度の条件で疲労試験をすれば、どの程度の日数で破断するかはおおよそ見当がつく。それに比べてプラスチックは疲労のデータがほとんど無い。この研究は「自己的に修復していく」ということを目指しているが、実はまだ社会ではプラスチックは使い捨ての時代なのである。

 それでも一応の予備実験を参考にして条件を設定し、破断強度に対して5%の負荷をかけ、1Hzの周波数で疲労試験を繰り返し行った。少し細かいが、その結果を表 2に示した。これは実験の表だが、論文などにデータを整理するときには、この表でわかるようなばらつきのあるデータを平均したり、あるいは極端に寿命が短いデータを除いたりしてデータとする。

表 2 ポリフェニレンエーテルの疲労実験の例

 学生の中には「データは全部、使うべきだ」という人もいるが、それが正しいとは限らない。また「再現性がないとデータにならない」という人もいるがそれも違う。もちろんすべてのデータはデータであり、また科学は必ず再現性があるものである。

 科学の対象物は自然だから、誰がやろうが同じ結果が出るのが当然である。でもその「同じ結果」というのが難しい。その間に人間が介在しているからである。特に一つの分子を扱うような科学の分野はそれなりにハッキリしていることが多いし、また多くの研究が行われた後は厳密になる。

 この実験の難しさは材料の疲労破断は材料中の欠陥の存在に大きく影響するということである。そして「欠陥のない材料」というのは作ることができない。だから何十年にもわたって多くの研究者がほぼ同じ事を試み、その結果やっと評価が定まってくるということになる。

 従って、最初の研究者は慎重に実験を行い、その評価をしなければならないが、不明なところは不明である。学生は発表会もあるものだから、どうしても「こういう結果がでた」と言いたくなる。それも人情だが、科学では人情を介してはいけない。だから結果はさまざまに評価しなければならない。

 たとえば、作った試料の出来がかなり良く、平均値を使えるとすると、表2のデータはPPEだけでは約7時間、PPEに触媒濃度をCu/PPE=0.75加えたものが約5時間、Cu/PPE=2.3の場合約6時間の疲労寿命となる。また試料には欠陥があるので、もっとも良いデータを取るべきであると考えれば、おのおの約10時間、6時間、そして7時間になる。

 でも、それでも真実に近づいていないかも知れない。触媒は欠陥になる。普通、ポリフェニレンエーテルに金属などを入れるとそこが欠陥になり、量が多いほど破断時間が短くなる。もしポリフェニレンエーテルとの親和性が銅と同じで、形状も銅と同じものがあり、それが触媒などの作用をしないというものがあれば、それを加えて推定計算の係数を出すこともできるが、現実的には難しい。

 金属元素を入れると破断寿命が半分程度になる事が多いので、それを加味すると触媒を入れた方が寿命が延びることになる。おそらく産業的にはフィラーや金属を入れてもあまり疲労時間が変わらないというデータならきわめて有望な結果と言えるだろう。

 でももう少し定量的な評価がいる。そこで疲労破断した試料を取り出して、ウベローデ型粘度計を用いて試料の分子量測定を行ってみた。その結果を下の図に示す。

 そうすると、PPEの単独試料では分子量が減少する傾向が見られ、自己修復系として行ったものは、分子量が上昇していた。分子量上昇率はCu/PPE=0.746で0.53%、Cu/PPE=2.28で2.35%だった。

 この実験は時間がかかったので、分子量の変化の学生にとって結果は嬉しいものだった。ただ学生が実験すると言うこともあり、卒業実験の締め切り近くで徹夜に徹夜を繰り返しながら測定するという状態になったのが可哀想でもあったが、同時にこのような経験をして実験の大切さ、失敗が多いことなどを学生が知ることができる。

 大学で学生が研究するときには研究そのものより、その学生がいかに研究を通じてその力を伸ばし、引き出すことができるかの方が大切である。でも問題はある。卒業までにある程度の結果を出させてあげる必要がある。学生によっては不器用でどうも試料が上手く作れない人もいる。

 そのような学生の場合、すべての実験をさせると、いつまでも正確なデータがでない。そこで私は材料の成形や難しい測定は外注させることがある。樹脂を混練するなどは「職人的技術」が必要で、なかなか学生には無理である。大学がその実験の一部を外注するのはだらしないとも言われるが、正確なデータを出すことと、教育とのバランスを取るためには必要悪なのだろう。

おわり