― 人工材料の自己修復 一度、綺麗にしても・・・ ―

 前回(自然に学ぶ・伝統に学ぶ ―人工材料の自己修復 作ったものはそのままか?―)で、人工材料としてポリフェニレンエーテルを選んだこと、重合した後、そのままさまざまな条件の下に置いておくとどのように変化したかについて整理をした。

 次にいよいよ核心に迫る実験に入る。それは生物で言えば「一度死んでも生き返るのか?」ということである。生物は呼吸をし、代謝し、活動をする。それに対して人工的なものは「死んだように動かない」。でも人工的な材料が動かないのは「それを作った後、綺麗に洗う」からである。

 つまり前回の実験のように重合したまま(自然に学ぶという方式に従えば、生きている状態のまま)置いておけば、変わるかも知れないが、作ったものを一度、綺麗に洗い、何の変化も起こらないようにしてから、暫く放置し、それをもう一度、動かそうとしたら動くのだろうか?

 実験は、重合したポリフェニレンエーテルを綺麗に生成し、再び重合触媒を加えて重合実験をしてみた。そうしたら、案の定というか、意外なことにというか、「死んだはず」の高分子が再び重合したのである。

 この研究を担当していた修士の学生はこの結果でほっと胸をなで下ろした。この結果さえあれば自分の研究にオリジナリティーがあり、卒業できることが確定したようなものだからである。

 でも、実は学生は研究が成功しようが失敗しようが卒業には無関係である。学生にとって大学とか大学院は「勉強をして力を付けるところ」であり、研究をするところではない。二種免許を取るために自動車学校に通っているドライバーは「毎月の売り上げ」など無関係なことと同じで、まだ修行中であるから失敗はよい。それよりも本人がどの程度力を上げたかによって卒業が決まる。

 ところが学生は人間だから研究を始めると「これができなければいけない」と思う。それがまた彼の力を上げるのだから矛盾はしていない。つまり、研究が上手くいうことと学生の力が上がるということはイコールなのである。

 ともかく、ピークの分子量が4000の高分子を合成し、それを取り出して綺麗に洗い、触媒もなにもかも取り去ってパウダーにして暫くそこら辺に置いておく。そのパウダーはどう見てももう「死んだ状態」でまた重合をさせようとしても「生き返らない」ような気がする。

 ここで「死んだ」とか「生き返る」などは一般的な工学では使わない、又は使ってはいけない言葉だが、この研究は「自然に学ぶ」がその主軸だから、あえてこのような言葉を使って研究を進めてきたので、伝統的工学の用語から外れていることをお許しいただきたい。

 それから熱をかけたり、いろいろな条件で保管してその後、再び重合するという実験を繰り返した。温度の高い状態で保管しておくと、ゲル(溶けない微小なゴロゴロしたもの)ができるので、それは濾過をしなければならなかった。

 修士の学生は前回と今回の実験結果をまとめて次のように修士論文に記載している。

 「以上のことから、次のようにまとめることができる。Figure 3. 20に示すように、その途中でどんな過程を経ても、触媒を洗浄した後に、再び触媒を加えれば、そのときのモノマーの有無にかかわらず、重合は進行することがわかる。しかし、単に重合後に触媒を残したまま再び重合した時とは、理由は定かでないが異なるということを軽視することはできない。また、分子量分布のピークがほぼ、同一の位置に揃うということは分子の再配列が生じることを意味すると考えられる。すなわち、PPE分子はどんなに高分子に成長しても、それは重合という観点からはモノマーと認識することができる。これは、PPEの末端には高分子になろうともフェノール性のOH基を有しているためと考えられる。もし、そうであるならば、PPEは常に生きているポリマーであると認識することが可能である。」

 実に立派な考察である。もちろん専門家の立場から見れば「その途中でどんな過程を経ても」というけれどそれほど多くの条件を試していないとか、「重合という観点からはモノマーと認識することができる」というけれど、高分子の反応は酸素が関与する場合と関与しない場合があるではないか、などの「意地悪」を言うことはできる。

 でも初期の実験では思い切って、実験から得られた概念を示すことが大切であり、その意味ではこの論文は立派なものである。

 ところで一旦重合した材料がもう一度、重合するのかという問題はやはりすでにわかっているとも言える。高分子の重合はその末端にあるラジカルや官能基が反応するのであるから、それが保たれている限りは一旦、洗浄しようが何をしようが変わらないのは当然である。

 でも、一旦、重合釜から高分子を取り出し、それを綺麗に洗浄して乾燥し、パウダーにしたものは何となく、また動き出すようには見えなかった。再び酸素を供給すると鎖が伸びるのは感覚的には実に不思議だった。そこで「自然に学ぶ」という事を活かすために「いったい、「死ぬ」ということはどういうことだろうか?」と議論した。

 人間の体は高分子でできている。そして高分子は1日や2日で劣化して「腐る」ものではない。この実験でもわかるように重合して洗浄し、すっかり動かないようにして2日間、そこら辺に放っておいても腐らない。でも人間は10分も息を止められると死ぬ。

 「呼吸を止めると死ぬというのは何だろうね?」と私が学生に聞くと誰も答えられない。「そんなに急に高分子が劣化するとも考えられないが?」私は積極的な学生が調べてくれることを期待してそんな風に問いかけた。

 暫くして、一人の学生が「先生、どうも呼吸を止めても死なないようです。」と言ってきた。「呼吸を止めても死なない?!」「ええ、劣化はそんなに速く無いようです」「体内でも」「ええ」と言うことになって、どうも呼吸を止めて人間が速く死ぬ理由はわからないままに今日に至っている。

 もちろん、死ぬことはわかっているし、どのように腐敗するかもわかる。でも人体の構造と人工的材料を比較すると、劣化する速さはずいぶん違う。ではなぜ、そんなに人体が劣化しやすいのか?だからこんなに素晴らしい活動ができるのか?だからそれが命なのか?

おわり