- 人の心と原子爆弾 -

 太陽の光も原子力発電所も、石油石炭ですら、つきつめれば原子力だから、結局我々は原子力をどのように使うかということだけが問題だということ前回に指摘した。

 ところがやっかいなことに、原子力発電所と原子爆弾というのはほとんど同じようなものだということである。原子爆弾は、一瞬のうちに原子力のエネルギーを爆発させてしまうことだし、原子力発電所というのは、原子力のエネルギーを少しずつ出している施設ということである。

 つまり原子力発電所も、超小型原子爆弾を毎日のように少しずつ爆発させていると考えても間違いではない。爆発というと印象が悪いが、「燃焼」と言っても「爆発」と言っても基本的に変わるわけではない。事実、石油のようなものが燃える条件のことを「爆発限界」と言っている。

 石油を燃やす時の燃焼範囲のことを「爆発」限界と表現できるのは、石油の燃焼には「反対運動」をする人がいないからだ。燃焼でも爆発でも科学的にはほとんど変わりが無いからである。ところが、原子力には強い反対運動が付いて回るので、原子力発電所が「爆発」などというと反対運動が盛り上がってしまうと信じられているために使っていない。

 でも原子力の平和利用のためには、原子力発電所は爆発だと言った方が良いかも知れない。原理は同じだから、原子力発電所の危険性というのは結局のところ原子爆弾の危険性と同じであるし、原子力発電所を作るという事はいつでも原子爆弾ができるということでもあるからだ。

 第二次世界大戦の時に、アメリカが原子爆弾を作り出した。もともとナチスドイツをやっつけるために原子爆弾を作ったのだが、その時にはもうナチスドイツが戦争に負けたため使う必要が無くなったので、その原子爆弾を日本に使うことになった。


(ガモフ全集より)

 それでもアメリカ軍の中には反対もあった。原子爆弾を使うということは大勢の人間を一度に殺すということである。それも日本の都市に落とせば、女性や子供などの非戦闘員も殺すことになる。人種差別をするアメリカ人の中にも、これはあまりにひどいという話があった。

 そこで妥協案として「原子爆弾を落とすぞ」と世界に宣言して、日本に近い海の上で爆破させたらどうかという案が提案された。もしこれが実施されていたら、広島・長崎で犠牲になった多くの人たちが助かったはずであった。

 しかし、この案は反対に遭って潰れた。その時の反対の理由が、もし原子爆弾を落として不発だったらどうするかということであった。原子爆弾はどんな条件でも爆発するというわけではない。ある一定の条件ができないと爆発しないので不発の場合があり得る。爆発させると宣言して不発だったら、日本軍はますます勢いを増すだろう。そうなると到底戦争を終わらせられないという反対論でこの案は潰れた。

 つまり原子爆弾を作ろうと思ってもそんなに容易にはできないのである。逆に原子力発電所を作る時には、できるだけ爆発しないように設計するので、原理は原子爆弾と原子力発電所が同じであっても、原子力発電所が突然爆破するということは起こらない。

 特に日本の原子力発電所は「水」を使って炉を冷やしているが、水は「核反応が進めば進むほど反応を止める方向に行く(負のボイド効果)」という特徴を持っているので、水素爆発などは別にして原子炉自体は核爆発させようとしても爆発しない。

 でも旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所は違った。この発電所は別の目的があったので「爆発しやすいように設計」されていた。黒鉛減速というこの発電所の方法は「反応が進むほど進む(正のボイド効果)」がもっとも高い設計だった。だから暴走が始まると止まらない。

 そんな発電所を作った理由はいくらでも原子爆弾が欲しかったからだ。チェルノブイリ発電所というのはそういう名前がついているだけで、真の目的は爆弾製造だった。日本では一般的な水で減速する原子炉(軽水炉)は239Pu(原爆の原料)の他に、爆弾にならない240Puができるが、これが1%でも入ると爆弾にならない。

 その点、黒鉛を減速材に使うと高純度の239Puが得やすい。危険を冒しても原爆が欲しい、これがソ連政府の考えだった。信じられないことだが、それが現実だった。恐ろしい共産主義の例である。

 そのためにチェルノブイリ原子力発電所は爆発し、それが誤解されて「原子力発電所というものは爆発する」と理解されている。

 科学というのはいつも危ないもので、目的が邪悪なら酷いことになる。人間を助けることを目的にしている医学を利用して人を殺すのはいとも簡単である。医学で人を殺すか助けるかは「方法や原理」にあるのではなく「それを使う人の心」による。

 まさに原子力とは「軍事利用」なのか「平和利用」なのかであり、人の心が変わればどちらにでも変わることができる。それは原子力から医学まで同じなのである。

つづく