- 日向ぼっこと原爆 -

 「日向ぼっこ」は実に気持ちの良いものだ。幼い頃、南向きの壁に体をくっつけながら「押しくらまんじゅう」をしたり「日向ぼっこ」をしたりしたことが懐かしく思い出される。柔らかい光、ポカポカと暖かくなっていく体・・・自然の恵み、太陽の恵みを感じた想い出である。

 太陽電池の人気が高いのはそんな想い出と関係があるのだろう。なんとなく私たちは「太陽の光」というとほのぼのと私たちの体を包んでくれるように感じる。

 でも、太陽は「原爆(水爆)」である。専門的なことにはあまり踏み込みたくないが、原爆には2種類あり、ウランやプルトニウムが爆発するもの(核分裂型)と水素やヘリウムが爆発するもの(核融合型)があり、普通は前者を原爆、後者を水爆というけれど、いずれも「原子力を利用した爆弾」という意味では「原爆」と言っても間違いではない。

 広島、長崎は核分裂型であり、太陽は核融合型であるが、もしそれが地上で爆発したらどちらも同じである。現実の爆弾としては水爆の方がさらに威力の大きいものを作れるので、悲惨である。

 太陽表面の写真を見るとそのことがよく判る。太陽の表面で1回核爆発が起きると最大で地球と同じぐらいの炎があがる。上の写真で輪のようになっている炎が最大で地球の大きさと同じだ。

 この中に人間がいたらひとたまりもなく焼け死んでしまうけれど、太陽は遠く離れていて、光の速度でも地球まで8分20秒もかかるから、地球上で太陽の光を浴びても「日向ぼっこ」になるだけということである。

 もっとも成層圏にオゾン層ができるまでは、太陽から出る放射線が直接地表に達して生物は海の中深くでしか生きていけなかった。その後、今から10億年ほど前に成層圏にオゾン層ができて、太陽からの放射線や有害な紫外線をそこで止めることができるようになり、それで地球に生物が繁栄できるようになったのである。

 太陽の光で生物が繁栄するということは、空気中にある二酸化炭素を生物の働きによって「還元された炭素」にすることであり、生物の体というのはこの「還元された炭素」でできているのである。この還元された炭素は何かの機会にそのまま土の中に埋められてしまった。

 それが、石炭や石油である。石炭は植物の死骸で石油は動物の死骸だが、エネルギーとして考えると、かつての太陽の光を生物の体の中にためて、それが土の中に眠っていると考えて良い。

 つまり我々人類が使っているエネルギーと言うのは、太陽の光であれ石炭であれ石油であれ全部、太陽の光が元になっている。太陽の光が元になっているということは原子力であるということだ。つまりもっとはっきり言えば「この世の中には原子力しかエネルギーが無い」ということを意味している。

 もちろんもっと専門的に言えば、重力エネルギーやその他のエネルギーも宇宙には存在するが、人間の役に立つ形としてまだ利用されたことは無い。大昔から現在の人間に至るまで、人間が使うエネルギーは全部原子力エネルギーなのである。だから、残念ながら、新しい科学が誕生して別のエネルギーを使えるようになれば別だが、今後も人間は原子力エネルギーしか使っていけないだろう。

 つまり原子力反対ということは、一切のエネルギーを使わないということであって現実的ではない。むしろ問題なのは原子力エネルギーをどのように使うかということに尽きる。これも簡単に言えば、原爆は作らないで、できるだけ太陽のエネルギーで活動できる範囲で生活をするということだろう。

 いちばん悪いのは原子爆弾、次は原子力発電所、普通には石油石炭、そして最も良いのは太陽の光である。でも太陽の光を使うわけにはいかない。なぜなら、現在の我々の生活というのは、自分の活動範囲で得られる太陽の光の1000倍ぐらいのエネルギーを使っているからだ。

 もし人口が1000分の1になったり、原始的な生活をすれば別だが少しぐらい省エネルギーをしても、太陽の光で生活できるという訳ではない。だから、太陽電池を使うのは悪くないが、補助的にしか役に立たないということははっきりしている。

 そして石油や石炭は大昔の生物の死骸なので使うのに限界がある。いわば貯金のようなものなので、あまり乱雑に使っていると無くなってしまう。いつ無くなるかというのはいろいろ議論があるけれど、100年以内に無くなるのはほぼ間違いない。

 だからいずれにしても、人類は原子力発電を進めていくか、あるいは原始的生活に戻るかを選択しなければならない。もし、現在の我々が原子力発電所を嫌って石油石炭を使っていると、我々の子供や孫は原子力発電しか使えないということを意味している。

 我々の世代が石油石炭を使い切って、子供や孫たちには原子力発電しかないという状態で特に悪いということは無いが、あまり短期間のことだけ考えるのではなく、少し長期的に物を考えた方が良いように私は思う。

つづく