― 日本社会は女児を魔の手から守ることができるか? ―

 連続して起こる女児殺害事件、その多くは単なる暴力の問題であり、被害は性的ではないが、事件を起こす男の深層に性的衝動が認められる。

 また事件の原因として「男女共同参画」の活動による副作用と考えられるところがあり、男女共同参画を推進する立場にある私としては「良いことだから欠点を指摘してはいけない」ということではなく、自らが進めていることの欠点は自分で咎めたい。

 このホームページでは、緊急提言の第一回目として「女性の皆さん、服装に注意してください」と呼びかけた。これ以上、小さな女の子に被害が及ばないように成人女性の協力を求めます。女性の皆さん、我慢してください!

 でも、ダメだろう。日本の女性はダメになった。だから、パート2では男性に呼びかけたい。

 まず、現代の日本の女性がいかにアメリカやヨーロッパの悪しき文化に汚染されているかを示そう。150年ほど前の明治時代、貝塚の研究に来たモースの言葉を渡辺京二さんが記録したものである。

「若い娘が白昼堂々と肉に食い込むような海水着を着、両脚や体の輪郭をさらけ出して、男達と砂の上をブラリブラリとしている」
そして彼は上述の母国(アメリカ)の風景を思い出し、
「日本人が見る我々が、我々が見る日本人より無限に不作法で慎みがないのである」
と述懐する。

 アメリカやヨーロッパは女性がその肉体を強調し、日中でも、どこでもセックスアピールをする。女性の裸が横行し、性犯罪を誘発する。男性から見ると女性は性犯罪を誘発したがっているようにも見える。ところで、日本はどうだっただろうか?同じく明治の時代にアメリカから来た軍人の記録である。

「私が初めて日本の風呂屋に入った時、あらゆる年齢の男、そして婦人、少女、子供が何十人となく、まるでお茶を飲んでいるように平然と、立ったまま体を洗っていた。そして実を言うと、入ってきたヨーロッパ人も同様に気にもされないのである。・・・同行の若い士官から、慎みがたいそう欠けているとお思いになりませんかと尋ねられ、「慎みがないのは、見る方の眼の問題なのね」と答えた」

 江戸時代の日本では若い女性が通りで風呂に入るのは日常的だったという。女性の裸だけではない。女性が着替える時、襖や障子に鍵をかける訳ではない。紙一枚の向こうに衣擦れの音を聞いても誰も開けようとしなかった。

 日本の男性は性欲が不足していたのだろうか?これについては渡辺京二さんご自身が次の様にまとめている。

「徳川期の日本人は、肉体という人間の自然に何ら罪を見いだしていなかった。それはキリスト教文化との決定的な違いである。もちろん、人間の肉体、ことに女性のそれは強力な性的表象であり得る。久米の仙人が川で洗濯している女のふくらはぎを見て天から墜落したという説話を持つ日本人は、もとよりそのことを知っていた。だが、それは一種の笑い話であった。そこで強調されているのは罪ではなく、女というものの魅力だった。」

 もちろん日本人も夜になると子供を作った。だから性欲が無いわけではないが、「場所、時、状況」を良く考え、慎み深かっただけである。また女性も裸になってもそれは挑発するためではなく、生活の中でのことであった。

 日本人が恥ずかしがるのは「心」であって「体」ではなかった。日本は「恥の文化」と呼ばれるが、その恥は人格的な恥であり、体ではない。だから、昼間から女性の体に性的興味を持ったり、着替えている女性を見るなどは日本の男性にとって恥であり、また昼間から男性を性的に挑発するのは日本の女性にとって恥だったのである。

 女性の裸を挑発として利用するアメリカの文化、そして女性を尊重し日常生活で不自由がないように気を配る日本の文化。彼我のレベルの差は歴然としていた。日本の男性は誇り高き人間だったのである。

 でも、現代の女性はダメだ。何とかして男性を性的に挑発しようとしている。ヌード写真集は出す、週刊誌にヘアヌードなる奇妙な姿で出る。恥は捨ててお金をとる。「自分の美しい姿を残しておきたい」というような発言は三百代言の類である。

 だから日本の男が、日本の幼い少女を守ってあげたい。もう日本の女はダメだ。

 まず、性的で挑発的な写真が載っている週刊誌の不買運動を展開しよう。新聞でおおっぴらに風俗などの宣伝をしているものは買わないでおこう。ご婦人だけに用意された女性専用車は軽蔑しよう。我々、日本男児はそのような下品な誘惑には乗らない。

 人間の中には動物がいる。だからしっかりした男性でも昼間から性的なものを見させられていたらうっかりその気になることがある。何万人もいる男性の中にはそれが昂じて犯罪まで行くことがある。そして女児が犠牲になる。

 私たち日本男児は恥を知っている。どんなに私たちのパートナーである女性が裸になるのを我慢できなくても、私たち男性は我慢しよう!

 最後にマスコミの人にお願いしたい。朝のテレビを見ていたら、ある映画の話をしていた。その映画では主役の女性がある男の首を締めて殺す筋書きらしい。その話をしている時にメイン・キャスターが「あんな美人に首を絞められるなら、私も締めて殺されたい」と発言した。

 セックスと暴力の神髄をついた発言である。このようなことを地上放送でしゃべるような道徳観、恥を知らない人は少し出るのを控えてもらいたい。人生を途中で終わらなければならない女児を救うために!

おわり