マレー沖の奇跡

第四話 -なぜ、東洋の小国が?-

1.  巨大戦艦・蚊トンボに勝てず

 マレー沖では日本の攻撃機が簡単にイギリスの軍艦を沈めた。

 マレー沖海戦も起こってみれば、上空からの爆撃機で速度の遅い戦艦を爆撃するのだから、航空機が勝つに決まっていると思うがそうではない。

マレー沖までは、航空機が戦艦を撃沈した事など無かったし、もともと航空機は偵察任務とほんの少しの銃撃ができるだけで、爆弾を搭載することもあっても、命中率が低く戦艦のように動くものには当たるはずもないと考えられていた。

航空機が爆撃にも役に立ちそうと思われたのは、急降下爆撃だけで、第一次世界大戦後には、イギリス軍には名前だけではあったが、急降下爆撃部隊が生まれていた。

ドイツ人もこの戦法に飛びつき、Ju87シュツーカという急降下爆撃の代名詞のような戦闘機も現れる。しかし、急降下爆撃でも速度が遅く、おまけに固定した地上の目標にしか命中しない。さらに、航空機に搭載できる魚雷も炸薬が小さく、戦艦に打撃を与えるのは難しかった。

たとえば、普通の魚雷なら同じところに10本は当たらないと撃沈できなかった。命中率が悪いのに、「同じところに10回」では到底、戦果を期待する方が無理である。

それに航空機が役に立たないという歴史的事実もあった。2年前の1939年のノルウェー上陸戦のあとのことだが、イギリス空母グローリアスはドイツの戦艦に遭遇、目で見える距離まで敵艦が来ているのに航空機で有効な攻撃ができず戦闘能力が遙かに勝るドイツ戦艦に砲撃され撃沈された。

それはドイツでもおなじで、かのドイツ空軍でもイギリスの主力艦を1隻も撃沈できない状況だった。

 ところが、それより遙か前、まだ航空機が机上の空論時代だった時代にこれに目をつけたのが、かの山本五十六である。

彼が少将で、海軍航空本部の技術部長であったころ、制海権における航空機の重要さを認識し、多くの反対者を説得して九六式陸攻の開発を進めた。そして、技術は進み、ゼロ戦が登場するようになると急降下爆撃・雷撃とも威力を増してきた。

まず、命中率が急降下爆撃で約25%、雷撃で約15%に上がり、戦艦は爆撃と雷撃合計15発で沈没すると計算されるまでになった。

 どんなことでも将来は不明である。マレー沖海戦でZ艦隊が搭載していた主力のポムポム砲は40ミリ、8連式で発射速度200発/分、最大射高3,980m、最大射程5,700mというすごいものであった。その射撃を受けながらの水平爆撃だから、かなりの命中率が必要となる。でもほとんど当たらない。こんなもの役に立たないと反対する将校の方がまともだっただろう。

しかし、日本海軍航空本部が九六式陸攻に力を注いだには、もう一つ、制海権に関するとんでもない計算があった。それは、仮に水平爆撃が有効になると、1500名も乗務する戦艦に100機ほどの航空機で対抗できることになり、戦闘人員は一桁違う。戦艦と戦艦の戦いを有利に進めるためには訓練は作戦などの不確かな「勝利の方程式」を立てなければならないが、航空機なら確実である。

実際、マレー沖では日本の攻撃機は3機を失い7人の損害で済んだが、イギリスの方は戦艦二隻(約2500人)を失った。戦いは駆逐艦も入れたZ艦隊と出撃した日本爆撃隊の比較であるから、イギリス軍は戦艦2隻と駆逐艦4隻に対して、日本軍はゼロ戦27機、九六式艦戦12機、九六式陸攻72機、一式陸攻27機の全部で138機であり、戦力はイギリス3000人と日本300人だった。


図 1 戦艦の大きさと戦闘機

 なぜ、戦艦と戦闘機はこれほどまでに戦闘力が違うのか?それは戦艦の歴史と戦闘機の大きさを比較すればわかる。

古代ローマ時代にはガリー船と呼ばれる軍艦が活躍した。全長15メートル。そして大航海時代、アメリカ大陸を発見したコロンブスのサンタマリア号が30㍍。そして初めて航空機の撃沈された戦艦プリンスオブウェールズが230メートルである。

戦艦は推力のもととなるこぎ手や帆走、そして蒸気機関などが進歩し、艦砲も強大になるが、所詮、全体のシステムは変わらない。海上を何らかの推力を使い水の抵抗にこうして進む。水の動粘度は一定であるし、巨大化すればルートの法則で動きは遅くなる。

 それに対して航空機は船とはまったく違うシステムで動く。なにしろ圧倒的に軽い空気の中を矢のように飛び、瞬く間に目的地点に到着する。確かに毎分数千発のポムポム砲は航空機にとっても脅威ではあるが、戦闘能力を失わせるほどのものではない。

2.  九六式よ、お前もか!
    
 九六陸攻は山本が指揮する海軍航空本部・技術部の後押しで1933年に試作機、翌年には三菱の庄季郎技師が主任となり設計に着手する。

航空機の胴体はこのとき初めて日本で作られ、双発単葉、一本柱式の引き込み脚、隠顕式銃座など空気抵抗を下げ、速度と航続距離を上げるさまざまな工夫がされた。

さらに、爆弾庫はなし、胴体の下に800kgの魚雷や爆弾を吊るし、必要に応じていつでも捨てる。そして材料はジュラルミンが使われた。2年後、上攻撃機11型(G3M1が型式採用となって量産が開始され、その後22型が主力となる。

翼面積75.00㎡、自重4,965kg、全備重量8,000kg、乗員7名。最大速度376km/h、巡航速度278km/h、雷撃速度は約300km/h、航続距離2,870km,偵察荷重時は4,380kmで、イギリス艦隊を見つけた索敵3番機は13時間飛行をした。

エンジンは直径1,218mm、全長1,540mm、重量532kg。「金星」と言い、1型650馬力から金星62型1,320馬力にまで進化していた。攻撃武装は800kg魚雷を1基かもしくは500kg爆弾を1発、250kgを二発を選択した。

 ところで最近の三菱はろくな事がないが、戦前は世界でも最高級の技術陣がいた。かの有名な零戦を作り出した話は有名だが、この九六式陸攻も零戦にまけず劣らずの名機だった。なにしろ日本がヒコーキというものを知ったのも遅いが、日本海軍が初めて航空機を保有したのは、九六式陸攻の設計が開始される12年前、イギリス人の技師スミスが設計・製作した艦上戦闘機という状態だったからである。


図 2 日本海軍第一号航空機

 馬力こそ300馬力あり、速度も225キロでたが、見るからに古くさい木製の複葉機である。マレー沖の奇跡以前にはドイツ空軍もイギリス空母も戦艦を撃沈できなかったと書いたが、この第一号の複葉機の写真をみてそれも納得できる。

これを見て「将来、水平爆撃で戦艦を撃沈できる。絶対、航空機を開発しなければならない」と結論した山本五十六はすごい。

この木製機のすぐ後に日本人だけで九六式陸攻を作り、それがイギリス旗艦を撃沈した。レパルスの士官が、「真珠湾攻撃はドイツ軍が日の丸の印を付けて攻撃しただけ」と言ったという話も納得できる。

このシリーズにペリーが浦賀に来た時に黒船に仰天した日本人が、それから僅か数年後、日本人だけで蒸気船を操舵して長崎から江戸に回航したことを著わした。黒船に腰を抜かしておる日本人を見た外国人は奇妙に思っただろう。一体、あの時の日本人は何だったんだ?驚いたのは三味線だったのか!?

「あらーっ!ほんとっ!うっそーっ!信じられないっ!」とこの世もひっくり返るほどビックリしているかと思うと、2,3分もするとケロッとして当人が「信じられない!」と絶叫していたことをやっている。ヨーロッパ人からは日本人がそう見えた。

イギリス艦隊は長い間、東洋を制覇してきた。そしてどの国もイギリスの艦船や軍隊にビックリはするが、決して自分のものにもしようとしなかったし、まして独力で作ってみようなどという気配も感じたことがない。日本軍が攻めて来ると言ってもせいぜい木製複葉機のようなものがフラフラとやって来ると思っていた。大英帝国の情報網は世界一だったから、士官はみんな九六式陸攻も零式感情戦闘機もよく知っていた。

人間は頭で理解することができても、決して心では判らない。

ところで最後に九六式陸攻の沈胴式脚について加えておこう。現代の航空機は上空に上がると脚を畳んで飛ぶのは常識だったが、当時は脚を出すのが普通。この九六式陸攻の脚は根本が回転できるようになっていて手動の引きこみレバーで胴体に格納した。細かい芸当と生産技術は日本のお家芸が見られる。

 
 新しい時代は常にそれまでの常識を覆す。ずっと同じメカニズムと情報で続いてきたものは得てして大きさで勝負しようとする。国も強くなろうと膨張する。会社も、橋もビルも、すべてのものは大きくなることによって競争に勝とうとする。そして当人達が知らぬうちに異常なまでに膨れあがり遂には制御不能まで巨大化して一気に滅びる。その時にはマレー沖のように蚊トンボのようなものに敗れる。

 古生代は5億年少し前に始まったが、急激な寒冷化で大絶滅が起こって終わり、中生代が始まった。中生代の主役はなんといっても白亜紀に繁栄した恐竜だが、その体は時代と共に大きくなるばかりだった。

脊椎動物というものは体を脊椎で保持し、頭は頭蓋骨で守っている。脊椎骨は体の中心にあるので肉さえつければ外側にはいくらでも大きくなることができる。現代の肥満とはそういうものである。

 ところが頭はそうは行かない。頭蓋骨は頭の外側を覆っておるので、いくら獲物を食しても「頭の肥満」はない。この原理があるために恐竜は体ばかりが大きくなって頭脳が相対的に小さくなる。

現代の企業でもそうで、社長になる人物はそれほど頭脳明晰ではないことが多いが、会社だけは大きくすることができる。会社が大きくなっても社長の頭は良くならないから、これも相対的に頭脳が小さくなる。

しかりして、巨体は滅び、巨大な会社はつぶれる。

 大きくなることは決して繁栄ではない。むしろ衰退の道を歩むことを知らねばならない。

第16回 終わり