日本海海戦

第三話 海戦次第



 常勝日本の謎を解くシリーズの第三弾は日本海海戦である。第一話は決戦の前夜の状態、第二話は決戦、第三話は戦略考、そして第四話は日本がなぜ勝ったかについての解析である。今回は第三話で会戦の模様を詳しく振り返ってみる。



1.  海戦次第

 「日本海海戦」を布陣から、ジックリと見直してみよう。

 日本軍は東郷平八郎大将が直接指揮した第一艦隊は、東郷の第一戦隊と出羽重遠中将指揮の第三戦隊で戦列をなし、戦艦「三笠」に東郷長官,艦長伊地知彦次郎大佐が乗り込む。中核となるこの艦隊は、「三笠」に加え、戦艦「敷島」、「富士」、「朝日」の四戦艦に、装甲巡洋艦「日進」がおり、同じ第一艦隊の第三戦隊は巡洋艦群。巡洋艦「笠置」、「千歳」、「音羽」そして「新高」が中心をなしていた。

戦艦はいずれも15,000トンクラスで30センチ砲を4門を持ち、速力は18ノットに揃っていた。巡洋艦というのはおおよそ排水量8,000トン、20センチ砲4門、そして速力20ノットだから、その速力にものを言わせる場合は良いのだが、艦隊を組んでの一大決戦では役に立たない。


戦艦 三笠。英国ヴィッカーズ社製、1902年竣工、15,140トン、30.5cm砲4門、18ノット。



第二艦隊は上村彦之丞中将が率い、島村速雄少将の第二戦隊に装甲巡洋艦「出雲」、「吾妻」、「常磐」、「八雲」、「磐手」、「浅間」、瓜生外吉中将の第四戦隊に巡洋艦「浪速」、「高千穂」、「明石」、それに「對馬」が隊列をなしていた。さらに第三艦隊は片岡七郎中将が巡洋艦、装甲海防艦、砲艦、仮装巡洋艦、特務艦、駆逐艦、水雷艇と多彩な戦力をひっさげ、東郷艦隊の参加艦船数91隻、数は多いが小型が特徴であった。


   
   
東郷平八郎   ロジェストミンスキー


対するロシア艦隊は戦艦隊、巡洋艦隊、そして駆逐艦隊に分かれており、第1戦艦隊には司令長官のロジェストヴェンスキー中将が戦艦「クニャージ・スウォーロフ」など戦艦4隻、第2戦艦隊は戦艦3、装甲巡洋艦1、第3戦艦隊は戦艦1、装甲海防艦3で重量級で、それに巡洋艦隊は9隻の巡洋艦、駆逐艦隊は8隻、付随艦がついて総勢38隻であった。

艦船数から言うと、日本軍が91隻、ロシア軍が38隻だから日本軍の方が優勢に見えるが、日本軍が小型艦船が中心、ロシア軍は大型艦船という対比が可能であろう。雑誌「サイエンティフィック・アメリカン」が戦前に次のような予想をしていた記事には、

「戦艦数はロシアが日本の二倍であり、海戦を決めるのは戦艦だからロシア側優勢」

と単純明快な論理を述べている。

戦艦と巡洋艦では主砲の口径が30㌢と20㌢、船の装甲版の厚みも全く違う。海戦は射程に入れば直ちに砲撃が開始されるから、主砲の威力が抜群の戦艦同士の初期の一撃で決まる。巡洋艦などはいくら砲撃しても敵艦に砲弾が届かないのだからどうにもならず、駆逐艦に至っては負傷兵の救助程度しか役立たない。

このことは、ロシアの戦艦と巡洋艦や装甲艦をほぼ同じ尺度で描いた影絵を見るとよくわかる。

   

   


(上段:戦艦群 スヲーロフ、アレキサンドル三世、ボロジノ、アリヨール
下段:装甲巡洋艦ドミトリードンスコイ、巡洋艦イズムルード、装甲海防艦アブラクシン)


だが、このような大方の予想に反して日本海海戦の結果は驚天動地というべきものである。

合戦を終わってみると、日本側は小型水雷艇3隻を失ったのみ。総排水量でみると、沈んだ艦船の排水量は僅か255トン、全体の0.1%だからほとんど無傷、全艦無事といえるだろう。だが、ロシア軍は戦艦8隻のうち6隻沈没、2隻拿捕、装甲巡洋艦と巡洋艦合計9隻のうち5隻沈没、3隻抑留で、かろうじて1隻が逃げ延びた。数で言えば、38隻中、実に34隻が沈没、拿捕、抑留され、たった4隻だけが命からがらウラジオストックに逃げかえった。

簡単に言うと、日本軍は無傷、ロシア艦隊はほぼ全滅。

イギリス国の戦史家・ウィルソンは、
「何という大勝利なのだろうか。陸戦でも海戦でも、これまでの戦史上、このような完全な大勝利を見たことがない。この海戦はトラファルガー海戦と比較しても、比較にならないほどの大きさである。」
と言っており、新聞「ニューヨーク・サン」は社説で、
「日本艦隊がロシア艦隊を潰滅したことは、海軍史のみならず世界史上例のないことである。日本が鎖国をといたのはわずか50年前であり、海軍らしい海軍を持ってから10年にもならないのに、世界一流の海軍国になったのだ。」
としておるのも頷ける。

歴史家ウィルソンが言っておる「トラファルガーの戦い」という海戦は有名な大英帝国のネルソン提督がスペイン・フランス連合艦隊を殲滅し、ナポレオンの領土拡大を止めた歴史的大海戦である。

1805年10月21日、ジブラルタル海峡北西のトラファルガ岬の沖で、ネルソン提督が率いる大英帝国艦隊の27隻とフランス・スペイン連合艦隊33隻が激突した。

南進していたフランス・スペイン連合艦は決戦を避けて北へ反転しようとするが、そこに、ネルソン提督がのっていたビクトリー号が突入して艦隊を二つに割り、大英帝国艦隊が大勝利を収めた。



フランス・スペイン連合艦隊は13隻が捕捉され提督も捕虜となった。イギリス側の感染の損害はなかったが、ネルソン提督自信は狙撃を受け戦死した。この戦いはナポレオン1世がイギリス本土へ上陸することを阻止した点で歴史的にも重要な海戦である。
「イギリスは各員がその義務を果たすことを期待する」
と檄文を発している。

ウィルソンの評価はまともと言えばまともだが、それまで、世界はヨーロッパやアメリカだけが強く、他の民族が近代兵器をつかってこのような勝利を収めるという「概念」自体がなかった。彼らは日本海海戦の結果をみて、東洋の端に日本人というとんでもない民族がいると驚いたのである。

でも、その後もヨーロッパ人の東洋人に対する味方はそれほど大きくは変らなかった。それはこのシリーズの後のマレー沖海戦でまた解説を加える。

                                       
第11回 おわり