タフツ大学


 アメリカ合衆国は州立大学などのいわゆる公立大学が大学全体の80%と多く、私立大学はわずか20%程度である。それは、80%が私立大学で、国立大学が20%程度、県立大学や市立大学の様ないわゆる公立大学は数えるほどしかない日本に比べて対照的である。アメリカの州立大学の平均的な授業料は年に55万円程度、タフツ大学は授業料と寮費を含め年間360万円を学生に納入させている。そればかりではない、タフツ大学のあるボストンはアメリカ合衆国の開祖の地であるとともに、MIT,ハーバードなど実に36の大学がひしめいている一大学園都市である。人口はボストン市内で僅か40万人程度、周辺をあわせても二50万人程度しかない。確かにMITやハーバード大学は優れた大学であるが、アメリカでは優れた大学に入るのはそれほど困難ではないので、タフツ大学に入学することの出来る学生なら少し頑張ればMITにも入れると思うかも知れない。それにボストンのあるマサチューセッツ州には州立のマサチューセッツ大学などの公立大学があり、そこはタフツ大学の六分の一の授業料でやっているのだ。

 しかし、タフツ大学には入学生が集まらないと言うこともないし、財政的な危機はない。特別な宗教上の寄付や大きな基金をバックにしている訳でもない。ボストン郊外の丘の上に立っている小規模なキャンパスは、学生数八千人、どこも活気にあふれ、頬を紅潮させた、楽しそうで忙しそうな学生で溢れている。

「付加価値に人はお金を払う」

がタフツ大学の確信である。

 タフツ大学が潰れないのはなぜであろうか。そして、なにが付加価値なのであろうか。


タフツ大学とは

 タフツ大学は1852年に設立された大学で、車でボストンの中心街から約30分、ボストン市を一望に見渡せる丘の上にある。創立当時は現在学長、副学長、国際交流センターがある建物と、もう一つの学舎だけの小さな大学であった。現在では、フルタイムの学部学生が4500人、パートタイム(日本では認められていない学生の分類で、時々履修するが正式なその大学の学生)が30人、大学院生が3500人である。教員は340人で、教員1人あたりの学生数は13人である。日本の私立大学と比較すると大学院生の割合が多いように思えるが、スタンフォード大学が学部学生が6600人に対して大学院生7500人だから、大学院生の比率はアメリカの一流大学に比較すれば決して多くはない。参考までにアメリカ私学の雄であるスタンフォード大学では教員1人あたりの学生数は5人である。


 また、授業料という点でも日本とは違いがある。日本では早稲田大学、慶応大学が「早慶」と呼ばれて飛び抜けた私立大学だが、それでも授業料が早慶だけ断然高いということはない。それに対して、スタンフォード大学などのアメリカの私立大学は「ブランド」を高い授業料で印象づけている大学も多い。その中でも、タフツ大学の授業料は年間250万円でスタンフォード大学よりさらに2割も高いのである。

 教育内容は、学部は文科と工学の2つ、大学院は9つのスクールに分かれていて教育、工学(機械工学、材料工学)、語学などに力を入れており、外交官養成学校、医学、法学の学校としても名前が通っている。

 ボストンはアメリカ合衆国東海岸の北のはずれで、有名なメイフラワー号がイギリスからの移民を乗せて最初に漂着したところとして歴史的に有名である。今でも、開拓の面影が市全体に残っていてアメリカの他の都市とは印象が違う。ボストン市街は小さい面積に40万人がぎっしりとつまり、中心部のマンションはいずれも億ションで地価は東京並。ボストン西方に広く拡がった郊外には住宅街、大学が散在している。郊外も入れて「大ボストン」と呼ぶが、この人口は250万人程度である。産業はコダック、デック計算機(MITの教授が始めた会社)などの先端産業がリードしている。その中で36ある大学も地域の大きな勢力である。

 MIT、ハーバードが別格であるが、タフツ大学はボストンの大学の中では次に続く名門である。小高い丘の上に、大学本部、図書館、講義室、実験棟、学生会館、教会、それに学長、副学長の公邸、私邸がある。全体の大きさは歩いて5分程度でどこでも行けるほどであり、小振りなキャンパスである。8000人の学生がこのキャンパス付近にいる。近いと言っても、ボストン市街にでるには小1時間かかるので学生はいつもキャンパス付近で生活をする。一言でいって「いい大学だなあ!」と思わせるような雰囲気が漂っている。


アメリカの大学の中でのタフツ大学
 
 3600あるアメリカの大学で、1500が短大、2100が大学であり、そこへ高等学校を卒業する生徒の70%が大学に進学し、その80%が51000人の学生のいるミネソタ州立大学などの巨大大学に進学する。アメリカ人は国の支配を嫌うので、いわゆる「国立」という大学はないし、大学設置基準が厳しいということもない。しかし、州立大学が税金などの公共資金の援助を得て、学生の授業料は年に55万円程度であるので、年に200万円以上の授業料を取らなければならない私立大学は簡単に設立するわけにはいかない。タフツ大学規模で類似の私立大学はアメリカで一二大学を数える。

 アメリカでは大学の「質」という点でいわゆる「研究大学」と「教育大学」ではそのステータスがかなり違い、教育専門の大学の地位は低い。例えば、ハーバード大学は25000人の学生のうち、学部学生が9000人、大学院生が16000名で完全な研究大学である。ハーバード大学、ペンシルバニア大学、コーネル大学、コロンビア大学などが大きな研究大学で、イエール大学、プリンストン大学などが小さいスケールの研究大学である。これに対して、ダートマス大学などの教育大学があるがこれらの教育大学で有名大学は無く、現実的にはぱっとしない。大規模研究大学では例えばMITの900名、ハーバード大学の600名など一年に博士課程を取る学生の数は飛び抜けて多い。ある意味では博士号を授与する数で研究大学としての地位が決まるので、タフツ大学も多くの博士を出すべくがんばっているが、昨年は博士号授与は75名だった。

 この様にタフツ大学も研究大学としての名声を博したい気持ちは山々であるが、残念ながら超一流の研究大学とは言えず、アメリカの大学の分類では「リサーチ一」という分類の大学の最上位に位置している。そうなると研究大学一本槍の方針はとれないので、教育と研究のバランスを取ることになる。


何でタフツ大学が生きているか-1(財政)

 圧倒的な数の州立大学と競争していく上でアメリカの私立大学は常に財政の問題を抱えている。学納金は帰属収入の60%、資産運用で400万円ほどの収入、それにフォード、ロックフェラーといった主要な基金からできるだけ多くの資金を調達しているが、とてもそれではやれない。そのために、二つの施策を採っている。

 その一つは、卒業生からの寄付である。タフツ大学自体は宗教色もないし、特別な卒業生や創業者がいるわけではないので、六万人いる卒業生全体から継続的な寄付を募る。寄付は5年の期間で行い、ここ20年間で3回行っている。おおよそ一回の募金規模は5億円程度である。

 卒業生からの募金は実に精緻で計画的である。アメリカのように成功したら母校に寄付することによりその恩返しをするという習慣のある国でも、黙っていては寄付金は集まらないので、用意周到な計画で進めるのである。まず卒業の時に必ず少しの寄付を出してもらうように呼びかける。まだ社会人になったばかりの学生に多額の寄付を頼んでも仕方がないので、数ドルでもいいのである。まずは卒業したては大きな寄付を期待しない。寄付という経験をさせるにとどめる。卒業後継続的に卒業生とコンタクトを取り、年に4回の本格的な雑誌と2週間に1度の割合で大学情報を卒業生に流す。内容は教授の情報を中心に大学時代を思い出す内容を主としている。退官される先生のことは必ず乗せるし、大学の様子も事細かに知らせる。卒業生というものは母校を愛する気持ちとノスタルジアを持つ。それは多くは自分が学んだ教室であり、指導の先生であるからである。

 卒業生からの寄付を募るには、①卒業と同時に寄付というものをするという「習慣」を身につけ、それを「訓練」して、卒業生が「寄付はするもの」と考えさせること ②寄付の額を年々上げてもらうように計画的に誘うこと、そして、③寄付額の約半分を卒業生への情報提供、卒業生同士の連携の補助に使い、決して寄付だけをしてもらうような方法は採らないことが基本戦略である。卒業生の寄付は「明日のタフツ」と言うキャンペーン名で続けている。大学と卒業生の間はギブアンドテイクが基本であるが、寄付はほっておいてもくる物ではなく、情報を出し、世話をし、そして卒業生を「訓練」をすることにより目的を達し、タフツでは卒業生の約半分が寄付をしてくれる。

 財政を支えるもう一つの手段は教員がどの程度の資金を外から持ってくるかということで、この点では教員が大きな力を発揮する。タフツ大学では大学運営の約3分の1を教員の集金能力でまかなう。教員が学外から資金を調達するためには、第一に研究業績が大切であるし、第二に寄付してくれるだけの日常からの社会的活動も必要とされる。教員の評価ではこの集金能力が大きく左右するが、それはある意味で当然でこれが無ければ私立大学そのものが成り立たないからでもある。日本では教員が外部から資金を調達することをあまり評価しないが、資金の調達は結果的にその教員の業績の高さを示し、また活動力の証明にもなるのだろう。


何でタフツ大学が生きているか-2(教育)

 タフツ大学はかろうじて研究大学としての位置を保ってはいるが、大規模有名研究大学には研究だけではとてもかなわない。中規模私立大学としては、良い研究をしているぞ、医科もあるぞと見せておいて、中に入った学生は教育で満足させるいうのがタフツ大学の基本路線である。アメリカでは基本的にはノーベル賞を出すような研究が無いと「いい大学」ということにならないからであるが、タフツ大学ではいくら研究してもノーベル賞になる可能性が低いので、それを補うだけのきめ細かい施策を要する。

 その戦略として、まず良い教員を集める。これには大学のイメージをしっかりさせ、それに応じて良い教員に来てもらう。そして、7-10年ごとに教員の審査を行い、教育に熱心でない教員はやめてもらう。そのかわり良い教員は定年が無い。良い教員かどうかの「教員の審査」は、①著書、②論文、③研究資金の調達額、でまず決める。そして ④学生の評価で点数を付ける、方式である。本来教育は教育のみで評価するべきであると副学長は考えるが、やはり教育をしている傍ら研究をしていないと講義が古くなったりぼけたりするので、研究をしたり本を書いたりするのは教員の最低の条件である。その上で教育の業績を見る。タフツ大学の学生は「自分たちが大学を運営したい」という気持ちを持っているので、授業評価も積極的で、単に「やさしいから良い評価をする」ということはない。教員同士の評価も勘案するが小規模大学ではだいたい教員の働きは普段からわかるものであるという。確かにそうであろうが、活動していない教員を周囲が糾弾し、当の教員もそれを認める強さが有るのだろう。

 かくして良い教員で構成して、さらに超一流大学との差を付けるために、①少人数教育 ②ティーチング・アシスタントなどを使わず先生自体が教える ③学生が満足する設備をきめ細かく整える の3つを行う。 大規模大学では一つの講義が4000人の時もありテレビを使用したりするが、タフツ大学ではせいぜい50人程度で、講義の60%が25名以下である。講義は親しみのもてる雰囲気の中で行われ、学生が先生をファーストネームで呼ぶことも多い。さらに施設では、完備した図書館(電子情報より本が主体)、語学の自習設備(テープとイヤホーンで自分で勉強できる空間)などが配置されている。学生が常時、この様な設備を利用でき、実際に楽しそうに、かつ真剣に利用している。

 最後に、教育内容は一貫して「即戦力より、潜在能力」を掲げる。アメリカでは生涯3回職業を変えるのが平均的であるので、具体的知識や資格より、それを生涯にわたって理解し、実施することのできる基礎的ポテンシャルが重要であるという基本的認識がタフツ大学の理念である。そうなると、「短時間講義(セメスタ制で)」「ダブル専門(専攻を二つ持つ。例えば経済と数学、工学とフランス語などで「副専攻」と呼ばれることもある)」を実施し、さらに一部インターンシップ制や公認会計士訓練を行わない見返りとしてオッペンハイマーやソロモンブラザーズなどのアメリカの有力会計事務所に来てもらい、訓練や就職指導をするようにしている。アメリカの大学が大衆化して久しい。すでに高等学校卒業生の70%が大学に進学するし、人種問題もあり、日本と同様に学生の質の問題は存在する。大学で実学を学びたいという学生も多いが、それでも大学が資格教育にこだわっていては大学のレベルが低くなり、ひいてはブランドを失って学生の人気は無くなる。昨年の競争倍率は10倍強で人気は高い。

 とにかくタフツは超一流の大学ではないが、理論と教養を中心とする。


タフツ大学の学生

 タフツ大学の学生は活発である。その理由はキャンパスの雰囲気と適度な学生のポテンシャルとその学力レベルによる。MITなどのように完璧に優秀な一群で構成された大学は個人主義的であるし、かつ変人も多い。MITに教育が存在しているかどうかは疑問である。確かにMITに言ってみると、数学の勉強に大学院生が丁寧に学部生に教えていた。そのための設備もあるし、また講義も少人数で真剣に行われていた。外見はそうであるが、どうも学生個人個人の臭いもする。それに対してタフツ大学程度であれば、ある程度優秀でかつ、集団で生活できる程度に学生の人柄もよい。積極性もある。おそらく、タフツ大学よりレベルが低くなると学生の潜在的活力が低下して大学の施策は空振りにおわるかもしれない。

 タフツ大学の学生は自由な雰囲気の元で、活性を増し、自分たちで大学を運営したいという希望を持っており、かつ同時に全てに若者らしく批判的である。学生新聞は毎日でるものと、2週間に1回出版される新聞がある。もっとも新聞に対する感覚はアメリカは独特で、独立以来、常に新聞を出し続けている国民であるから、新聞が活発に発行されているからといって、日本の学生の活動力とはそのままでは比較できない。

 学生ホール、食堂などでも学生が中心に動いており、学生にとって「手の届く範囲の大学」であることがこの活気を生んでいる。ボストン市街からある程度離れていることもあって、学生寮が大学をとりまいており、大学側は知らないそぶりをしているが、実は学生の動向に対する大学の戦略も卒業生の募金活動の戦略とともに大学側の綿密な戦略がみえる。学生に国際的にも、生活面でも、そしてある程度の素晴らしい設備も、離れているが医学もあって、興味、生活、プライドが満足されるようになっている。学生の顔が生き生きとしており、MITやハーバードなどに比較して集団性が歴然と見られる。

 学生の時期というのは人生でも多感な時期である。それと同時に子供から大人への成長の時期でもある。この様な時期の人間は「思いやり」が「やる気」と連結する。その点でタフツ大学はきめが細かい。学生に対する施策は筆頭副学長を中心としたスタッフが日常的に戦略を立てている。


様々な工夫

 35の国から留学生が来て、全学生の25%が有色人種である。アメリカ合衆国からもアメリカ50州から学生が来ており、世話も大変だが同時に国際化を学生の満足するようにしている。留学生の奨学金はほとんど無い。

 多国籍の学生を抱えるのも偶然ではない。アメリカの中規模私立大学としてやっていくにはボストン近郊とかアメリカ東部などに限定していては学生を集められないのである。そうなると、まず宣伝が必要で宣伝のためには「コンセプト」を打ち出さなければならない。お化粧も必要である。キャンパスの配置や学生寮も考えなくてはいけない。世界各国の父兄が「あの大学なら子供をやりたい」と思わせる必要があり、それには一にも二にも学生が満足する設備とケアーである。学生寮は男子、女子、男女兼とあり、親は男子、女子独立を好むが、学生は男女が一緒の方を好む。その結果、男子寮は入居者がいなくなり、女子は一年時のみ女子寮に入るのが一般的になった。それはそれでよいのである。

 入試も多様で厳しい。厳しいことが一つのステータスにもなる。アクレディテーションも積極的に受けているし、就職の世話も細かい。

 医科があるといってもキャンパスと離れた市街地に歯科と医科があるが、設備は公表学生数と比較してとてもまともな教育をしているとは思えない。たぶん、付属病院を持ちそこに少し学生を抱えて、他の施設にも学生を派遣したり、社会人学生を入れたりして博士号を授与しているものと思われる。

 細かい点では多くの「人気取り作戦」を実施し、「小さいけれども良い大学」との印象を与えることに全力を挙げている。これは筆頭副学長を中心としたスタッフが強力で、学生の生活を良く見ながらコントロールしているからである。

 小規模私立大学がアメリカで生き残るには大学全体に統一した戦略が必要である。

 まず、副学長などを実働部隊とした「大学組織」が機能して、大学を良く見せること。良く見せるのはお化粧のようなもので実体が無くてもあるいは良い。優れた研究をしているように見えること、ある程度の博士を出していること、医科、法科、外交官などの人気のある目玉学科を実体が貧弱でも持っていることなどである。ここでブランドを守る。大学とはブランドである。そして、ブランドを守るには戦略が必要である。かつてイギリスでは安いウィスキーを日本で高く売ることによってそのブランド力を遺憾なく発揮したウィスキーを想い出す。それだけではいけないが、それも必要である。

 次に、入ってくる学生に満足感をあたえる。それには、実際に授業を参観して感じた親切な講義、夜は2時まで空いていて試験の時期になると食堂も開放して勉強場所に当てるなどの細かい配慮と素晴らしい図書館、図書館の人はまるで先生のように丁寧に学生に教えている。学生食堂は決して広くないが快適で、よる5時になるとビールとワインを出す。一二時まで営業していてテレビは時にはバンドもある。国際的な環境を味あうために国際会館の様な場所があり、そこで生活できる。留学生もお金以外はとことん面倒を見る。その上で 学生には「資格」より「能力」を与え、生涯の力をつけさせる。

 最後に、①高い授業料 ②教員が3分の1の資金を稼ぎ、そして③卒業生の寄付を組織的に行う、という財政的措置で完結する。それがタフツ大学である。

 タフツ大学のすぐ横にMITとハーバード大学がある。MITという大学はあまりに有名すぎて触れる必要はないだろう。きわめて優秀な学生が集まり、彼らは本質的に一人にして置いても成長していく。大学は工学というものに信念を持っているし、ボストンの市民もMITにはとてもプライドを持っていて、MITこそがこのボストンを発展させてくれる一つと信じている。キャンパスは広大で開放的であり、各所に世界の企業との間でつられた研究所が散財する。

 その意味でMITとは激しく、自由で、かつ最高のレベルの大学である。ここでは大学院生が学部生を相手に一対一で勉強を教えていたり、あるいは1年次に卒業研究の予備研究の様な体験をさせたり、多くの教育の試みが行われているが、それはMITだから成功している面もある。基本的には何もしなくても巧くいく大学である。

 一方、ハーバード大学は伝統的な私立大学の雄としてこれもボストン郊外に居を構えている。イギリスから移民してきた初期の伝統を受け継ぎ大陸の香りが高い大学である。

 ハーバードにはタイタニック号の悲劇でその短い命を失った息子のために母親が寄贈した図書館がそびえている。本が何よりも好きだった息子、その自慢の息子と夫を失ったこの女性にとって、自分に残された財産は何の役にも立たなかったのだ。ハーバード大学には第二次世界大戦で戦死した学生の為の礼拝場も有り、キャンパスに散在する図書館や礼拝堂、歴史的な建造物、それらのものはハーバード大学であるから似合う。

つづく