狂牛病を深く知る

 前回、狂牛病の基礎を整理した。狂牛病が1980年代から目立ってきたこと、イギリスで100万頭を超える狂牛病のウシがでたこと、130程度の人が犠牲になったこと、そして狂牛病にはいろいろな種類があり、必ずしもウシから感染するばかりではないことを示した。

 第二回目の本稿では、狂牛病とは似ているが狂牛病ではない病気を調べることにする。

 20世紀初頭、ウシと関係なくおこる狂牛病として知られていたのが、パプア・ニューギニアのフォア族に多かったクールーと言う名の病気である。症状は狂牛病と同じで、死亡率もたかい。そしてフォア族では若い女性がおおくかかり、1960年ころまでは、判っているだけで毎年2,000人ほどの人が命を失ったと言われている。

 日本はもちろん、アメリカやヨーロッパで毎年、2,000人も死ぬ奇病がでると大騒ぎになるが、パプア・ニューギニアの情報はただちに世界に知れわたらない。だから、イギリスの狂牛病の患者、137人に比べて目立ちはしないが、狂牛病では、パプア・ニューギニアのほうがはるかに先で、感染者の数も多い。

 今から50年ほど前、アメリカの小児科医ガジュセク博士がパプア・ニューギニアにおもむき、この奇病の原因を調べ、この病気が「共食い」でおこることを明らかにしている。

 それによると、パプア・ニューギニアのフォア族は昔から人肉を食べる習慣があった。飢饉のときに食べるのではなく宗教儀式の一つで、特に近親者が死ぬと、その死んだ人に敬意と感謝を示すために、葬式の時に肉の一部を口にするのである。このことによって死んだ人の魂を受け取り、それを次の世代に伝えることができると信じられている神聖な儀式であった。

 そして、女性の発症が多かったのは、その儀式の世話をし、直接、接する機会が多かったからと言われている。このことについては別の説もあり、もともと食物が貧弱なこの地方ではタンパク質が不足がちで、特に女性は狩猟でとった獲物の分配が少なかった。

 少しでもタンパク質をとるために、それを「祖先の恵み」として遺体に手をつけるようになったとも言われている。このことを知るとなんとなく不気味な感じがするが、狂牛病の元になったウシの肉骨粉も栄養価の高い死骸をそのまま捨てるのはもったいないとして餌にしたという経緯があり、それに類似している。

 ちなみに、クールーの原因がわかったことからパプア・ニューギニアの政府はこの奇妙な儀式を中止させる努力を根気よく続けた結果、いまではほとんどクールーが見られないまでになった。

 先回も述べたように「最近、奇妙な病気が増えた」という感想を持っている人が多いが、本当は、「最近、医学の進歩で奇妙な病気が発見されてきた」というのが正しい。このクールーの場合も昔からあったのだが、最近、研究され、先進国の間で論文がでたり報道されたというだけのことである。

 コロンブスがアメリカ大陸を発見したからアメリカ大陸があるのではなく、発見する前からあった。そしてこの「発見」とはあくまでヨーロッパを中心とした言い方である。アメリカインディアンにとってはコロンブスの発見は、その後、白人がやってきて殺戮の限りを尽くしたのだからあまり良いことではない。

 ところで、共食いによっておこる狂牛病は人間やウシだけではない。

 ヒツジには「スクレイピー」と呼ばれる狂牛病と同じ症状を示す病気がある。このヒツジのスクレイピーは、動物やヒトの狂牛病のなかでは、もっとも古くから知られているもので、300年ほど前からヨーロッパを中心として、世界各国で発見されている。

 この病気はヒツジがヒツジやヤギの一部を食べることが原因と考えられている。ヒツジは草食動物なので、自然の状態ではめったに共食いはしないけれど、密集して飼育しているうちになんかの間違いで、ヒツジが他のヒツジを部分的に食べてしまう場合もある。

 これも一節によるとヒツジは胎盤の一部が脱落した時などそれを食べる習慣があり、そのような習性が引き金になったとも言われている。

 また人間は餌としてヒツジの一部をヒツジに食べさせることもあった。これはウシの肉骨粉と同じような飼育である。

 このスクレイピーはいわば狂牛病の先輩のようなもので、症状も脳細胞の変化もウシの狂牛病とそっくりである。

 イギリスで急にウシの狂牛病の感染が広まったのは、スクレイピーに感染したヒツジをウシの餌にしたこと、ウシにウシの肉骨粉を飼料として与えたことによるされている。

 このように人間のクールーやヒツジのスクレイピーをよく見ると、狂牛病というのは「共食い」と深く関わっていると考えられる。

 「共食い」というのは生物にとって正常なものではない。生物にとって「種の保存」というのは何にもまして大切で、種を保存するために生活し、子孫を残しているとも言える。だから、同じ種の仲間を殺したり、食べたりしないのが普通である。

 人間は戦争や殺人という名のもとに、おなじ人間という種のなかで殺し合うがこれは生物の行動としては異常である。どう猛な肉食獣の頂点にたつライオンやトラは激しい縄張り争いや、狩りに失敗して餓死寸前になることがある。それでも共食いはしない。餓死する方を選ぶ。

 少し下等な動物になると共食いが見られる。身の回りで知られたものとしてはフグで、フグの養殖場では共食いを常に警戒している。でもやはり共食いは異常な現象で、フグに餌としての二枚貝を与えると先を争って食べるが、さすがに同じ生け簀の中にいる同じフグを先を争って食べるようなことはしない。なにかの機会に反射的に共食いするようである。

 このように多くの動物が自分と同じ種を殺さないのに対して、人間は殺しあう。心理学などでは、人間の脳が不完全で、何のために地球上にヒトという種が存在するのか、ヒトの人生の目的ななんであるか、さらに自然のなかで人間はどのようにして生きていくのかが判らないまま、毎日を送っていることが原因しているとされている。

 狂牛病は「共食い」という生物に共通のタブーを犯したときに、生物が警告を出しているようである。

 狂牛病の原因が共食いであるとすれば、狂牛病を防ぐのはそれほど難しくない。「肉骨粉」と言われるリサイクルの餌を与えたり、結果的に共食いにならないようにすれば、狂牛病を防ぐことができるからである。

 事実、イギリスでは注意をして飼育するようになってから、狂牛病のウシは激減している。1990年頃から急激に増えてきたイングランドの狂牛病のウシは1993年にピークを打ち、1年に35000頭もの狂牛病のウシが出現した。



 

 しかしたぶん原因が肉骨粉にあるとわかって、その使用を止めたら狂牛病が急激に減少した。原因と推定されるものをのぞけば現象が少なくなれば、おおよそそれが原因として良い。

 狂牛病の教訓は多いが、何事も生産効率だけに気をとられて、ウシやヒツジが生きものであることを忘れないことも大切のようである。

 あまりにも密集して飼ったり、動きのとれない狭い箱のようなところに入れて育てるのではなく、家畜の命にも尊敬の念をはらい、美しい牧場でゆうゆうと遊びながら大きくなるようにするのがよいのだろう。

 飼育の方法と病気の状態を勉強するにつれて、私は自然の深い調和を感じる。ここで問題にしている食の安全とは人間という種の食についてだけであるが、それが広く自然のありかた、人間と生物の相互のあり方に関係していることを知るのである。

 いったい、自然の摂理を知り、その限界を知って行動すれば、食の安全は保たれるような感じである。このことはこのシリーズでその一部を明らかにできると思うが、全部は無理だろう。というのは人間の知恵では自然の摂理を十分に理解することができないと考えられるからである。せめてその一部を理解し、それを正しく活かして生活する知恵が人間にあるか、それは食の安全を考える上でもっとも革新的な部分であると思う。

(その2の終わり)