学問的なリサイクル率

 

 ゆっくり考えるペットボトルのリサイクルはこれで4回目になる。これまでにわかったことをまとめると、

 

1)  もともと、少し場所や時間だけを我慢すれば5円で飲むことができるお茶を、いつでもどこでも飲めるというわがままを我慢できず、150円で飲んでいる。私たちの生活は「貴族の生活」になってしまった。

 

2)  150円のうち、25%4分の1)ぐらいは人にかかる費用だが、残りの75%、つまり110円ぐらいは資源やエネルギーを消費している。

 

 

3)  これほど消費万能、貴族生活をしている日本人でも、ご飯のたびにお茶碗を割ってリサイクルに出すようなことはしない。ペットボトルになると日本人は節約を旨とする日本文化を忘れてしまう。

 

 ただ、ペットボトルの人件費比率が25%というデータを確認したいという方もおられると思うので、「月間廃棄物」という雑誌に掲載されているペットボトルの経費の比率を下に示しておきたい。

 

 ペットコスト.jpg

 

 これからわかるように人件費比率は25%程度である。一般の製造業と比べると少し人件費比率が高いが、これはリサイクルが製造業より効率が悪いことに対応している

 

 以上がまずは環境ということを考えたときのペットボトル・リサイクルに関する基本的な疑いである。これが基礎にないと話が混乱する。この先は「大量消費がなぜ悪い!」「環境より儲け」「人のお金を騙してとっても良い」と考えている人はまず土台が違うから、その点は了解しておいて欲しい。

 

 特に「環境が大切と口で言いながら、心の中ではペットボトルをさらに売りたい」と考えている人とあまり議論したくない。人間というのは「心にあるままに口に出す」ということが大切で、「言ったことをそのまま信用する」ことができなければ、心豊かな生活などできないからである。

 

 人を侮辱したり、人の欠点を指摘するのはいけないが、「心と言葉」が違う人は、環境の議論の場から去ってもらいたいと常々、思っている。

 

それを前提にして、具体的にペットボトルのリサイクル率を考えてみたい。「志」が正しくても事実を正確に見る覚悟、数字を正確に認識する意味は大きいからである。それには次の3つの前提のもとに分けて考えなければならない。

 

まず第一の前提で「リサイクルマークを信用する」ということでは、ペットボトル・リサイクルは1本のペットボトルも生み出していないので、リサイクル率はゼロである。

 

次に第二の前提は「容器包装リサイクル法」に基づいてリサイクル率を計算すると、「資源の節約」にならないリサイクルは法律の枠組みからはずれるので、やはりリサイクル率はゼロである。

 

この第三の前提は「日本人の多くがペットボトルのリサイクルに期待していること」ということでは、1)資源の節約、2)ゴミの減量、であり、その意味ではどちらも満足していないので、リサイクル率はゼロである。

 

これに対して、政府やリサイクル協会が発表している「リサイクル率」が高いのは、マークや法律、国民の希望とは無関係に適当に決めた次の定義によっている。

 

「回収したペットボトルが最終的に使われたかどうかは別にして、ペットボトルを洗浄し、粉砕して、業者間で取引ができればそれを「再商品化」とする。」

 

従って、回収したペットボトルを、1)再び国民が使ったか、2)リサイクルに使った資源を差し引いたか、というのとはまったく無関係である。ともかくペットボトルを集めて洗って粉砕すれば「リサイクル」と違法の定義をしているのだ。

 

だから、平成16年度は、ペットボトルの消費量が52万トン、「再商品化」した量は148千トンだから、「リサイクル率」は28%である。

 

 私も最初の頃、国が「再商品化」というので、環境を大切にする人の願い・・・一度、使った商品をもう一度、商品にするという願い・・・がかなったかと思ったが、実は「ペットボトルを洗浄して、粉砕しただけ」のものだった。

 

業者の間で取引する段階で「商品」と言う。まあ、20世紀的には正しいが、21世紀的には詐欺である。

 

 リサイクルで「商品」といえば、かならず「消費者の手に渡る段階のもの」でなければならない。これが第一条件である。

 

 第二条件はリサイクルの目的に沿った量を対象にしなければならないから、「第一条件が満足した商品の量から、そこまでに使用した資源の量を差し引いた量」である。つまり、「リサイクルしたら資源が節約された」という状態を示さなければならない。

 

 第二条件には若干の補正も必要である。私自身は「リサイクル支持」なので第二条件で良いと思うが、リサイクルを単に商売の道具と考えている人がいる。その人たちはリサイクルになにも期待していない。ともかく集めれば良いのである。

 

 でももともと「リサイクル」とは「資源を有効に使う」ということであり、ゴミとは縁を切っている。つまり人工的な廃棄物を天然資源と同一と見て、資源化するというのが循環の基本概念だからである。

 

 天然資源の資源性を考える時でも「それはもともと捨てなければならないから」という前提はおかない。なぜなら彼らはプライドがあり、資源は人間に役立つと思っている。だからごまかしはしない。

 

 第一の条件だけを前提にして計算する方法がさらに3種類ある。

 

 もっとも信頼性の高い方法は、分離工学で使用する「分離作業量」の計算である。この理論は「天然資源を評価する方法」として確立しているので、議論があるとすると「ゴミは資源か?」ということだけである。

 

 ゴミが資源なら、分離作業量計算ができる。私はこの方法でやっている。そうするとペットボトルのリサイクルでなんとか6%程度のリサイクル率がとれる。大都市の一部から回収したもので輸送距離が短いものに限定される。

 

 第二の計算は、公的ではあるが間違った値の148千トンから、おそらく通常の工業でも役に立つレベルの商品になっただろうという計算をする方法である。この方法はもともと148千トンというのが書くにできないので、あやふやであるが、ある程度の目安をつけることができる。

 

 第三の計算は「ペットボトル・リサイクル商品」が現にどのぐらい市場に出ているかという調査をする方法である。リサイクルして最終製品になるなら、必ず「最終商品」があるはずである。たとえば食品トレーなどがそれである。

 

 このような計算を通じて、最大でおおよそ6%程度は「リサイクルしている」と言えるのではないかというのが私の結論である。

 

 これに対してリサイクルを進めている人や環境に熱心な人からクレームが付く。私は「もともとこれに第二条件を付けなければならず、リサイクル率はマイナスになる。それでは今後の参考にならないのに、第二条件を抜いてある。だから6%でも高めの数字だ。」と説明するがそれでも納得しない。

 

 ペットボトルのリサイクル率がはっきりしないのは、公的機関がデータを公開しないからである。リサイクルは法律でも決まっているので、

1)  リサイクルされたペットボトルから製造された商品が最終的に消費者にわたった量(R)

2)  リサイクルに要した資源量(P)

をまず公表することが必要だ。

 

 そしてペットボトルの販売量(S)を示し、(R-P)を出してそれをSで割れば正しいリサイクル率はすぐ出てくる。きわめて簡単だ。データはすべて国が持っている。国には法律を守る義務があり、税金を使っているのだからデータを公表すべきである。

 

 私の感覚では、あれだけ国民に協力を求めたのだから、その説明責任から言って、データを公表しないのは犯罪のように思う。

 

 でも、実はこんな議論もしたくない。ペットボトルのリサイクルが、ペットボトルの消費を増やし、使い捨て文化を育て、特定の人が儲け、天下り先を作る・・・などであることは明白だからである。

 

 私はそんな環境を望んでいないし、学問的にもそれが「良い環境」と定義することはできない。私が定義する良い環境はもっと別のものだ。

 

 ところでもう一度、話を少し戻そう。

 

私は28%のリサイクル率というのは、完全に違法(裏切り)の数字と考えているが、仮にそれを信じるとしよう。それでもリサイクルしたペットボトルは約4分の1にすぎない。

 

 そのほかのペットボトルはどうなったのか?4分の3であるから過半である。それはどうしたのか?もしそれが焼却されていなければどうなっているのか?ペットボトルの消費量が年に15万トンの時に、「このままペットボトルを廃棄物処理場に持って行ったら、まもなく廃棄物処理場が満杯になる」と政府は言っていた。

 

 もしそれが真実とすると、今はペットボトルの消費量が52万トンにもなっているから仮に15万トンをリサイクルしたとしても、差し引き37万トンはゴミとなっている。

 

 廃棄物貯蔵所が満杯になるからリサイクル、といっていた当時の2倍である。どうなっているのだろうか?いったい、ウソはどこまで続くのだろうか??

 

つづく