「環境」とは自分を除く自分の周りのことである。家族、愛犬、家、藪、蚊、仲間、職場、地域、近くの鎮守の森、小鮒が釣れる小川、市、県、そして国。

 

 「境」とは自分が関知できる地平線である。ある人にとってはそれは鎮守の森までであり、ある猫にとっては近くの川までである。首相なら国かも知れない。

 

 「境」が自分だけなら、エアコンが良い。でも、お隣さんはただでも暑い夏に室外機からの熱風に晒される。「境」が自分だけなら舗装道路が良い。泥ははねないし車で移動する時には便利だ。でも、舗装の下のミミズは全滅し、ミミズの周りの生態系は壊滅する。

 

 お風呂のカビを取る薬剤には危険なものもある。だから若い夫婦は危険な薬剤をスーパーから追放しろと叫ぶ。でも、お年寄り夫婦は風呂のカビをこすって落とすことはできない。少し危険でも薬剤でカビを落として臭いのしないお風呂を楽しみたい。

 

 自分の周りには「お隣」がいて、「ミミズ」がいて、「お年寄り」がいる。誰もが良い環境を望んでおり、それぞれの求める環境はそれぞれで違う。

 

 環境運動は時に弱い人を痛めつける。分別やリサイクル一つをとってもつらい人はいる。お金が足りない人にとってみれば家電リサイクルのお金は辛い。それでも、リサイクルが資源を節約し、家電リサイクルが捨てるより安くできるなら我慢もできる。

 

 でも、分別すればするほど資源は無駄に使われ、家電リサイクルをする前には費用は8分の1だった。リサイクルで儲け、家電リサイクルで儲ける人は健康で頑丈だ。強いものの自由自在なのだ。

 

 リサイクル法は「資源の節約、廃棄物の減量」を求め、それによって「環境の改善、国民経済の健全化」を目的としている。

 

 苦しくて捨てる家電を山に「不法投棄」する人がいる。良いとは言えないが、その前に「家電リサイクル」をしている人こそ「不法営業」なのである。家電リサイクルが始まる前は一台のテレビや冷蔵庫を捨てるのに500円で処理できた。それが4000円になった。

 

 差額の3500円をとっている人は誰だろう?なぜ、500円より3500円が環境の良いのだろうか?

 

 不法投棄を勧めると言うことになると穏やかではないが、この2つだけしか方法がないなら、家電リサイクルに出すより山に捨てた方が「遵法」と思う。本当はゴミと一緒に捨てて焼くのが法律の目的に合致した方法である。

 

 「偉い人」は頭が回る。だから弱い人をだましてお金を巻き上げることは容易だ。でも、日本にはそのような文化はなかった。為政者も学者もみんな「民のため」生きていた。環境問題はそんなすばらしい日本の文化を根こそぎ壊そうとしている。

 

 私は時々、渡辺京二さんが紹介された江戸時代末期に日本を訪れたアンベールの記録を思い出す。

 

「若干の大商人だけが、莫大な富を持っているくせに更に金儲けに夢中になっているのを除けば、概して人々は生活のできる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きているのを見た。」

 

おわり