私は多くのものを親から貰った。生来、体が弱く2歳の時に病死するところだったと母親から何回も聞かされた。夜中、容体が悪くなった私を母親は背中に背負って寒風吹きすさむ道を走ったと言う。

 高校時代も体が弱かった。入学した直後の第一学年、4月から7月までで学校に行った日は一週間だったと記憶している。貧乏な家だったが、父親が体の弱い息子を不憫に思ってハイヤーを雇ってくれた。

 当時のハイヤーがいくらしたか私にはわからない。でもトランクの両側にピンと張った飾りを見て高校生の私にもそれが親の無限の愛であることはわかった。親は節約をしていた。

 ある時、会社に勤めていた私は私の部下とプールで相撲を取った。彼は私より身長が20センチも高く、筋骨隆々としていてプールの中で相撲を取っても勝てるはずはなかった。でも、彼は加減をしてくれた。

 彼が全力を出したら私は簡単に水の中に沈められただろう。でも彼はそうしなかった。とても私にはかなわないということをわからせたら、それ以上は力を出さなかった。今でも彼の強力な筋肉の感触を私の体は覚えている。彼は中学しか出ていなかった。

 コブラは仲間と戦う時、決して毒牙を出さない。オオカミは縄張り争いで腹を見せた仲間には牙をむかない。みんな「惻隠の情」は心得ているのだ。日本人には惻隠の情がある。しかし、ヨーロッパ人には無い。異常なのはヨーロッパ人であって、日本人は正しい。

 体は弱かったが、私は頭で考えることはできた。もしかすると体が弱いからあまり外に出られず、だから勉強したのかも知れない。この世には良いこともあれば悪いこともある。私のような、活発でしかも体が弱いという組み合わせの人は必然的に成績が良くなるのかも知れない。

 ともかく成績は良く、当時「全国アチーブメントテスト」というのがあったが、平均すれば全国で3番から5番でいつも紹介されていた。そして技術者を志し、会社に入った。しばらくは休んでばかりいたが、25歳を過ぎて体も丈夫になり、まともに会社勤めができるようになった。

 私はその後、偶然の機会があって大学に移り、教育を志すようになった。

 そこで第一に感じたことは「人間は教育をするほど悪くなる」ということだった。頭の良い人、知識のある人は総じてたちが悪い。そうでない人は、ズルはするが根本的には人柄が良い。これまで我慢をしてきているからそれだけ人格が磨かれているという印象を受けた。

 私の研究室に入ってきた学生を、大学院も含めて3年間教育すると、技術の力はみるみる上がってくる。でも、その人が本当に学問的な力と共に人格も高くなってきているかというと、はなはだ疑問である。

 それが端的に表れるのが卒業研究発表と修士論文発表だ。卒業研究発表は大学4年生で行われるが、学生の発表の後、私が少し難しい質問をすると立ち往生する。でも修士は答える。しかし、その答えの多くは「ごまかし」なのである。私は修士課程の2年間、知らず知らずのうちに学生に「ごまかし方」を教えていたのだろうか?

 知識が付き、教育を受けると、一般的に「利己的」になる。しかしそれと同時に「利己的ということを隠す技術」を学ぶ。だから見かけは利己的には見えない。衆議院議員が「国民の為に一切を投げ出す」等と言うのと同じだ。庶民はそんな歯の浮くような事は言えない。

 次に、知識が付くと「惻隠の情」を失う。相手の悲しさがわからないのだ。環境関係ではそういった例が多く、インテリの住む杉並区の住民は自分たちのごみを江東区が引き受けないと言ってもめたことがあった。

 教育とは何だろうか?公的には「人を人たらしめる」とされているが、それなら「人」とは利己的で相手をやっつける存在ということになる。その上、「教養教育」というのがある。ほとんどがヨーロッパの学問を学ぶのだが、それがまた人を悪人にするのだ。

 16世紀からの世界はヨーロッパの知識人が世界中の人を奴隷にした歴史であった。世界のほとんどの国がヨーロッパ人の植民地となって苦しんだ。ヨーロッパの人は教養は高かったが有色人種を人間とは見ていなかった。日本人のことは「サル」と呼んだ。

 ベートーベンの素晴らしい音楽、カントの哲学、そしてピカソの絵画すらも圧迫された民族の血塗られた楽譜やキャンパスの上に書かれているのだ。

 私は講義に10分以上遅れて来る学生を立たせることがある。注意しても私語を止めない学生を外に出すこともある。難しい英語の論文を読み、微分方程式を解いている学生が、人との約束や礼儀を守れないとすると教育とは何だろうか?

 私は自分の中に何がいるのか不安になることがある。しかし、心の中を覗く勇気は無い。

 私は学問を積んできて、どんな議論も大丈夫だ。自分自身では「私は立場も無いし、真実だけを語っているから」という理屈を付けているが、それは本当だろうか?私も教育の産物とすると、利己的で惻隠の情などわかるはずが無いからだ。

おわり