ギラギラした夏の太陽が容赦なくアスファルトの路面を照らしていた。

 少し前まで、川崎と言えば工場群が立ち並び、空気はよどんで煤煙をまき散らしていた。渋滞した車越しに信号があることはわかっても煙にかすんで見え、町自体が油の中に浮かんでいたものである。でもそんなこの町の面影もすでに過去のものになった。それでも強烈な太陽の照り返しの中、アスファルトの道路とコンクリートのビル群に囲まれて歩くのは辛かった。

 大学を出て1時間。6人ほどの学生と省線にのって川崎駅に降り、私は早く食堂を探そうと焦っていた。もう時間は12時を回っているし、先方に約束した時間は迫っている。照り返しに負けて私は学生と地下街に降り、とあるサラリーマン食堂の前に止まった。

「ここにしよう。いいかい?」
と私は学生の方を振り返って言った。男の学生は口が重い。全員が押し黙ったままかすかに頷いているように見えた。私は暖簾をくぐり、
「どこでもいいの?」
と声をかけながら席に着いた。

 クーラーがきいたその食堂は小さいながらも落ち着いていた。私は鞄をおき、そして額の汗をぬぐった。
「さあ、何を食べようか。あまり時間もないが」
といって椅子についた学生の方に目を向けたとき、私は学生の数が足りないことに気がついた。

「あれ、小島君はどうした?」
学生は6人連れてきたつもりだったが、学生は5人しかいない。いないのは小島君だ。
「あいつ、川崎で降りなかったんじゃないだろうな?」

 私はやっかいなことになったと思った。彼ならありそうなことだ。小島君は人柄は良かったが少しおっちょこちょいで、自分勝手なところがあった。去年まで運動部で活躍していたので、成績も上がらず一年ダブって私の研究室に来た学生だった。
・・・また小島君か・・・

「先生、さっきまでいましたよ」
と学生の一人が言う。じゃ、先に頼んでいいよ、私が探してくるから、と私は席を立った。教員というもの、小学校の先生でも大学生を相手にしていても同じである。学生はいつどこに行くかわからないし、気まぐれだ。猫と学生は首輪をつけられない、などと悪口を言う先生もいるが、その通りだった。

 私はテーブルの間を縫うようにして地下街にでた。十字路になっている通路を見渡そうとした私の目の前に小島君がポツンと立っているじゃないか!
「おい、なにしているんだ。早く入れ」
と私が言うと、小島君は大きい体を小さくしながら、
「先生、僕、いいんです。」
「いいって、君、昼食を食べないのか?」

 彼は少し戸惑い、そして顔を赤らめながら、
「いえ、食べます・・・」
「じゃ、入れよ。」

 私が促すと彼はますます顔を紅潮させ、緊張した声で小さくつぶやくように言う。
「僕、パンを買ってきます。」
「えつ?パン? でもここはパンは持ち込めないぞ。」
「ええ、いいです。僕、500円以上の昼食は食べないんです・・・どこかで食べます。」

 私は絶句して彼の顔を見、そしてすべてを悟って踵を返した。
「じゃ、わかった。私は食べたら出てくるから・・・」
「はい・・・」

 涙をこらえるのが辛かった。それを押さえようとすると肩が震え、私はフラフラしながら店に戻った。何を食べたのかは覚えてはいない。目の前に出された定食を食べ、学生を促し、代金の650円を払って店を出た。

 彼は店の前にいた。
「食べたか?」
「はい。」
「ベンチはあったのか?」
「ええ、いえ・・・」
「さあ、行こう。」
「はい。」

 5人の学生はなにも言わずに歩いていた。それからバスに乗り、また歩いて会社の正門の前に来た頃、私たちは普通に戻った。

 彼の家がどんな職業なのか、私は聞いたことがない。先生という仕事がら、学生の個人的な事情を聞くことができるのは特別な場合で、普段は聞いてはいけない。それでも毎日、同じ研究室で生活をしているとなんとなく判ってくる。彼は普通の家庭のようだった。

 大学に行くだけで親に迷惑をかける、と多くの学生は心の中で思っている。もちろん照れくさいからそんなことは口にも出さないが、大学を卒業したら親を楽にさせる、それは絶対だ!と青年の心は思う。

 それなのに運動部にいって一年、留年してしまった。そんな自分、これ以上、親に迷惑はかけられない。でも自分にできることは食事代をケチることだけだ。

 かくして小島君は「500円以上の昼ごはんは食べない」という方針を打ち出す。それは彼自身の確固たる決意だから、どんなときでも実行する。たとえ先生と一緒で友達がみんな店に入っても、500円を超える時は入らない。その理由も言わない。ただ入らないという。

 学生もそれはよく分かっている。彼が一人だけ店に入って来ないわけを知らなかったのは私だけで、学生は知っていただろう。でも彼のことを聞いても「さっきまで居ました」としか言わない。それが学生の間の仁義というものである。

 彼は地上にでて280円でパンと牛乳を買いベンチを探して囓ったという。真夏の太陽は照りつけていただろう。彼の頬はますます紅潮していただろう、そして目の前の道路からは車が巻き上げたホコリが彼のパンの上に積もっただろう。でも彼は惨めだとは感じなかった。友達はクーラーの効いた店で定食を食べている。俺は道ばたでパンを囓るしかできない。でもそんなことは問題では無い。問題は俺の魂だ。

 それから10年ほどたっただろうか。私はホテルの大きなガラスの向こうの景色を見ていた。紅葉が山全体に広がり、美しい日本の自然を演出していた。日本の紅葉が見事なのは樹木が多様だからである。ヨーロッパの紅葉も良いが樹木の種類が数種類だから単純だが、日本では20種類以上の木が紅葉する。それが錦織なす紅葉を作り出すのだ。

 披露宴の時間が来て私はソファーから腰を上げ、宴席へと向かった。

 彼のお母さんが横に立っていた。息子が大学を出、職を持ち、そして今日、嫁を貰った。そのことが彼女の顔に書いてあった。私は席に着き、祝辞を述べ、そして泣いた。

 パンを囓っていた彼、あの母親はそれを知ったら泣いただろう。嫁さんの横に座って緊張し、紅潮した顔をしている彼。私はあの時と同じように肩が震え、ただ目の前のものを口に運んだ。あの時の私と違っていたことといえば、歳を取り、お母さんを見て、こらえることができなくなっていたことだった。

 おかしな先生だ、とそのテーブルの人は思っただろう。黙りこくって食べ、そして涙を拭く。そんな3時間だった。

 近頃の学生は・・・と言う。親に反抗し、贅沢し、そしてプイとどこかに行ってしまう。だから親にとっては腹立たしい。職場の上司も同じだ。大学を卒業したての学生というものは力もないのに生意気で「近頃の新入社員」に絶望する。でも彼らには魂がある。誰にも魂があるが、若い魂は一見、シャイで生意気な体の中に隠れている。

 歳を取ると心が汚くても表面を取り繕うことができるが、若いときは心が美しくてもそれを外に出すことをためらう。いや、出すことをためらう心が美しい。

 真夏のジリジリした照り返しの中でパンを囓っていた彼。その彼は自分の人生の時を過ごしてきた。クーラーの効いている店で650円の定食を食べた私たちには過ごすべき人生の刻は与えられなかったのである。

おわり