ここ10年来、「自然に学ぶ」という活動をしてきた。最初は、生物の様子を見て、それをなんとか工業的な材料に応用できないかと考え「自己修復」の研究を始めた。それはそれでまあまあ成功し、面白かった。
自然を学んでいるうちに興味を持った第二段階は、環境問題だった。「自然はリサイクルしているから人間も・・・」というので、リサイクルを研究してみたら、これがとんでもないことだったので「リサイクルしてはいけない」という本を書いてしまった。
そして、第三段階は、「果たして自然とは何なのか?」と哲学的なことを考えるようになり、その格好の題材が「地球温暖化」だった。この問題はなかなか面白い。
地表の気温が高くなっている。といっても地球のどこでも気温が高くなっているのではなく、例えば南極の気温はかえって低くなっているけれど、それは別にして地表の気温が高くなっているとする。これを「自然」から見てみようと思った。
自然というのはダイナミックに変わる。誕生した時には2000℃と言われているし、氷河時代には地球全体が氷河で覆われていた。最近の6億年だけを考えると気温は今より20℃近く高い時が多く、概ね暖かかったが、現在は第二氷河時代である。
最近の300万年ほどでは、12万年ごとに2万年暖かい状態が続き、10万年が寒い状態である。この寒い時期は「氷河時代」とは呼ばずに「氷期」と区別して呼んでいる。地球全体が氷河になるほどではないが、人間はアフリカぐらいでしか生きることができず、マンモスのように防寒万全でなければ生きてはいけない。
反対に、温暖化になって困る生物はいない。暖かいということはよほど酷くならない限り、生物には快適だ。寒さで死ぬということはあっても暑さで焼け死ぬことは少ない。実際に、いつも33℃の南洋では死ぬ人がいないのに、フランスの猛暑で死ぬのは「生活パターン」の問題で気温の問題ではない。涼しいところにいれば死ななかったのに寒冷地に適した構造の住宅にジッとしていたからという単純な話だ。
だから「地球温暖化など環境問題として騒ぐことではない」と考えていたが、そうでもないという人が多い。その理由は、現在の「地球温暖化」の問題点はその変化の速度の問題だというのだ。つまり、「自然の変化は緩やかだけれど、人間が起こす変化は急激だから危険」と説明される。
しかし、どうも怪しい。実際にはメディアも「気温が高くなった」と言うばかりで、どのぐらい変化しているか・・・例えば一年で0.006℃とかだが・・・はあまり報道しない。みんな普通は「温度が問題だ!」と言い、少し突っ込んで議論すると「温度ではなく温度の変化だ!」と言うことが変わる。
それでもなお「温度が高くなるとアルプスの氷が溶けて海水面が上がる」というのはどうも「温度」のことを言っているようで「温度差」のようには聞こえない。相手はヌルヌルとしていて捕まえにくい。
さて、私が自然に学んだことは何か?というのを一言で言えば、
「自然は我々と違ってなるようになる。日照りもあれば寒い冬もある。自然はそれをどうにかしようとはしない。そのまま受け止め、その中で苦しむ時も楽しい時もある」
ということだ。決して、何かをしようとはしない。
だから、地球温暖化を自然から見ると、次の様になるだろう。
「地表の気温は、太陽の動き、地軸の傾き、人間の活動・・・さまざまな原因で変わる。それは仕方がない。自然の営みとは「温度を一定にしよう」というのではなく「原因はともかく、温度が変わったら変わったように振る舞おう」」
つまり順応精神と言って良い。
地球温暖化に警告を鳴らしている学者に一度、質問したことがある。
「これからも地球の気温は上がったり下がったりするでしょうが、我々の文明は、地球にストーブとクーラーを付けていつも同じ温度にすることですか?」
もちろん、その先生からの答えは無かった。
私は、自然に学んだので次のように答えるだろう。
「地球温暖化が自然の活動であれ、人間のせいであれ、温度の方ばかりに注意をしていてはいつもビクビクしていなければならない。もし、地球が温暖化しているなら、「気温が変わっても大丈夫な文明」を作ること、それが「地球温暖化」という環境問題に対して我々が「自然に学ぶ」ということではないだろうか?」
地球が温暖化するのがもし人為的なら、現在の先進国の快適な生活がその原因となっている。だから快適な生活を捨てるべきだというのは少し過激で非現実的な考えであると思う。「快適」というのは度を超していなければ「良い」ことであって、決して悪いことではない。
そして我々の現在の科学は「未来永劫、地球温暖化は回避できない」と断言することも不可能である。我々はそこまで見通すことが出来ないでいる。今が楽しければそれで良い。それ以上のことを予測することは無理だ。そして発展途上国の人が「我々も一度は日本人のような生活をしたい」と言われればこれも拒むことは出来ない。
結局、地球は人間の活動が原因でも温暖化するだろうが、それを受け止めたら良いのではないか。むしろ寒冷化も進むし、温暖化するかも知れない。それに負けない柔軟な社会を作りたいものである。
おわり