山口良忠と矩子
天皇の終戦の詔勅が全国に響いてしばらく経っても篠崎キクの息子は帰ってこなかった。それでも・・・二人の子どもを残して、32歳で出征した息子はきっと帰ってくる、キクはそう信じていた。
その朝、キクは昨日からなにか重たくなった腰を上げてそっと綿入れをはおり、寝入っている孫の様子をチラッと見て、裏木戸を開けた。
そぼふる小雨の中、まだ暗い空を見上げながらキクは路地を小走りに急いだ。息子・光太郎の嫁はあの三月の東京大空襲で死んだ。孫を残して嫁に死なれることは72歳になった自分には辛いことだったが、へこたれる訳にはいかなかった。たとえ、どんなに辛くても息子が帰ってくるまでは孫を守らなければならない・・・。
配給の食料はいつも不足がちだった。その上、遅配や欠配が続く。年老いた自分が餓死するのは仕方がないけれど、幼い孫を死なしては光太郎に申し訳が立たぬ。
角にでると、そこにはもう数人の人影が見えた。キクと同じように、密かにヤミ米を売ってくれるという噂を聞きつけてきた人たちだった。狭い曲がり角にはコールタールをべったりと擦りつけたような板壁が重なり、小さな凹みを作っていたが、そこにもようやく夜明けの暗い太陽が差し込んでいた。背の低いキクはその凹みに寄り添うようにして数人の男の列に沈んだ。
やがて、白い息を吐きながら背の高い、それでいて顔の辺りが妙に暗く、いかにもそれらしい男が現れ、10個ほどの紙袋を薄明かりの中でキクたちに見せた。
「ほら、並んでる順だぞ。金は出しておけよ。」
男はなにがしかの金を受け取り、ぶつぶつ言いながら紙袋を渡していった。ようやく7,8人目にキクの番が来た。
「ばあさんも、大変だな。」
男がそういった時だった。ピーッと耳元で鋭い笛が聞こえたと思うと、キクの体はあっという間にずるずると引きずられ、なにか薄暗い倉庫のような部屋に運び込まれた。
それからしばらくして漸くそれがトラックの荷台の中だということをキクは知った。
「ブーッブーッ」
木炭の煙がもうもうと上がり、車はガタンと動き出した。キクは全身の血が一気に体から抜けていくように感じた。
「み、見逃してくださいっ!」
キクは立ち上がって鉄格子の入った運転席との間の窓にへばりつくようにして叫んだ。でも、その声は狭いトラックの荷台の中に響いただけで、次第に明るくなっていく町の騒音に消されていった。
キクは初犯ではなかった。
田舎には米があるという噂はあったが、幼い孫を連れて遠い田舎に行くすべをキクは知らなかった。といって、町の有力者に米の横流しを頼むなど、まじめに人生を送ってきた老婆にわかるはずもない。ただ、お腹を空かせた孫を見るたびに不憫になり、自分のふがいなさを嘆き、光太郎にすまないと涙した。
やがて老婆は噂を聞きつけてヤミ米を買いに行くようになった。危険なことは承知していたが、そうしないと孫を育てることはできない。キクが捕まるのが二度目になったのもそんなわけだった。
肩を落として畏まっている小さなキクの前で、東京地裁の山口良忠判事がしかめっ面をして書類に目を通していた。
・ ・・食料統制法違反。篠崎キク。72歳。再犯・・・
戦後の食糧危機はすさまじかった。もともと食料が足りないのに、それを横流しして巨利を得ようとする政治家や闇市場を支配する輩が暗躍し、庶民は飢えた。知り合いを頼って田舎へ買い出しに行くか、それとも食料統制法で逮捕されるのを覚悟で駅や路上で芋や米を買い求めるしかなかった。
食糧統制法違反で逮捕された人は、戦争がおわった年の翌年の昭和21年には122万人、翌々年は136万人、次の年は150万人に上った。
「・・・お願いです、助けてください。」
有罪で収監の判決を受けた篠崎キクは、両の手を引きずられるように法廷から連れ出されながら叫んだ。
「判事さんっ!何を食べて生きているんですかっ!鬼っ!」
老婆の声が法廷に響く。
東京地裁判事、山口良忠は、その夜から食事をとらなかった。あの老婆が初犯だったら見逃せたが、再犯は収監しなければならない。でも、山口良忠はなぜ配給が滞り、老婆がヤミ米に走ったかを知っていた。
食料を横流しし、闇市で売りさばく連中がいる。本当に日本に食料がなければヤミ米もない。日本のどこかには食料があり、だから闇市があるのだった。でも彼らは決して逮捕されない。山口判事の前に連れてこられるのは、いつも「正しい庶民」だった。
「あなた、お食事をとらないと・・・」
山口判事の妻、矩子は部屋の一所を凝視しながら顔をこわばらせる夫にそういった。
同じ頃、篠崎キクの家では二人の孫が干した芋を齧っていた。彼らがその朝、起きた時には家におばあさんの姿はなく、昼になっても夕方になっても帰ってはこなかった。兄妹は戸棚の中の干し芋を齧り、寒さに震えながらいつの間にか寝入っていた。
夜半をすぎても寝床にも入らない夫を、矩子はどうして良いか分からずに僅かな暖をとるためにと持ち込んだ火鉢に手をかざしていた。
次の日も、山口判事は食事をとらなかったが、判事の子供たち、7歳と3歳になる子と妻には食事をするように言い、その日から判事は一人で部屋に閉じこもったまま出てこなくなった。
昭和22年10月11日、山口良忠判事、餓死。
その日、篠崎キクの二人の孫も、あれきり帰ってこない祖母を待ちながら冷たくなっていた。
新聞は短く山口判事の死を報じ、法と信念の為に殉職したこの判事の偉業を称えたが、同じような運命をたどった幼い孫たちの記事は載らなかった。
日本の司法はこの法律に欠陥があることを認めていたフシがあるが、闇取引を抑制する効果があるとして全体としては支持していたともいわれる。
でも、疑問がある。
警察も検察も老婆を捕らえることには力を注いだが、闇市場のボスを追いつめることはしなかった。闇市があるということは日本には食料があるということだ。それが食料統制法に基づいて正しく配給されていればそれで良かった。
だから、老婆を捕らえることは「闇取引を抑制し、生活必需品の調達を改善する」ということに何の役っていただろうか。でも裁判所は、闇市場のボスを退治することには熱心ではなかった。巨悪を捕まえるより、小悪を捕らえる方が簡単である。
当時の裁判官がヤミ米を食べて生き残ったかどうかは定かではない。社会的地位が高いという理由で余分な米の配給を受けていたのかも知れない。おそらくは、自分は裁判官だから、老婆の命とは違うと考えていた可能性もある。
「刑務所の中にしか正しい人はいない」
と言われた時代だった。
そして、あの山口良忠判事。職務と正義に忠実な判事、信念の為に餓死した判事もやはり罪がある。彼ほど正しい人に矢を向けるのは忍びないがやはり非がある。
彼は、巨悪が退治されるまで、篠崎キクに無罪の判決を下すべきであった。たしかにキクは法律を犯している。でもキクはより大きな犯罪を取り締まることができない国家の罪の被害に遭っているだけである。
人間の頭は歪んでいる。
「幻想としての正義」と
「全体像を見ることができない利己」
が脳細胞の中で戦い、行為で利己が勝ち、いいわけは正義がつける。誠実であるということは心の問題であって頭ではない。
山口判事は判決を下すにあたって頭の判断を優先した。そして、頭で判断した論理が人間という目で見ると間違っていたことを彼の心が知ったのである。その間のクレヴァスはあまりにも深く、彼は餓死の道を選んだ。
おわり
(本稿は読者の方のご指摘をいただき、一部を修正しました。)